第二章 「悪魔の街」  第三話

セシリアが起きた頃には、レイジはすでに身支度を整えていた。

「おはよう、レイジ」

「よう、よく眠れたか?」

レイジは何事もなかったかのように微笑んだ。昨晩、街の闇を暴き、美人局を撃退し、黒幕の正体を突き止めたことは彼女は知る由もない。

「そういえば、今日もここに泊まるの?」

「ああ。明日、この街で国王の視察があるらしい。パレードがあるそうだ。」

「えっ、そうなの!? 」

「昨日そういう内容の告知があっただろう?」

「全然気づかなかった…。」

「どうする? 一緒に見に行く?」

セシリアはぱっと笑顔になった。

「うん、せっかくだし!」

レイジは懐から数枚の硬貨を取り出し、セシリアの手のひらに乗せた。

「今日は宿か、近くの公園で大人しくしてろ。本でも買ってやるから、適当に読んでろよ」

「…え、なんで? 何かするの?」

「生活するためのツテを探しにギルドに行ってくる。グリムハルト卿の報酬も無限ではないからな。」

頑張ってねと言う彼女を背に宿を出た。

アリンカ市庁舎は、昼間は騒がしい場所だった。官吏たちが忙しく文書を運び、兵士たちが廊下を巡回している。無駄に格式ばった大理石の柱と、年代物の絨毯が敷かれた長い廊下。だが、レイジの目にはそのどれもが無意味に映った。警備はそこそこ厳しい。だが、そこそこである。

こんな程度の警戒では、レイジの「ジャーナリスト時代の隠密スキル」 の前では紙同然だった。

レイジは、さりげなく建物の構造を把握する。

巡回ルートはシンプルの極み。死角になる場所はいくつかある。市長室までには鍵もなかった。あまりに簡単な警備に拍子抜けしてしまった。

レイジは壁際を滑るように移動し、ひっそりと執務室の扉に手をかけた。おどろいた、鍵すらかけていなかった。

レイジは素早く室内に滑り込み、無音で扉を閉めた。市長室は、思いのほか質素だった。

壁際の棚には、分厚い行政文書が整然と並び、机の上には数本のインク壺と、使い込まれた羽ペン。煌びやかな装飾はほとんどなく、どちらかと言えば、実務的な空間だった。

そして、机に座っていた男は、レイジが想像していた暴君の姿とは、あまりにもかけ離れていた。

ケルスデン市長は、五十歳前後の痩せた男だった。小柄で猫背。顔色は青白い。悪徳商人と暴利を貪るような男には見えなかった。

だが次の瞬間、ケルスデンの顔が恐怖に歪んだ。

「ひっ……!?」

突然現れたレイジの姿を見た途端、彼は驚愕し、慌てて椅子を引いた。

「な、なんだ君は!? どこから入ってきた!? 警備は!?」

「市長、落ち着いてください。」

レイジは静かに言った。

ケルスデン市長は慌てて立ち上がり、部屋の隅に後ずさる。額にじっとりと汗が滲んでいる

「な…なんだきみは!ドルヴァン様のものか!?」

やはりドルヴァンと関わりがあるらしかった。

レイジは静かに歩み寄った。」

「……っ!」

「市長、私はあなたに話を聞きに来ただけですよ?話をした結果については存じ上げませんが。」

「昨日の夜、話を聞かせてもらいました。あなたがドルヴァンと組んで、この街の治安を「売り渡した」ってな。」

ケルスデンは小さく息を呑む。

「そ、それは…!」

「市庁舎の兵士たちも、あなたの手下じゃなくて、ドルヴァンの私兵となっておられようですが…?」

ケルスデンの額から、汗が一筋流れ落ちた。レイジはじっと彼を見つめたまま、指で机を軽く叩いた。

「そ、そうだ…。」

(なにかおかしいな…。)

この男は明らかに怯えた素振りだった。しかしそれは自分の悪事がばれるというより、何かもっと重大なことに怯えてるようだった。

「……脅されてるんじゃないか?」

レイジが静かに問いかけると、ケルスデンの表情が一気に崩れた。

「…っ!」

その瞬間、彼の目に、絶望の色が浮かんだ。

「…助けてくれ…!」

まるで、堰を切ったように、彼の声が震えた。

「…妻と、息子が……ドルヴァンに囚われているんだ……!」

レイジの背筋に冷たいものが走った。

「なんだと…。」

ケルスデン市長は机に両手をつき、今にも崩れ落ちそうな声で続けた。

「私は、元々ただの官吏だった。政治に深く関わるつもりはなかった……だが、ドルヴァンが私を市長に据えた。そして、それと同時に……妻と息子を攫われたんだ。」

ケルスデン市長は震えながら、机の上に崩れ落ちた。

「ドルヴァンは言った。「お前が俺の言うことを聞かなければ、妻子をどうするか分からないぞ」と……!」

どうするか分からない。典型的な脅し文句だと思ったが次の市長の言葉に戦慄した。

 「…最悪、ブラック・ローゼズで奴隷として売り飛ばす、と言われた……!」

奴隷として売り飛ばす。レイジの予想を遥かに超えた具体的かつ非道な恫喝だった。事態は思っていた以上に遥かに深刻だった。この街は、完全にドルヴァンの支配下にある。商売敵を排除するだけではない。権力者さえも脅し、服従させている。ケルスデンの蒼白な顔を見つめた。

「…市長、私にチャンスを頂けませんか?」

ケルスデンが息を呑んだ。

「あなたの妻子を、必ず取り返してみせます。」

「…ほんとうに…?」

呆然とする市長に話を続けた。

「こう見えて私は約束は守る男です。ですから…。」

レイジは続けた。

「なんでもいい。なにか証拠になるものを見せてください。」

ケルスデン市長は、しばらくレイジを見つめた。

そして、震える手で机の引き出しを開けた。

「……これを」

彼が取り出したのは、何枚かの手紙だった。レイジはそれを受け取る。

封を開けると、中には達筆な字で書かれた文章が並んでいた。

市長閣下。貴殿の忠誠を疑うようなことがあれば、我々は速やかに制裁を加える所存である。奥方とご子息の無事をお望みならば、今後も貴殿の誠実な協力を期待している。

レイジは短く息を吐いた。ドルヴァンの恫喝の証拠だ。

「なるほど……ご協力ありがとうございます。」

レイジは封を閉じ、ケルスデン市長に言った。

「必ずあなたの妻子は取り戻してみせます。それでは。」

部屋を去ろうとするとケルスデン市長は呼び止めた。

「ま…まってくれ!あなたは一体…?!」

「俺は…。」

レイジは振り返らず言った。

「ただの面倒事に首を突っ込むのが好きなだけの、観光客です。」

レイジはそう言うと市長室を去った。


夜の街は、昼の顔とはまるで違っていた。

商人たちの明るい声は消え、静寂の中で怪しげな囁きが交差する。街灯に照らされた通りには、どこかに急ぐ男たちの影が細長く伸び、路地裏からは密かな笑い声が響いてくる。その中心に、ひときわ煌びやかな館が佇んでいた。ブラック・ローゼズ、表向きは高級娼館。しかし、レイジはすでに知っていた。ここが、ドルヴァン商会による人身売買の本拠地であることを。

「いらっしゃいませ、お客様」

入口で、細身の男が恭しく出迎えた。

「お楽しみいただけるお部屋をご用意しております。どうぞこちらへ。」

レイジは軽く頷き、男に従って館内へと足を踏み入れた。

甘い香水の匂いが漂い、軽やかな音楽が流れている。部屋の奥では、絢爛なドレスを纏った女たちが客の腕に絡みつき、甘い言葉を囁いていた。

だが、レイジの目は、それらの装飾には向かなかった。

彼の視線は、女たちの顔にあった。

笑みを浮かべながらも、その瞳には明らかな諦念があった。

焦点の合わない瞳。空虚な微笑み。客の言葉に機械的に頷く様子。まるで、自分の意志など存在しないかのような人形のような女たち。

(……クソが)

ここはただの娼館ではない。ここは、「囚われた者たち」が売られる場所だ。


娼館の支配人の部屋の奥、書棚の裏。

レイジは廊下に出ると、素早く周囲を確認し、音もなく支配人の部屋へと潜り込んだ。

「……なるほどな」レイジは中へと滑り込む。そこには、分厚い帳簿がずらりと並んでいた。他の帳簿にまじりそれはあった表紙をめくると、そこには明らかな人身売買の記録が記されていた。

ナターシャ(17)銀貨500枚、東部貴族の邸宅へ

ジェイク(8)銀貨300枚、南方鉱山の所有者へ

マリア(29)銀貨1000枚、帝都の愛好家へ

「……最悪だな」

レイジは歯を食いしばる。

ページをめくるごとに、売られていった人々の名が並んでいた。

俺の目はその中にある名前を探していた「ミカエラ」と「ジェーン」、市長の妻子だ。その帳簿に、二人の名前はなかった。つまり、まだ売られていない。

「……まだ間に合う」レイジは素早く帳簿を抜き取り、さらに調べを進めた。

そして、次に見つけたのは、みかじめ料の記録と、商会の関与を示す証拠だった。

アリンカ市場、毎月銀貨5000枚、ドルヴァン商会に納付

市長よりの決済書、ドルヴァン商会への確認済み

衛兵の給与一部、商会より支給

「……決まりだな」

ドルヴァン商会は、ただの商人ではない。

この街を支配する「裏の政府」そのものだった。

扉の向こうから、足音が近づいてくる。男の低い声が廊下に響く。まずい。

レイジは素早く帳簿を閉じ、冷静に息を整えた。

ドアが開き、粗暴な男が二人、部屋へ入ってきた。

「おい、あんた」

鋭い目つきの男がレイジを睨む。

「お前、どこの商人だ? なぜここにいる?」

レイジは無言のまま、懐に手を入れ麻袋を出した。金貨が詰まっていた。グリムハルト卿から受け取った報酬だ。

「……ほう?」

男の目が金に釘付けになる。

レイジは、無表情のまま低く言った。

「俺は、ただの旅人じゃない」

「……どういうことだ?」

「見ての通り、俺は流れの奴隷商人だ。ここの噂は聞いている。」

「この金で、ここにいる奴隷の名簿を確認させてもらいたい。何せ、「上客」には品定めが必要だからな。」

男たちは顔を見合わせた。

「……ふん、なるほど。確かにいい額だな」

欲望の色が浮かぶ。

「いいぜ。だが……変な動きをしたら、ただじゃ済まねぇぞ」


男たちが渡した帳簿をめくる。

そこには、この娼館で商品として扱われる者たちの名が記されていた。

その中にレイジはすぐその名前を見つけた。

そして、その中に果たして、ケルスデン市長の妻子の名があった。

「ミカエラ(48)」

「ジェーン(16)」

レイジの指が止まる。

「……この二人にあわせてくれないか?」

「ん? こいつらか?」

男が帳簿を覗き込む。

「いいぞ、おい、連れてこい。」

数分後。

二人は、ボロボロの服をまとい、鎖に繋がれたまま部屋へと引き出されてきた。

ミカエラはやつれ、青ざめた顔で唇を噛んでいる。ジェーンは恐怖に震えながらも、母の手を強く握っていた。

「……これでいいか?」

「少しだけ質問させてくれ」

レイジはミカエラに近づくと耳打ちした。

「あなたが市長の嫁か?」

ミカエラは震えながらうなづく。

(やはりそうだったか)

レイジは金貨を払い、男たちの目の前で鎖を外した。

怯えきって絶望した二人を連れ、レイジは娼館を後にした。

宿に戻って二人をベッドに座らせた。

「……あなたは、一体……?」

レイジは静かに言った。

「あなたの旦那に頼まれてきました。あなた達を助け出すために。」

ミカエラの目が見開かれる。

「…あなた、本当に夫を知って……?」

「ええ、ご安心ください。ただ然るべき時間が来るまでここで待っていただきたい。」

エミリアの肩が震える。

「……ありがとう……ありがとう……!」

ジェーンはまだ状況を理解できず、混乱したまま母にしがみついていた。

「さて…役者は揃ったな…。」

グリムハルト卿のようなセリフが口をついて出た。


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