第三章 「鉄の陰謀」 第二話
翌日、プラザの中央、決闘の場が整えられた。
朝の陽光が石畳に伸び、広場を照らす。周囲にはすでに人が集まり始めていた。貴族の子息、兵士、商人、ただの野次馬――誰もが、レイジとルナール・ド・ヴェルサリエの対決を見ようと群がっていた。
「さて……始めるか?」
ルナールは余裕の笑みを浮かべ、剣を抜いた。レイジも無言で剣を構える。
「決闘のルールは簡単だ。どちらかが剣を落とすか、動けなくなるか、戦意を失えば終了。殺し合いは禁止、ってわけだ」
ルナールは軽く剣を振るい、軽快な音を響かせた。
「まあ、俺は手加減が苦手なんだがな」
レイジは黙っていた。深く息を吐く。
試合開始の合図とともに、ルナールが動いた。
鋭い踏み込みとともに、閃くような剣閃。
レイジは一歩、後ろへ退きながらそれを流す。
(……速いな)
最初の一撃から、ルナールの技量は確かだった。剣の軌道に無駄がない。流麗で洗練された動き。刃の角度足運び全てが「剣士の名門」の名にふさわしいものだった。
しかしなにかがおかしい。
(なんだ……この違和感)
ルナールの剣は確かに速く、鋭い。だが、その奥にある「何か」が欠けている気がした。レイジは、じっくりと受け流しながら観察する。
二撃目、三撃目。どの一撃も洗練されている。だがやはりおかしい。
(俺を試しているのか?それとも舐めているのか?ならば…!)
ルナールの剣筋が、僅かに乱れ始めた。
最初は余裕の笑みを浮かべ、軽やかに剣を捌いていた彼の顔から、次第に笑みが消え、額にはじわりと汗が滲む。レイジは静かに剣を振るい、鋭く、正確にルナールを追い詰めていく。一撃、また一撃。ルナールは受け、流し、なんとか体勢を立て直そうとする。しかし、それはもはや"受け身"だった。
(やはりか…)
レイジは剣を交えながら、一つの仮説を確信に変えつつあった。
(こいつ、本当の戦いをしたことがない……?)
ルナールの剣は美しい。理論的に正確で、動きも洗練されている。しかし、それは「型通り」でしかなかった。
本物の戦場では、研ぎ澄まされた「技」より、ただの「生存本能」が勝ることがある。
(こいつの剣には、それがない)
ルナールの息遣いが荒くなる。顔には明らかな焦燥の色が浮かび、足運びも徐々に甘くなっていく。レイジの剣圧が、彼をじりじりと後退させた。周囲の観衆も、いつしか言葉を失っていた。貴族の名門の剣士。それが、名もなき男に追い詰められている。次の瞬間だった。
(まずい!負ける!)
ルナールの目がかすかに揺れ、彼の刃が突如として鋭く跳ねた。
(……!?)
胸の中央へ、一直線。突き。それはほとんど"反射的な動き"だった。
もはや「勝つための剣」ではなく、「負けるまいとする剣」。レイジは一瞬の遅れもなく、反応した。
ガキィン――!!強烈な金属音が、広場に響く。
ルナールの剣の刃の腹に、レイジの刃が叩きつけられた。ルナールの瞳が見開かれる。瞬間、鋼鉄が軋み、そして音を立てて、剣の先端が折れた。ルナールの手の中で、かつて一本だった剣が、不完全なものに変わる。
数瞬の沈黙。剣の折れた刃先が、地面に無力に転がった。
カランと、乾いた音が響いた瞬間、広場は静寂に包まれた。
勝敗はついた。やはりこの男は生存本能に駆られた時、どのように剣を扱えばよいかを知らなかったようだ。
彼の中で、それがじわじわと現実になっていく。そして、その敗北は、あまりにも「決定的」だった。
「終わった…。」
ルナールの口からそう漏れたのをレイジははっきりと聞いた。
突如、群衆がざわめいた。
人混みの向こうから、大きな影が歩み出た。その男が進むたび、観衆はざわざわと道を開けた。堂々たる体躯、鍛え上げられた筋肉に、洗練された貴族の衣を纏う。しかし、その目は獣のように鋭く、眉間の皺は怒りに満ちていた。ヴェルサリエ家の当主。
ルナール・ド・ヴェルサリエの父が、決闘の場へと歩み出た。
「ルナール!」
低く、銃口な鋼のような声が響く。ルナールがはっと顔を上げた、その瞬間だった。
「――愚か者がッ!!」
轟くような拳が、ルナールの頬を打ち抜いた。
ルナールの体が大きく弾かれ、地面に叩きつけられる。群衆は息を呑んだ。
「公衆の面前で負け、恥を晒すだけならまだよい…!」
ギュスターヴの目が怒りに燃えていた。
「フェアな決闘で、相手の命を奪おうとするとは何事だ!!」
ルナールは、よろよろと体を起こす。
「ち、違う……! 違うんです、父上!」
膝をつき、縋るように手を伸ばす。
「俺は……! 俺は……!!」
父の瞳に、一片の慈悲もなかった。
「貴様の普段の行い、あまりにも目に余る。」
鋼鉄のような声が、広場全体に響き渡る。
「貴様はもう、私の息子ではない。」
ルナールの顔から血の気が引いた。
「……な、何を……」
「二度と我が屋敷の門をくぐるな」
「……そんな……そんな!!」
彼は、父の足元に縋りつくように、手を伸ばした。
「父上!! 違うんです!! 俺は……!! 俺は……!!!」
父は一瞥し、冷酷に、ただ一蹴した。
「消えろ…。」
鈍い音を立て、ルナールの体が弾かれた。彼の身体が、無様に地面に転がる。観衆の中から、誰一人として声を発する者はいなかった。ルナールは、今、すべてを失ったのだ。「うわあああああああ!!!」
混乱と絶望の中で、小さな子供のように声を振り絞り、地面に這いつくばる。
もはやプライドも、尊厳も、何もかも捨て去ったような悲鳴だった。
しかし人々は、それを冷ややかに聞き流し、ひとり、またひとりと去っていった。貴族の御曹司、名門の剣士の若き後継者。その無様な姿に、誰も同情はしなかった。彼がどうなろうと興味はない。誰も振り返らない。
やがて、プラザの喧騒は元の賑やかさを取り戻し、ルナールの存在だけが、まるで切り取られた異物のように広場の真ん中に転がっていた。
レイジは、その光景を黙って見つめていた。
本当に、ここまでの罰が必要だったのか?ルナールは、確かに傲慢だった。貴族の血筋に生まれ、その才能に胡坐をかき、自分が他者より優れていると信じて疑わなかった。
だが、それだけだ。レイジは思う。彼は、何か悪辣な陰謀を巡らせたわけでもない。誰かを陥れたわけでもない。せいぜい、無知で、鼻持ちならないだけの若者だった。その程度の罪が、ここまでの罰に値するのか?
レイジの心に、重苦しい感覚が広がっていく。ルナールの泣き声が、次第に小さくなっていく。レイジは、ただそこに立ち尽くしたまま、その声が完全に消えていくのを聞いていた。やがてルナールはうつろな目でふらふらとその場を立ち去った。
レイジがまだその場にいたの何すら気づかなかったのは、彼の惟一の幸運だったのかもしれない。
「……レイジ様、行きましょう」
隣で、セシリアが苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
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