第二章 「悪魔の街」  第二話

街の中心から離れた場所にある、古びた酒場。レイジはカウンターの隅に腰を下ろし、酒を注文した。琥珀色の液体がグラスに注がれ、微かに揺れる。レイジはグラスを口に運びながら、店内の客をじっくりと眺めた。野な笑い声を響かせるゴロツキたちが、数人で固まっている。無精髭に、無造作に巻かれた布の肩掛け、傷の残る拳。彼らは明らかに、単なる酔っ払いではなかった。何より、共通点がある。

腕に刻まれた、同じデザインのタトゥー。それは単なる装飾ではなく、何らかの組織を示す印だった。

こいつらが「奴ら」…?

思考を巡らせていたその時、甘ったるい声が耳をくすぐる。

「ねえ、ここに一人?」

レイジが振り向くと、艶やかな黒髪を流した女が立っていた。

くどい香水の香り。スリットの入ったドレスが、わずかに太ももを覗かせていた。

「珍しいわね。こんな場所で、あなたみたいな人が一人で飲んでるなんて」

女は隣に腰を下ろした。酒場の薄暗い灯りが、彼女の滑らかな頬を照らす。

「そんなに珍しいか?」

レイジは彼女の動きを観察する。ほとんど酒を飲まない。何かを計画してるようだ。

声のトーンが変わる。目元を細め、頬に指を当て、わざとらしく艶を帯びた仕草を見せる。

「ねえ……なんだか酔っちゃったみたい」

嘘だ。

グラスの中の酒は、彼女が口をつけたはずなのに、ほとんど減っていない。顔に赤みもない。呼吸も乱れていない。

「ねえ……一緒に宿まで行かない?」

女の指がそっとレイジの手に触れた。爪先がわずかに首筋をなぞる。艶のある瞳が、誘惑するように見つめてくる。なるほどと思った。

営業、あるいは美人局(つつもたせ)。

この街で「女が男を誘う」となれば、ほぼ二択しかない。娼館の客引き、あるいは、騙される男を狩るための罠。どちらにしても、彼女は「奴ら」の影に繋がっている可能性が高い。

 レイジは軽く肩をすくめ、グラスを置いた。

「わかった。行こう」

女の顔に、かすかに満足げな微笑が浮かぶ。

彼女はふわりと腕を絡め、甘い香りを残しながら、レイジを酒場の外へと導いた。

夜風が、街の熱を静かに冷ましていく。周囲の音に耳を澄ませる。そして聞こえた重い鈍い足音。

レイジは軽く息を吐く。

(なるほど。美人局…。)

あまりに分かりやすい。そして、街の外れにある安宿につく。

女が微笑む。

「ここなら、静かに過ごせるわ」

まるで、「誰も邪魔しない場所」を強調するような言い方だった。


安宿の扉が軋みを立てて閉まると、静寂が落ちた。

「ねえ……あなた、本当に素敵な顔をしてるわ」

女が艶めかしく微笑みながら、すり寄ってくる。白い指先がそっとレイジの腕をなぞる。その仕草は一見自然だ。にしては素人くさい演技だった。

「まさか、こんなところでこんな素敵な人に出会うなんてね……。」

甘く囁く声。だが、レイジはただ、冷静に観察していた。

(そろそろだな)

そしてはたして、扉が乱暴に開かれた。

「おいてめえ!俺の女に手ぇ出したな!!」

野太い声とともに、巨体の男が現れる。がっしりとした体格、分厚い胸板、拳の節くれだった骨の太さ。男はレイジを睨みつけ、ゆっくりと歩み寄る。あまりにも典型的すぎる展開だった。素人の三文小説のような展開だ。

レイジは一歩踏み出した。次の瞬間、男の手が動く前に、レイジの指がナイフの柄を掴んでいた。ほんの一瞬、男の目が見開かれる。自分の手から、ナイフが奪われたことすら認識できていない。レイジの指がわずかに角度を変え、鋭い刃が男の首筋にぴたりと吸い付いた。沈黙。

男の喉仏が、ナイフの冷たさに反応して小さく動く。

「…お前…。」

震える声。だが、レイジの視線は別のものを捉えていた。

男の腕に刻まれたタトゥー。あの酒場で見たゴロツキどもと同じ紋様だった。

「運が悪かったな。」

微かに刃が皮膚を押し込むと、男の体がびくりと震えた。その瞬間、後ろで女が小さく悲鳴を上げた。

「ちょ、ちょっと、待って!」

先ほどまでの誘惑的な雰囲気は消え失せ、女の顔には明らかな動揺が浮かんでいた。

女を無視するように話を続けた。

「命拾いしたな、俺は血を見るのが苦手でね。でも、おかしなことをしたらどうなるか…分かるな?」

そして、レイジはゆっくりと問うた。

「お前らのバックにいるのは誰だ?」

その問いに、二人の顔が一瞬で蒼白になった。

 

男の顔から、血の気が引いていった。

ナイフの冷たい刃が首筋に押し当てられたまま数刻たつ。彼は絞り出すように言った。

「…マルケス・ドルヴァン…。」

その名が落ちた瞬間、部屋の空気が凍りつくようだった。

「ドルヴァン?」

レイジが静かに問い返すと、男は小さく頷く。

「この街で最も栄えてる大商人だ…。」

レイジの脳裏に、昼間の街の風景が蘇る。

ドルヴァンズ・ダイナー、ドルヴァンズ・グロサリー…。

確かに、あの街には「ドルヴァン」の名を冠した店がいくつもあった。飲食店、雑貨屋、宿、果ては酒場までもが、彼の名のもとに営業していた。

「自分より儲けてる奴、質の良い品を売る奴……気に入らねえ奴は、全部潰した。その後には、新しいドルヴァンズの店ができる…。」

(要するに、商売敵を「殺して」土地を奪い取る。わけか。)

男の喉がごくりと鳴る。

「最近……あいつは、市長のケルスデンと結託した……」

「……市長と?」

レイジの目が細まる。

「そうだ。今の市長オラフ・ケルスデンは、あいつと結託したんだ。奴はアリンカの治安をドルヴァンに売った。」

女が震える声で続けた。

「つまり……この街に警察はいないのよ……いるのは、「ドルヴァンに都合の良いコマ」だけ」

(あいつらは、死んだ…そういうことか)

「……アリンカの暴君ってわけか」

俺はナイフを下げた。男はへたり込んだ。


「終わった……終わった……!」

男が、子どものように泣き叫んだ。

「終わりだ! ドルヴァンに知られたら、俺たちは!!」

女も顔を覆い、嗚咽を漏らしている。二人とも完全にパニックに陥っていた。男の身体は震え、女の指先は顔の前で痙攣している。先ほどまでの狡猾さは、跡形もなかった。

レイジは、そんな二人を無表情に見つめていた。そして、次の瞬間、無言で手持ちの金を投げた。

金貨の輝きが、薄暗い室内で鈍く光る。男と女が、泣き止んだ。二人は呆然としながら、床に転がった金を見つめた。

「……なんだ、これ?」

男が震える声で言った。

「グリムハルト卿の領地に逃げろ」

レイジは淡々と告げた。

「グリムハルト……?」

女が驚いた顔で聞き返す。

「そうだ。あそこは辺境の地だ。ほぼ自給自足で成り立ってる。商業に頼らない土地だから、ドルヴァンの手も届かない」

二人は互いの顔を見合わせた。

「野生動物が危険だがもう盗賊も出ないしいいところだ。」

レイジは続ける。

「この金を使って、向こうで家でも買え。そして、まともに働いて生きろ」

二人は金貨を握りしめたまま、まだ信じられないようにレイジを見つめた。

「……助けるつもりなのか?」

男がようやく絞り出した言葉に、レイジは短く答えた。

「もう二度と、こんな馬鹿げた商売に手を出さないと約束するならな。」

男と女の喉が鳴った。レイジは静かに目を細めた。

「俺はこう見えて気が短い質でな、俺の気が変わらないうちに早く行ったほうがいい」

その言葉を聞いた瞬間、二人は金を掴み、我先にと部屋を飛び出した。

扉が乱暴に開かれ、足音が遠ざかる。

部屋に一人残された俺は考えた。

「次は、市長だ。」


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