先生、バナナはおやつに含まれますか?

惑星ソラリスのラストの、びしょびし...

第1話

「先生ぇ、バナナはおやつに含まれますかあ?」とイトウくんが間延びしたテープのような声を上げると教室中にどっと笑いがおこる。教壇に立って黒板のほうを向いていた先生が悲しげに僕たちのほうへ振り向くと体表がやや青さの残る緑から黄に変わり次いで赤い茶から今はもう真っ黒に染まる。先生のぶ厚い皮の内側はきっとじゅくじゅくと崩れ落ちているのだろうとおもう・その証拠にむっとするような甘ったるい、腐ったにおいがあのぶ厚い皮ごしにも漂ってきてそれが教室中に満ちるとイトウくんは悩ましげに股間をおさえて前のめりにうずくまってしまうし他の生徒たちも目眩・吐き気・頭痛・怒張におそわれる。

 おもむろに先生が口を開かれるが口と思しき器官がどこについているのかはあれから60年経った今思い返しても分からない。とにかく先生がおっしゃられたのはまず「先生は……」という悲しげに震え・掠れる声で次に嗚咽が先生の全身、つまりあのバショウ科バショウ属のぶ厚い皮に覆われやや反りのある棒状のきわめて握りやすいポータブルな形状から発せられると女子生徒の矢のような氷のような石や礫のような砕けた木片割れたガラス三角形の鋭角はさみの先卓上蛍光灯の硬質の明かりのような視線がイトウくんに突き刺さる。イトウくんはいまだ前のめりの姿勢から回復しておらず脂汗を流しているのでそのような視線にはかかずりあわない(「俺はこの時精通したんだよ、だから今でも……」と数年前久々に会った彼が言い、その数日後に彼は死んだ)。すると教壇の先生が無脊椎生物のごとく蠕動しその振動は足元の教壇・床を通じて教室全体に広がり足の長さの揃わない椅子机がカタカタと音を立てその律動の拍動は生徒のうちある種の高い感受性をもった子の潜在意識下に集団妄想のごとく感染する。それらの、感染した生徒の、白く瑞々しい生命力あふれた童の肌は黄に赤に茶に黒に染まり皮膚は垂れさがり皺がきざまれてシミがいたるところにあらわれ、その全身からは甘美な腐臭がはなたれ、彼らは教壇の先生と同じく無脊椎生物の激しい蠕動を発し始める。それら蠕動の波の周波はまったく同期していて丁度プールの授業で皆んなで一方向にぐるぐると回ったときにできるあの巨大な渦の力(それはまったく抗いがたい力だ)を僕に思い起こさせる。壁に貼られた掲示物(学級新聞や習字──毛筆で書かれたたくさんの「税の力」──が剥がれおち、水槽の水は左右に激しく揺られメダカが宙をまって床に叩きつけられるのはあわれだ。窓や戸板がかたかたかたかたと悲鳴を上げ天井にひびがはしり蛍光灯ががしゃん! と破裂して砕かれた光の粒子が僕たちの目や鼻に入り込む。そのふるえのなかで机にしがみついて僕は先生を見る。

 先生はなにかをおっしゃられようとしている、と僕ははっきり感じる。先生の発する振動の波は今や彼自身の周囲の光の波長に干渉しそれを増幅させる。先生自身がまばゆい光の中のくっきりと明瞭な影(それはやや反りのある棒状のきわめて握りやすそうな影)として屹立するのが見える。光は更に力を増しもう僕は目を開くことができない。そして視力の、まったくうしなわれた世界で先生が口を開かれるのを確かに僕は見た。

「先生は、バナナでした──」

 すると光が消える。蠕動が消える。あたりは元の通りの教室の風景だ。先生のすがたは無く代わりに教壇にはべろりとしたぶ厚い先生の皮が落ちている。皮の内側はまだあたたかく湿っている。まるで蛹のようだ。

「ほら、あそこ」と窓際の少女が窓の外を指差して言うので僕たちもまた窓の外を見る。すきとおった羽(それは空気そのもののはたらきを薄い一枚の膜に閉じ込めたように見える)をもつとてもおおきな蝶がグラウンドのうえをひらひらと泳いでいるのが見える。五月の風が吹くと蝶は青空の向こう側へと消えてしまった。

「先生は、蝶になられたのね」と少女が言った。

 

 僕はクラスメートだったはずのこの少女の顔と名前を今も思い出せないでいる。

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