2-1
キャリアにならなかった渡を、父は嘆いていた。
昔も今も、金が全ての男だった。
彼は一代で広告会社を築き上げ、その会社を一流企業にまで成長させた。
今では事業を拡大し、デパートからレジャー施設、IT産業まで十社以上もの企業を手がけている。
父の椅子はいずれ、今はまだ大学生の弟に譲られるだろう。
父の事業を継ぐ気は渡には全くない。
それどころか傲慢で身勝手な父親と縁を切りたくて、渡は大学卒業と同時に家を出た。家を出たことで、父との関係が切れたと思っていた。
だが。
渡は1DKのアパートでコーヒーを飲み、溜息をついた。
帰り際の署長の一言が、渡の胸に深く食い込んでいる。
「渡グループのお坊ちゃんじゃ、人一人追いかける体力もないか」
えらの張った顎を突き上げ、嫌味をふんだんに篭めた言い方で、彼は署長席から渡を見上げていた。
現場を確保し、応援を呼んだあと、第一発見者として渡は他の刑事から一晩中拘束されていた。長時間に及んだ事情聴取後の一撃に、渡の心は真っ暗になった。
署長は渡が不審人物を逃がしてしまったことを、腹立たしく思っているのだろう。
それは自分の責任だと、渡は充分すぎるほどわかっていた。
とんでもないミスをしたと心底思い、ただひたすら署長を前に、謝ることしかできなかった。
相手は犯人かもしれない男だったのだ。それをみすみす逃し、捜査を長引かせることになってしまった渡の責任は重大だ。
だからどれだけ追及され、責められても仕方のないことだった。だが、まさか署長の口から「渡グループ」の名が出るとは思わなかった。
渡社長のボンボン。どこへ行ってもそういう目で見られる。
「言われたくなかったら、実力を見せろ」
あの時、思わず表情が出てしまった。署長は鋭い瞳で渡を捉えていた。
「まだ若く、現場経験が浅いからといって、甘やかすことはできない。いいか、殺人事件は毎日起こっているんだ。現場に甘えは通用しない。しっかりしろ」
偉そうでも、彼の言うことはもっともだった。次の招集がかかるまで自宅で待機しろ、との命令が下り、渡は今こうして眠気覚ましにコーヒーを飲んでいる。
次の仕事に没頭するために無理矢理眠ろうとしても、頭が冴えて眠れないのだ。
初動捜査にも加われない虚しさが胸の中に凝り固まって拭えず、その上狡猾で計算高い父の、日焼けした顔が頭から離れなくなった。
政治、財界、警察。父の顔はどこにでも通用する。
そしてまた、それが当たり前だと父は思っている。
何度でも溜息が出る。渡はコーヒーを飲み干し、新聞に目を通した。
光嬢のように、父に反抗していちいち目くじらを立てる年齢は、とうに過ぎた。
二十七歳にもなれば、親の立場や考え方も少しずつではあるが、理解できるようになる。
父の意向とは逆に、長男が事業を継がず、警察官を志したことを認めてくれた。
その点では、渡は父を評価している。ただ、彼はいつでも汚い方法で子供の望みを叶えようとするのだ。金と名誉とコネ。それが全て。
だから小学生の頃、渡が刑事になりたいと言い出したとき、父は当時警視正だった有馬に近づいた。渡の夢をコネで買おうとしたのだ。
ホテルを借りて毎年催される父の誕生パーティーには、警察幹部がこぞって来ていた。
そこで渡を逐一紹介し、度々実家に有馬一家を招いては、「お嬢さんの面倒を良く見ておけ」と命令した。
「いいか、こういうところで点数を稼いでおくんだぞ」
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