第二章 「悪魔の街」  第四話

朝、レイジは何事もなかったかのようにセシリアと合流した。

「おはよう、レイジ!」

彼女は上機嫌だった。

「今日はパレードだね! すごい人だよ!」

レイジは軽く頷く。

「そうだな」

何も知らないセシリアの様子に、レイジは少しばかり苦笑した。

昨夜、自分が命をかけて人身売買の証拠を奪い、ケルスデンの妻子を救出したことなど、彼女は知る由もない。

だが、それでいい。

少なくとも今は、彼女には、ただの旅の仲間でいてもらいたかった。

アリンカの中心広場。

そこには、帝国の栄光を示す巨大な行進が展開されていた。

大通りの両側には何千人もの市民が詰めかけ、パレードの開始を今か今かと待ちわびていた。

町の建物は、帝国の旗で飾られ、兵士たちは緋色の軍装に身を包み、槍と剣を輝かせながら整然と並んでいる。

そして、ついに鼓笛隊が演奏を始めた。

大地を揺るがすような軍鼓の音が響く。

次の瞬間

帝国の大兵団が、堂々たる行進を始めた。

先頭を行くのは、黄金の甲冑を纏った近衛騎兵隊。

彼らは一糸乱れぬ動きで馬を進め、その後ろに、重厚な鎧を身につけた歩兵部隊が続いた。

兵士たちの鋼の鎧が朝日に照らされ、冷たい輝きを放つ。

帝国の力を象徴するこの光景に、群衆は歓声を上げた。

「すごい……!」

セシリアは目を輝かせながら、夢中でパレードを見つめていた。

「レイジ!すごいよ!あれ・・?レイジ?」

そこにはもうレイジの姿はなかった。

そしてついに、国王が姿を現した。

彼は、白馬に跨っていた。

エドワード・ド・レギウス二世、グレスタス王国の絶対的な支配者。

年の頃は六十前後。銀髪を後ろに流し、王冠を戴きながら、威風堂々とした姿で馬を進める。

その背後には、金色の装飾が施された豪華な馬車が従い、さらにその後ろには、帝国の重鎮たちが続いていた。

そしてその列の前方に、二人の男が跪いていた。

広場に設けられた特別席の前。国王を迎えるために、地にひざまづく二人。

アリンカの暴君、マルケス・ドルヴァン。

市長、オラフ・ケルスデン。


ドルヴァンは、堂々とした姿で跪いていた。恰幅のいい身体。贅沢な衣装を纏い、背筋をぴんと伸ばしたまま、悠然と頭を下げる。

それはまさに「支配者」だった。

その隣にいるケルスデンとは、あまりにも対照的だった。彼は、やつれ果てていた。頬は痩せこけ、目の下には深い隈が刻まれ、まるで病人のようだった。貧相な衣服は皺だらけで、その身体は今にも崩れそうなほど細い。

彼は、まるで処刑を待つ囚人のように、震えながら跪いていた。この光景が、すべてを物語っていた。この街の本当の支配者は、ドルヴァンだ。ケルスデンはただの傀儡、いや奴隷だった

国王は、ゆっくりと二人の前で馬を止めた。

金色の瞳が、ドルヴァンとケルスデンを見下ろす。

「顔を上げよ」

低く響く声。

ドルヴァンは、余裕のある笑みを浮かべながら顔を上げる。

「ははっ、陛下、お久しゅうございます」

ケルスデンも、顔を上げた。

国王は、その姿をじっと見つめた。


突如として、広場に異変が起こった。

歓声が渦巻く中、突如として群衆が割れた。

レイジが、浮浪者たちを引き連れ、王の目前に乱入してきたのだ。

「な、何事だ!?」

「衛兵を呼べ!」

兵士たちが素早く反応し、鎧を鳴らしながら武器を構える。

しかしその瞬間、広場に「水の奔流」が広がった。

レイジが腕を振ると、空中に無数の水泡が出現した。

青く輝く球体が、兵士たちの周囲を取り囲み、一瞬で彼らの身体を包み込む。

「う、うわぁぁっ!?」

「な、なんだこれは!?」

鎧を着た兵士たちは、一人残らず水のバブルの中に閉じ込められた。

頭だけが水面に浮かび、かろうじて呼吸はできるが四肢は完全に封じられ、溺れたように動けなくなった。鎧の重みが、彼らを沈めていく。

兵士たちが次々と倒れ、場が静まり返る中。

レイジは、浮浪者たちを率いて国王の目前に歩み出た。

「な、何だ貴様!?」

近衛兵の指揮官が叫ぶ。しかし、彼もまた水泡に捕らわれ、動くことができなかった。

そして、国王の視線が、レイジを捉えた。

白馬に跨るエドワード・ド・レギウス二世は、その堂々たる姿のまま、静かにレイジを見つめていた。帝国を統べる王の目が、レイジの存在を計るように揺らめく。

そして国王の視線が、レイジの背後にいる浮浪者たちへと移った。

レイジに続き、怯えながらも、それでも声を振り絞るように進み出る浮浪者たち。

彼らの顔には、絶望と希望が入り混じっていた。それを見た瞬間、国王はすべてを察した。ただの暴動ではない。なにか「並々ならぬ事情」がある。

王は静かに言葉を発した。

「…説明せよ。」


広場に沈黙が落ちた。

国王の瞳が、レイジを捉えていた。その視線は冷ややかで、鋭く、全てを見通すかのような静けさがあった。

「……非礼をお許しください、陛下。」

王の前で剣を向けることなく、武器を持たず、ただ「真実」を捧げる。それこそが、この場における最も効果的な戦術だった。そして、レイジは告発を始めた。

「ドルヴァン殿は人の皮を被ったオオカミ、いや、悪魔にございます。」

広場がざわめいた。ドルヴァンの表情が、わずかに歪む。

レイジは、その動きを見逃さず、懐から証拠の帳簿と書簡を取り出し、国王の前に差し出した。

「これらは、このアリンカにて長年行われてきた悪魔の所業にてございます。」

国王は無言で帳簿を受け取った。静寂。国王の目が、記された事実を追う。驚くほど冷静ですべてを見通すかのような目だった。

王は静かに書簡を閉じ、再び顔を上げた。

そして、一言だけ発した。

「……ドルヴァンを、今すぐ捕らえよ!」

王の命令が下った瞬間、兵士たちが一斉に動いた。

「な、何をする!?」

ドルヴァンが叫ぶ。

近衛兵が彼の両腕を押さえ込み、乱暴に地面へと引きずり倒す。

「貴様ら、俺が誰だか分かっているのか!? 王国で最も繁栄する商人だぞ!? おい、やめろ! やめろおおおお!!」

彼は必死に抵抗したが、すでに手遅れだった。広場に集まった人々が、息を呑んでこの光景を見つめている。

アリンカの支配者、ドルヴァンはついにここで地に落ちた。

兵士たちに捕らえられながら、ドルヴァンは最後の悪あがきを見せた。

「ケルスデン! 貴様、俺を裏切ったな!」

ドルヴァンの怒りは、市長へと向かった。

「だが遅かったな!貴様の妻子はもう昨日売り払ったぞ!!」

静寂が、広場に落ちた。

ケルスデンの顔が、まるで血を失ったかのように白くなった。

「……な、何……?」

彼の唇が震える。

「嘘……だろう……?」

ドルヴァンは歪んだ笑みを浮かべた。

「ははははは! そうだ、昨日のうちに、俺の手を離れた! どこへ行ったか、俺も分からん!」

「……っ!!!」

ケルスデンの膝が崩れた。

彼は、ただ呆然と地面に崩れ落ち、目を見開いたまま、震えていた。自分は、ただ利用されただけだった。結局、妻と息子を救うことはできなかったのか……?

ケルスデンの肩が小刻みに震えた次の瞬間。


涼しい声が響いた。レイジだった。

「知ってるよ。買い取ったのは俺だもの。」

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