第二章 「悪魔の街」 第五話
涼しい声が響いた。レイジだった。
「知ってるよ。買い取ったのは俺だもの。」
衝撃の宣言。
ケルスデンの目が大きく見開かれる。
「……え?」
その瞬間浮浪者たちの中から、静かにローブを捨てた二つの影が現れた。
一人は、青白い顔ながらも気品のある女性。もう一人は、まだ幼さの残る少女。ケルスデン市長の妻子だった。
ミカエラ・ケルスデン。ジェーン・ケルスデン。二人は、そこに立っていた。ケルスデンは、その姿を見た瞬間完全に動きを止めた。
「……ミカエラ? ジェーン……?」
声が、震える。エミリアの瞳から、涙が溢れた。
「あなた……!」
その一言で、ケルスデンは駆け出した。
「ミカエラ!! ジェーン!!!」
涙を流しながら、彼は妻子を強く抱きしめた。
「よかった……よかった……!」
妻の肩を抱き、息子の頭を撫で、彼はただひたすら泣いた。レイジは、そんな様子を眺めた。
「俺は結構約束は守るタイプなんでね。」
その光景を、ドルヴァンは顔面蒼白で見つめていた。
「そ、そんな……そんなはずはない……!!」
彼の膝が震え、額から汗が滴る。
「な、なぜ……!? なぜ……!!!」
レイジがニヤついた。
「お前のやり方が単純すぎたんだよ。ちゃんと匿っておけば良いものを売っぱらおうとするからこうなるんだ。」
ドルヴァンの顔から、血の気が完全に引いた。
「う……あ……」
彼の目は虚ろになり、口が震える。
「……あ、ああああああああ……!!」
「アリンカの暴君」は、絶叫を上げ、小便をたれてそのまま気絶した。
兵士たちは、無言のまま彼の両腕を掴み、引きずっていった。支配者の最期は、あまりにも惨めだった。
ドルヴァンの身柄が兵士たちによって引きずられていった後、その場に残ったケルスデン市長は、震える手で地面を掴みながら、国王の前にひれ伏した。
「陛下……!」
声が震える。
国王の瞳が、静かに彼を見下ろした。
「私は……私は、悪魔に手を貸してしまいました……!」
ケルスデンの声には、深い後悔が滲んでいた。
「私は市長でありながら、ドルヴァンの暴虐を止めることもできず、いや、それどころか彼の傀儡として、民を苦しめる側に回っていた……!このような者に、市政を担う資格はありません……どうか、どのような罰でもお与えください……!」
彼の言葉は、本心からの懺悔だった。
市民の中から、すすり泣く声が聞こえる。
誰もが理解していた。
この市長が、決して権力欲のためにドルヴァンに仕えていたわけではないことを。
彼はただ、愛する家族を守るために従うしかなかった。
国王は、しばしの沈黙の後、ゆっくりと口を開いた。
その声は、広場にいるすべての者の心に、雷鳴のように響いた。
「ケルスデンよ」
ケルスデンは息を呑み、顔を上げた。
ただ、厳かに、そして堂々とした威厳に満ちた声。
「命ずる。商人の手下の残党共の討伐と、浮浪者たちのいち早い救済に尽力せよ。」
の言葉が告げられた瞬間、広場全体がどよめいた。
ケルスデンは、一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「……陛下……?」
国王は、そのまま言葉を続ける。
「お前は、自らを罪人と言った。確かに、お前の行いは咎められるべきものだったかもしれぬ。だが、真の罪とは過去ではなく未来を見失うことにある。」
王の声が、広場に響く。
「ならば、その罪を贖うのだ。お前自身の手で、この街を浄化せよ。」
ケルスデンの目が揺れる。
「…私は…!」
「これまで、お前はこの都市をドルヴァンの手によって支配されるがままにしていた。しかし、今日からは違う。」
王は、堂々とした声で言った。
「お前は、市長である。ならば、この都市の民を救う責務があるはずだ。」
そして。
「そのために、王国も手を貸そう。」
その一言が、広場全体を震わせた。
市民の間から歓声が上がる。
「陛下……!」
「アリンカに、ついに救いの手が……!」
人々は、未来への希望を感じていた。
ケルスデンは、目を見開き、やがて、震えながら頭を下げた。
「……陛下……! ありがとうございます……!」
彼の声は、涙に濡れていた。
国王の視線が、静かにレイジへと向けられた。
「……レイジよ。」
低く響く王の声に、レイジはゆっくりと顔を上げた。
「お前は、この都市を救った。その功績は計り知れぬものだ。」
王の言葉に、広場にいた者たちが再びざわめいた。
「本来ならば、お前を正式に爵位へと迎え、このアリンカの市政に加えたい。」
王の提案は、正式な貴族の地位と、都市の統治に加わることを意味していた。
市民たちの間から、どよめきが起こる。
「陛下が、あの男を貴族に……!?」
驚きと賞賛の入り混じる声。しかし、レイジは、ただ静かに微笑んだ。
そして、次の瞬間。
「恐れ多い申し出ですが、辞退させていただきます。」
レイジの返答に、広場全体が一瞬、凍りついた。
王の眉がわずかに動く。王は内心の驚きを抑え聞いた。
「……理由を聞こう。」
レイジは淡々と言った。
「私めには、まだ世界を回るべき理由があるからです。」この街だけではありません、もっと広い世界を見て、やるべきことをやらなければならないのです。」
王は、じっとレイジを見つめた。
レイジの瞳には、一片の迷いもなかった。
国に縛られるのではなく、自由に動くことこそが、彼の本質だった。彼は、都市に根を張る者ではなく、旅する者。それこそが、彼の本質なのだ。
「面白い者だな…。」
王がそう漏らすのをレイジはたしかに聞いた。王は、改めてレイジを見据えると、ゆっくりと宣言した。
「お前に「名誉爵」の称号を授ける。」
再び、広場がざわめいた。
「な、名誉爵!? しかし、彼には領地がないはず……!」
「資産も土地も持たぬ貴族……そんな例は……」
そう、通常、爵位とは領地とともに授けられるもの。
レイジは、貴族でありながら、資産も土地も持たない。それは、この国の歴史上、唯一無二の存在だった。
国王は、静かに言葉を続けた。
「お前は、国家に仕える必要はない。ただ、この地を救った者として、その名を記録に残そう。お前の名は今後どこへ行こうと、王国の名誉として語られることになるだろう。」
王が軽く手を挙げると、側近が何かを取り出し、レイジの前に差し出した。
「持ち運びできる程度の資産」
王は、直接的な報酬として、レイジに一定の金貨を与えた。
それは、旅の資金として十分な額だった。
彼自身の、新たな旅路。資産も土地も持たない貴族。この肩書きが、どこでどのように扱われるのか、レイジ自身にも分からなかった。だが、それでいい。この世界は広い。まだまだ、自分の知らないものがある。
民衆にまじりその全てを、セシリアは息を呑んで見ていた。
そして、彼女は完全に確信した。
この人こそ、私の全てだ。
彼女の心の中で、レイジという存在が絶対的なものになった瞬間だった。
彼は王の前で堂々と告発し、悪を打倒し、ついには「世界にただ一人の貴族」という立場にすらなった。
こんな人間が、この世に存在するのか?こんな奇跡のような人が、自分のそばにいるのか?彼女の胸は熱くなり、視界が滲んだ。
次の瞬間だった。
「レイジ様……!」
彼女の口から、無意識にその言葉がこぼれていた。
宿へ戻る道すがら、セシリアの態度は明らかに変わっていた。
今まではどこか対等な距離感で接していた彼女が――今は、まるで騎士が王を敬うような目でレイジを見つめていた。
「……レイジ様は、本当にすごいです……!王様すら動かし、都市を救い、貴族の称号まで……!やはり、レイジ様はただの旅人ではなかったのですね……!」
彼女の瞳は、完全に熱を帯びていた。
純粋な崇拝。彼が何を言っても、何をしても、すべてが「正しい」と信じて疑わない。
レイジは、そんな彼女の様子を見て、内心で小さく息を吐いた。
(まずいな。これは完全に良くない。)
これは、「ただの好意」ではない。盲信に近い。いや、盲信だ。
俺という人間ではなく、「彼女が作り上げた理想のレイジ」に惚れているのではないか?
問いが、頭の中をぐるぐると巡る。セシリアは、本当に"俺"を見ているのか?ただ単に、俺の「金」や「力」に惹かれているだけではないのか?彼女が思っているレイジ像は、ただの理想ではないのか?
だとすれば、俺は、彼女を"騙している"ことにならないか?
彼女が思い描く「レイジ様」という存在は、本当に自分なのか?それとも作られた英雄を、ただ信じているだけなのか?レイジには答えを出すことは出来なかった
(終わり)
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