研究所

「そうだ!」


 握手をしたかと思うと、奈津美さんが思い出したかのように口を開く。


「そういえば明くんを研究所まで案内しないといけなかったわね!」


 奈津美さんは手を離すと、少し焦った口調で話をする。奈津美さんの顔を見るとなんとなく照れているような気がする。


 ――もしかして脈アリなのか?


 と、それは嬉しいことだが、奈津美さんの言う研究所も気になる。現状、家が安全とは限らないし、もしかしたらいろいろ聞けることがあるかもしれない。何より、幽鬼に万が一襲われたときの対処方法が必要だ。


「研究所ってここから近いんですか?」


「ええ、すぐ近くにあるわ。」


 少し落ち着きを取り戻したのか、こちらの問いに対して、大人びた雰囲気に戻った奈津美さんが返答する。


 ――案内されるまま、奈津美さんに付いていく。


「着いたわ。」


 奈津美さんが急に止まったかと思うと、目の前にある建物を指す。想像していたより、すぐ着いてしまった。

 というかこの辺り普通に住宅街だぞ。とりあえず建物の外観を見る。しかし、目に映った建物を見て、思わず言葉が出る。


「あ、あの…奈津美さん。研究所ってこれなんですか?」


 明が疑問に思うのも当然、その建物はどこからどう見ても、普通の住宅なのだ。いや、お金に余裕のある家、という雰囲気ではあるが、おそらく5LDKとかくらいの広さな気がする。


「そうよ。研究所と言っても国からの補助なんてないようなレベルだし、基本ボランティアみたいなものなの。だから、普通の家を研究所として使っているの。」


 たしかに幽体は未知の物質ではあるが、現状見ることもままならなければ、性質もわからない。そもそも幽体離脱ができない人からすればオカルトでしかない。そんな実在するかすら怪しい物質の研究にお金なんか出ないか。


「とすると、ここって奈津美さんの家なんですか?」


 奈津美さんの家。そう思うと、なんか緊張する。


「まさか。研究所は全国に支部がいくつかあって、基本的には支部長さんだったりの家を使わせてもらっているの。ここもこの辺りの支部長さんの家よ。」


「そうなんですね…。たしかに幽体離脱自体がこの辺りに限定されたものじゃないですもんね…。」


 少しがっかりする。しかし、これからお世話になるかもしれないし、挨拶はしておかないとな。

 ――というか、今気付いたがパジャマ姿じゃないか、俺?

 奈津美さんにパジャマ姿を見られていたと思うと、途端に恥ずかしくなる。というかさすがにパジャマで中入るわけにもいかないよな。


 などと明が考えていると、奈津美が口を開く。


「さすがにパジャマで挨拶、というわけにはいかないから明くんには着替えてもらおうかな。これ、渡しておくね。」


そう言って、石のような物を差し出す。


「あ、あの…、これって…?」


「それは【幽石ゆうせき】といって、幽体で出来た結晶みたいな物よ。その幽石で、しっかりした服装に着替えて。」


 そんな物もあるのか。というか着替えるって言ってもこの幽石をどう使うんだ?というかこんなところで服を脱ぐのか?


「あの…、これどうやって使うんですか?」


「その幽石を持った状態で、服を来た自分をイメージするの。え~っと…、こんな感じね。」


 奈津美さんが、もう一個持っていたであろう幽石を取り出すと、普段着と思われる上品な服装になった。


「おおっ!」


 驚きと、奈津美さんの上品さに思わず声が漏れる。

 とはいえ、なんとなくイメージすればいいのは分かった。しかし、しっかりした服装ってどんなのがいいんだ?


 ――悩んだ末に明は学校で着ている学ランをイメージする。すると、一瞬でパジャマから学ラン姿に変わった。


「おおっ、変わった!」


 感動して、思わず声が出る。


「大丈夫そうね。そしたら入りましょうか。」


 いつの間にかスーツ姿に戻っていた真里さんはそう言うと、家の中に入ろうとする。それもドアからではなく壁から。


「えっ?そんな急に入って大丈夫なんですか?」


 あまりにも普通に入っていくので思わず言葉が出る。


「この姿ではチャイムも鳴らせないし、中に入って挨拶するのが普通よ。」


 そう言うと、奈津美は明の手を引き、家の中に引っ張る。

 たしかにチャイムもないし、そうするしかないのか。


「お、お邪魔しま~す…。」


 知らない建物な上、夜ということもあり、自然と小さめの声で明は挨拶をする。


 すると、中には初老くらいであろう男性がいた。体がやや透けて見えるので、おそらくこの人も幽体だ。背中を向けており、こちらには気づいていない様子だ。


矢野やのさん、失礼します。」


 奈津美さんが男性に声をかけると、男性が振り返る。


「おお、真里君か。何か忘れ物かい?…と、彼は【彷徨者ほうこうしゃ】かい?」


 矢野と呼ばれた男性がこちらに気づくと、奈津美さんに尋ねる。彷徨者とはなんだろうか?おそらく俺みたいに町中を彷徨っている人を指す言葉なのだろうか。


「はい、幽鬼に襲われていたので保護しました。いかが致しましょうか?」


「そうだね…。この町は強力な幽鬼もいるし、武装してもらうほかないだろうね。えっと…君、名前は?」


 矢野という男は、少し考えるとこちらの方を向き名前を聞いてくる。


「はいっ!桐島きりしま 明ですっ!よろしくお願いしますっ!」


 初対面ということもあり、緊張してガチガチな挨拶をしてしまう。


「明君か…、元気がいいね。奈津美君から聞いているとは思うが、私はこの辺りの支部長をしている矢野 武行たけゆきだ。

君には、自衛のためにも武装してもらうことになる。それと、もしよければパトロール活動を手伝ってほしい。」


 武装か…。非日常感がして普段ならわくわくしていただろう。しかし、奈津美さんのあの表情を見てから少し恐怖していた。もし食われればどうなるかも分からないし、ましてやパトロールをするとなれば幽鬼と出くわす機会も増えるだろう。

 いずれにしても考える時間がほしい。


「少し考えさせてください。まだ心の整理が出来てなくて…。」


「そうかい。ひとまずまた幽体になったらここへ来なさい。ここなら君を守ってあげられるからね…。」


 臆病な自分が嫌になるが、命には代えられない。

 そんな思いを察したのか、矢野さんは優しく語りかけてくれる。


「それはそうと、明君は学生かい?もしよかったら明日学校終わりでも構わないからここへ来てくれないかい?君が武装するかしないかは別として、渡すものがあるからね。

奈津美君も今日が初対面だったし、引っ越し疲れなところ悪いが明日来れるかい?」


 渡す物?学校終わりということは実体でということなのだろうが、幽体で役立てられるものなのだろうか?まあ、お世話になるわけだし予定もないので、断る理由はないか…。

 というか、奈津美さんも矢野さんとは今日が初対面なのか…。引っ越しって言ってたから、仕事の都合で転勤してきたのかな。


「はいっ、大丈夫です。」


「あ、あの…。明日は仕事が遅くなりそうで、厳しいです…。」


 明は了承したが、奈津美は仕事で忙しいのか焦った様子で返答する。


 おそらく奈津美さんは普段会社員とかやっているんだろうか。大変そうだな…。


「そうかい…。奈津美君はまた後日相談でいいかい?」


「は、はい…。」


 矢野さんの言葉に対し、奈津美さんは申し訳なさそうに返答する。


「そうしたら、夜明けもぼちぼちだろうし今日は解散だね。明君は学校終わったらここへおいで。

それから奈津美君は明君を家まで送ってあげてね。」


「…承知いたしました。」


 矢野さんの言葉にかしこまった様子で奈津美さんが返答する。

 とりあえずいろいろ気になることはあるが、今日はひとまずお礼を言って帰るか…。


「ありがとうございました。また明日よろしくお願いします。」


「ああ、こちらこそよろしくね。それじゃあ二人ともおやすみなさい。」


 矢野さんは朗らかに笑い、別れの挨拶をする。


「矢野さんもおやすみなさいませ。」

「お、おやすみなさいませ…。」


 奈津美さんの丁寧な挨拶を意識して、こちらも同じように挨拶する。


「ははっ!奈津美君は硬いなぁ…。もうちょっと普通でいいからね。それじゃあ明君を頼んだよ。」


 矢野さんは軽く笑うと、ひらひらと手を振る。

 奈津美さんと俺は、軽く会釈して外に出た。


 ――外は相変わらず暗いが、なんとなく日の出が近い雰囲気を感じた。


「では明くん、行きましょうか。家の近くまで案内してくれる?」


 奈津美さんはこちらに声をかけると、前をゆっくり移動し始めた。


「はいっ、よろしくお願いします。」


 俺は、返事をして家まで奈津美さんと行動を共にした。




 ――クジラから逃げ回っていたこともあり、結構移動したが、あれから幽鬼に遭遇することもなく無事に家の前まで来た。


「あのっ!奈津美さん。今日は本当にいろいろありがとうございました!」


 今日は奈津美さんにいろいろ本当に助けられた。そういった感謝の感情が、自然と言葉に出ていた。


「明くんも今日はありがとうね。今日はもう大丈夫だけど、幽鬼にはくれぐれも気をつけてね。」


 奈津美さんは目をパチパチさせていたが、少し呼吸を整えると、こちらに微笑みながら語りかける。

 その表情にドキッとする。


「あ、ありがとうございます。そ、その…、お、おやすみなさいませっ!」


 ひとまず挨拶をと思ったが、緊張のあまり上ずった声になってしまう。

 奈津美さんは俺の顔を見て目をパチパチさせていたが、しばらくすると微笑だ顔をして


「明くんもおやすみ。」


と優しく挨拶をしてくれた。

 最初に会ったときとはぜんぜん違う柔和な表情に嬉しくなる。


「奈津美さん、お気をつけて!」


 奈津美さんを見送るため手を振る。


「うん、また明日ね明くん。」


 そう言いながら、優しく手を振り返して奈津美さんは帰っていった。



 真里さんの姿が見えなくなると、途端に強い眠気のような感覚が押し寄せてくる。

 この体でも眠気とかあるのか…。などと思いながらも自室に戻ると吸い寄せられるように、自分の体へと戻っていった――。

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