第19話


奏に連れられて入った佐紀の部屋。壁に寄せて置かれたベッドに佐紀は眠っていた。部屋に入っても、ベッドの隣に座っても目を覚まさない佐紀を見つめる。あの時と、同じ。熱を出した先に、私は来ている。

目が覚めるのを待とうと荷物を置く。長期戦を覚悟したのに、私が座ってすぐに少しずつ苦しそうに呼吸が短く浅くなっていく。私のせい。そんな感情も襲ってくるけれど、あまりに辛そうで起こそうと何度か声をかける。でも全然起きなくて、苦しさが強くなっていくようで、気づけば大声になっていた。

私自身驚いてしまう。自分が思っているよりも、佐紀は大きな存在なのかもしれない。

そうして、薄く、徐々にしっかりと開けられた目が私を捉える。視線が重なった瞬間、身体は緊張で 痺れが走った。



「………れ ん、」


「………」



見つめられる目に、呼ばれた名前に、声が出なかった。佐紀の表情は、泣きそうで、でも怒っているようにも見えて、でも何を答えていいのか分からない。そうして熱のこもった身の佐紀がゆっくりと口を開き、代わりと言わんばかりに音を出した。



「恋は、私の何を知ってるの?」



その言葉は、心臓に刺さったように苦しくなる。佐紀のその言葉が、どういう意味なのか計り知れなかった。



「………」


「……、…………、」



私は、佐紀の真っ直ぐに向けられる目に耐えられずに目を逸らしてしまう。逃がさないように、佐紀の言葉がそれを追ってきた。



「恋、」


「……うん」



私には、佐紀が分からない。寝込んで、うなされて。目が覚めたらこんなにも自分に向き合ってくる。今まで――最後に会ったあの時なんて泣いて、姿を消したのに。別人のようで、恐怖すら感じてしまう。息を僅かに切らせて、熱に侵される体に弱々しさを醸し出すのに、その姿はかけ離れていた。



「淫魔とか、知らないし…サキュバスとかも、知らない」


「えと、…淫魔って言うのは」


「いい。知らないし関係ない。なんとなく分かるし、でも、分かりたくない」


「………ごめん、」



迷いない言葉は、鋭い剣のようで、硬い盾のようだった。私の言葉は次々跳ね返されて、心に刺さる。



「………れん、」


「……」



なのに、私の名前を呼ぶ佐紀の声は優しい。その音が耳に吸い込まれて、体が震える。その優しくて少し低い声が、愛しくて苦しい。



「っ!」



体の奥が震えて、目を瞑る。瞬間、手に何かが触れて体が跳ねた。予想外のそれは、熱い手が、いつの間にか固く握りしめていた私の手に触れていた。

目を逸らしていた間に、佐紀は布団を退けて体を起こしていて、止める間もなく足を降ろして私と向き合う形になる。



「佐紀、体……」


「恋が、誰かに触られたり、とか、触ったりとか…嫌だ」


「――、」



触れる手に力が込められて、逃がさないとでも言うかのようだった。佐紀が必死に向き合おうとしている事が伝わってくる。

一息くっと堪えて、真っ直ぐな目を見返した。少しの時間を置いて、再び佐紀が私に言葉を送ってくれる。



「私は、恋が好き」



――好きなんだよ、恋。



あの時と同じ言葉を投げかけられて、トラウマのように私の頭にはあの時のことが蘇ってくる。惑わし傷つけた自分が、受け入れていいわけがないと、そう思った。向き合うことは、受け入れることとイコールじゃない。



「…佐紀、私は…」


「知らないよ」



それでもそんな私の意思は、佐紀の盾と矛に適わなかった。



「…恋が、何者とか、何してたとか、知らない。」



あまりにも真っ直ぐで、硬くて、鋭くて。



「恋。…私は、恋が好きだよ、」



今までとは違う佐紀に、今までのように心の外側だけで、やり取りできるわけがない。



「恋は、他の人たちと一緒だって言ったけど、 一緒なんかじゃない。一緒にして欲しくない。恋がなんて言ったって、そんなの…知らない」



――だって、恋は私がどれだけ想ってるかなんて知らないでしょ?

そんな言葉が聞こえてきた気がした。

心臓が強く打つ。脳がしびれる。佐紀の声を聞き逃したくないのに、身体は遠ざけていく。



「私の事、好きか、そうじゃないかだけでいい。ごちゃごちゃしたこと、考えたくない」


「………っでも、」


「…私は、恋のこと否定したいんだ」


「……え?」


「私が、どうとか、恋が何なのかとか…、どう考えても仕方がなくて。恋が好きってことだけは、恋に勘違いしてほしくない」



ふと、気づく。こんなにも近くて、こんなにも心が乱されて、サキュバスである本質が漏れだしていないわけがない。

強く握られた手はどこか耐えているようにも感じられた。



「……だめ」


「恋、」


「聞いて、佐紀。私も、ちゃんと話そうと思ってる」



彩夏に、『謝る』って言った自分を思い出す。でも、きっと。そんなものは自己満足でしかなくて佐紀は求めてなんかなかったんだ。



「酷いこと言ってごめんなさい。夢に入り込んだことも、そのせいで傷つけた、ことも」



それでも、謝ってしまうことを許してほしい。それすら怒られてしまったとしても、これは私なりの意思表示だった。



「私、自分のことばっかり考えて佐紀に甘えてた」



でもそれだけじゃダメって、佐紀に向けられる言葉で、目で、熱で。わかったんだ。



「だれに触られても、好きって言われても、どうせ淫魔だからって思って。今まではそれでよかった。どんなにそういうことされても、ただの食事だったから。…あの日からは、大切な人傷つけた、そんな私が何かを求めていいとは思えなかった」


「………」


「でも、でもね。佐紀」



そっと、私の手に重なる、未だ力の込められた佐紀の手に触れる。今度は佐紀が体を跳ねさせる番だった。

あまりに素直で純な反応に、心がくすぐられて笑みが零れる。



「佐紀に抱きしめられただけで、どうにかなりそうだった」



佐紀の手を、ほぐすように両手で優しく包む。



「少し触れただけで、熱くてたまらなかった…今も、そう」



迷いながら上げた先で、視線が佐紀と重なる。燻ぶる身体が、一段と熱を上げた気がした。それでも、その視線を外すべきじゃない。目の前の泣きそうな大切な人を、これ以上傷つけたくはない。



「………」



熱のせいか、熱すぎるほどの体温。そんな体を抱えて。むしろ、身体が悲鳴をあげるまで負担をかけて。

その身を、その心を、私に傾けてくれている。佐紀に盾と矛なんてない。

ただただ、包み込んで、受け止めて、溶けていくような、感覚。



「私も、佐紀が好き」



それに、甘えてしまっていたんだ。でも、甘えちゃいけなかったし、そして私の想いは実るべきじゃない。でも、そんな自分の戒めに、佐紀を巻き込んじゃいけない。



「…ごめん―」



言葉が、佐紀の手によって途切れ、頬に触れた佐紀の手が冷たくて僅かに濡れていることに気づかされる。

一気に詰められた距離は、佐紀によってゼロになった。



「れん、っ」


「ん、……、」



初めてにしては、深すぎるほどのキスだった。そう気づいたのは、互いの漏れる息と鼻に抜ける声が、鼓膜を揺らしてからだった。



「っ、だめ、佐紀」



佐紀の手が私の頭を固定してきて、逃げ道を失う。熱い舌に惑わされて、思考が止まりそうで、あまりに淫らで佐紀こそがサキュバスなんじゃないかと疑ってしまう。



「いい、知らない、っ」


「だめっ、私、!んん、!」



這う舌も触れる手も、間近に重なる視線も発される声も、すべてが熱を持ちすぎて



「好き」


「っ!」



暑い、熱い、アツい。


身体が、芯から燃えるようで。

君が―貴女が―

欲しくてたまらない。



「あっつい、、」


「ん、ぅ。さき…っ」



この体の熱も、肌の熱さも、

貴女にだけ―君にだけ。


ダメだって思うのに。佐紀にこれ以上触れちゃいけないって、ちゃんとさよならって伝えなきゃいけないのに。心も体も、佐紀がどんどん入ってきて、ただただ、佐紀の熱に呑まれた。



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