猫とわたしとビッグなひなまつり

秋嶋二六

猫とわたしとビッグなひなまつり

 この時期、地元の神社では石段に雛人形を飾っている。


 元々はどこかの町が始めた企画をそのままパクったらしい。


 ただ、本家に劣らず、石段を埋め尽くす雛人形は壮観だ。


 石段の最上部にはひときわ大きいお内裏様とお雛様が鎮座し、その下に所狭しと雛人形が並べられている。


 五人囃子ならぬ百人囃子、三人官女ならぬ九十人官女、正確な数はわからないが、その多さに圧倒されることだけは請け合いである。


 そればかりか、本来なら一対しかないはずのお内裏様とお雛様も大勢並んでいる。むしろ、この二体の雛人形が最も多く並べられているようだ。


 人間たちにはちょっとした非現実的なお祭りではあるが、それ以外にとっては迷惑な話だっただろう。


 この石段を縄張りにする猫がいた。雄のサビ猫だ。とてつもなく顔がでかいのが特徴で、見ていると遠近感が狂ってくるような錯覚に襲われたものだ。


 彼との出会いは三年前だったか。東京で夢破れて、地元へと帰ってきたわたしは運がなかったのだと思い込み、寺社巡りをしていた。その折に会ったのが彼というわけである。


 石段の中程、ちょうど参拝に来る人間を見下ろせる場所が彼のお気に入りらしい。


 最初に見たとき、サビ柄が保護色になっていて、その存在に気づかず蹴飛ばしてしまうところだった。


 そんな初対面の相手からの無礼を彼は黙って受け入れてくれた。多分、眼中にないのかもしれないのだろうが。


 それからだ、彼との付き合いは。時間が余れば、この神社に寄り、しばしば彼の隣に座って、他愛もないことを話したものだ。端から見れば、猫に話しかけるイタい人に見えたかもしれない。


 彼には名前がないようだった。ためしにいろいろと名前を言ってみたが、いずれも反応はなかった。唯一、社務所の彩羽いろはさんの「ご飯」という言葉にだけは過敏に反応した。


 ちなみに猫に話しかける姿を見られたのが縁で、彩羽さんとつきあうことになった。わたしと彼女を引き合わせてくれたこの猫に敬意を払い、「ゴハンサン」と呼ぶことにした。


 恋のキューピッドにしては愛嬌も愛想もないゴハンサンはいつもの場所でいつものように座っている。


「まるで誰かを待っているみたい」


 そう彩羽さんは言う。


「随分と乙女チックなことを仰いますな?」


 ちょっと茶化してみたら、彩羽さんに脇腹を殴られてしまった。


「ぐっ……で、誰かって誰なの?」

「えーとね、お嫁さん?」


 言い終わるやいなや、彩羽さんは再びわたしの脇腹をどついた。照れ隠しにわたしを使うのは是非ともやめていただけたらと思う。


 そんな他愛もないやりとりを見ているのか見ていないのか、ゴハンサンはずっと参道のほうを見つめていた。


 そうして時が過ぎ、石段を雛人形で飾る日がやってきた。ボランティアで雛人形を並べてみたが、これがまた重労働。バイト代はいらないのかと聞いた彩羽さんの言葉がこのときようやくわかった。


 彩羽さんと近い将来お義父さんと呼ぶことになる神主のつなぐさんの許可を得て、ゴハンサンの定位置とその左隣を空けることにした。


 もしかしたら、ゴハンサンというお内裏様の許にお雛様がいらっしゃるのではないかと思ったからだ。


 そう都合のいいことがあるはずもないと思っていると、ゴハンサンが本殿のほうから下りてきた。器用なことに雛人形を一体も倒さず、当たり前のように定位置につく。


 このゴハンサン、いつも現れ方が違う。今日のように本殿から下りてくることもあれば、参道から上がってくることもあるし、東側の崖を登ってくることもある。かと思えば、西側の森からぬっと現れたりもする。一体どこを塒にしているのやら。


 彼がいつもの場所へと収まると、観光客が笑いながら、彼の様子を写真に撮っている。お内裏様にしてはやけにふてぶてしく見えるからだろう。


 観光客の波が一旦引いて、遅い昼休憩に入ろうかというときだ、参道のほうが少し騒がしくなった。


 外に出て確かめてみると、参道の中央を一匹の猫がこちらへと歩いてきているようだった。


 明るい色の茶トラだ。見ようによってはオレンジ色にも見える。その茶トラは他の観光客などお構いなしに、尻尾をピンと伸ばし、まるでブロードウェイをモンローウォークで行くがごとく、優美に歩み寄ってきた。


 そして、石段の下まで来ると、一足飛びでゴハンサンの隣へと軽やかに降り立った。


 それは小さな奇跡だった。ゴハンサンの許にお雛様がやってきたのだ。


「すごい。でも、あの子、男の子じゃないよね?」

「感動のシーンが台無しの巻」


 彩羽さんは元レディースにして、腐女子という両極端の属性を持っている。


 それはさておき、茶トラの猫が隣に座ると、ゴハンサンはようやく置物から猫に戻り、茶トラを隅々まで嗅いで回った。茶トラのほうもゴハンサンの匂いを嗅ぐ。


 しばらくお互いの存在を確かめ合っていたが、やがてゴハンサンは石段を下り始めた。その後ろを茶トラが続いていく。やがて二匹は参道を並びながら、長年夫婦だったかのように睦まじげに下っていった。


 やがて行事が終わり、雛人形が撤去される頃になっても、ゴハンサンは戻ってこなかった。それどころか、ゴハンサンがあの石段に座ることは二度となかった。


 ゴハンサンはもう虹の橋を渡ってしまったのかもしれない。そう鬱々とした日々を過ごしていると、あの茶トラが子供を連れて帰ってきたのだ。


 茶トラ、きなこと名づけられた彼女の子供は四匹。うち三匹は母親似の茶トラで、もう一匹があのゴハンサンの生き写しであるかのようなサビ猫だった。まだ子猫であるのに、このふてぶてしさはまさしくゴハンサンそのもののように思われた。


 だけども、もうあの石段に座るゴハンサンはいない。きなことその子猫たちを社務所で飼うことになっても、彼らは誰一匹としてあの場所に座ることもなかった。


 さらに時は過ぎ、再び雛祭りの季節がやってきた。彩羽さんの中にはもう一つの命が宿っている。


 今年も雛人形を並べる作業に追われる。やはりゴハンサンの場所は空けてある。もしかしたら、またふらっと戻ってくるのではないかと思ったからだ。


 そんな埒もない空想を笑うように、西風が吹いた。


                                    (了)

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猫とわたしとビッグなひなまつり 秋嶋二六 @FURO26

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