恒星間飛行

京野 薫

恒星間飛行

 目の前には真っ暗な世界が広がっていた。


 でも、足下にはずっと先まで一面の水。

 それは大きな地底湖のように広がっている。

 どこまで広がっているのか分からない。


 そして、天井……って言って良いのかな?

 頭上には同じようにずうっと先まで広がる一面の水。

 そう、脚物に広がる地底湖とおんなじ光景が続いている。


 つまり、わたしはずっと続く地底湖に足下と頭上をサンドイッチされているんだ。

 その二つの湖は所々に明かりのような物がぼんやりと灯っている。

 なんだろう……って足下の光をのぞき込んだわたしは「ひゃっ!」と声を上げてしまった。


 それは甲羅が光る亀さんだった……けど、頭だけは人間の男の人だ。

 その顔はわたしを見て、ニヤリと下卑た笑い顔を浮かべるとそのまま近づいて来た。

 けど次の瞬間、隣のネズミさんのステッキで顔を叩かれて「ぐぎゃ」とカエルのような声をあげて、向こうに泳いで行った。


 ああ……頭が人間の亀さんってこんなに気持ち悪かったんだ……


「どうだい、エリカ? 魂の住処は。綺麗だろ」


 隣のネズミさんはどこか得意げに言う。

 わたしと同じくらいの大きさなのに、どこか偉そうだ。


「亀さんが気持ち悪い……」


「慣れだよ。コイツもよく見ると可愛い。あ、でも食べるのはオススメしないね。汚れた魂は美味しくない」


「食べないよ……お腹も空いてないし」


「それをオススメするよ。それに君は、親友を助け出したいんだろ? 休んでいるヒマは無い」


「うん、私……絶対にカオリを助けたいの。たった1人の友達なんだもん。有り難う、案内してくれて」


「どういたしまして。君みたいな純粋な存在は僕も興味津々だからね」


 そう言ってネズミさんは胸を張りながら答える。


 わたしとカオリは同じ小学校に通う友達だった。

 でもある日、カオリが事故に遭って……一緒に学校から帰るときに、私の目の前でトラックに挽かれてしまったんだ。

 6歳くらいからずっと仲の良かった友達。

 内気で友達の居ない私の大切な大切な親友。


 泣き続けて、絶望のそこにいたわたしは夢の中でネズミさんに出会った。

 そのネズミさんは言ったのだ。


「友達の魂は今、別の世界で順番待ちしている。今ならこっそり助け出せるかも知れない。君に覚悟があるなら案内してあげるよ」と。


 わたしは頷いた。

 親友を助け出せるなら何を犠牲にしたっていい。

 カオリがそばにずっと居てくれるなら、どんなことでも出来るんだ。


 そう思って、ネズミさんについてカオリの魂を取り戻す旅に出た。


 で、最初に来たのがこのサンドイッチされてるみたいな地底湖。

 暗闇の中に時々聞こえる「ちゃぽん」「たぷん」と言う水音。

 それが消えると……しん、と静寂。


 全部の音が湖に吸い込まれたよう。

 静かすぎて耳がきん、となってくる。

 亀さんが居なくなったのかな?

 目の前で誰かが真っ黒な絵の具を塗っていくように、じんわりと真っ暗になっていく。

 目の前が見えなくなると、今度は水のどこか生臭い湿り気の混じる匂いが飛び込む。


「さあ、行こうか。僕の手を取って。僕の後に続くんだよ。でないと、落ちたらもう浮かび上がって来れないから」


 頷くと、ネズミさんの手を取って歩いた……水の上を。

 なんでか分からないけど、歩ける気がしたから。

 で、ホントに歩けた。

 嬉しいな。


 そうして歩いていると、突然横でばしゃ、と言う水音。


 隣を見ると、髪の毛も眉毛も無いつるっつるの女の人の顔が水面から覗いていた。

 ひ、っと悲鳴を上げると、女の人は驚いた顔で頭上の池に向かって飛び込んだ(?)


「あ~あ、驚かしちゃダメだよ。あれは怖がりで死んじゃった人の魂なんだから。ああやって池の中に隠れてるんだ」


「それがなんで出てきたの?」


「怖かったから」


「わたしが? あなたが?」


「なんでだろうね」


 どこか面白そうに言うネズミさんに(教えてくれてもいいじゃん)とムッとしながらも黙って歩く。

 カオリを取り戻すんだ。

 ネズミさんなんかどうでもいい。


 歩いていると、目が慣れてきて段々周囲を見れるようになってきた。

 でも、良いことでは無かったみたい。

 ふと足下を見た私は悲鳴を上げた。


 私たちの歩いている水の真下に、何十匹だろう……さっきみたいな男の人や女の人の顔の亀さんが文字通りビッシリと集まってわたしに向かって、まるでエサをもらおうとする鯉みたいに口をぱくぱく。


 慌ててネズミさんにしがみ付くと「僕から離れなかったら大丈夫」と言って、水の中に手を入れて一匹の亀さんを掴みあげると、遠くに放り投げた。


「こういう程度の低い魂は嫌だね。まあエリカは大丈夫か」


 ●〇●〇●〇●〇●〇●〇●〇


 湖を抜けると、今度はいきなり和風のお屋敷の中に出た。

 四隅が全部一面の大きな障子に囲まれている。


「四隅、どこでも好きなところを開けて」


「決められない」


「自分のちょっとでも興味がある所で良いよ。そこがエリカが導かれている場所だから」


 導かれている……と言うことはカオリが居るところ。

 覚悟を決めて目の前の障子を開けた。

 すると、そこには砂漠の景色が見えた。

 砂漠の砂丘をラクダや沢山の人影が歩いているのが見える。

 でも……なんかヤダ。


 またネズミさんを無視して右側の障子を開けた。

 すると、そこは公園だった。

 ベンチにおじいさんが座って、本を読んでいる。

 近くを女の子が走り回っていた。

 ここがいいな。


 そこに入ろうとしたけど、ネズミさんが「ホントにそこでいいの?」と聞いてくる。


「うん、ここにする」


「止めた方が良いよ。ここは魂を清める場所だから。まあ好きにすれば良いけど」


 そう言われたので進もうとしたとき。

 突然ベンチに座っているおじいさんの背中に火がついた。

 その火はあっという間におじいさんの全身を覆い、おじいさんは苦しそうにしながらも、本を持ったまま歩いて行く。

 その横をさっきの女の子が、空に向かって走って行った。

 同じように体中を火に包まれながら。


「あれ……なに?」


「だから魂を清めてる。火は邪悪を清める」


「2人とも悪い人じゃなさそうだったよ」


「悪いとかいいとかは、君が決めることじゃない」


 慌てて障子を締めたわたしは堪らなく左側の障子を開けたかったので、左側を開けるとそこは……何も無かった。

 ただ、真っ白。


「これは……なあに?」


「ここは君には関係ないところ。入ることも出来ない」


 そう言ってネズミさんはピシャリと障子を閉めた。

 ちぇ、ケチ。


 でも、文句言ってカオリを助けられなかったらやだな。

 なので、素直に言うことを聞くことにしたわたしは残り一枚の障子を開けた。

 カオリに会えますように。


 するとそこは……沢山の家があった。


 全体にボンヤリとしたオレンジの光がまるで照明のように降り注ぎ、覆っている。

 日本か中国か、それとも別の中近東の国か。

 分からないけど、沢山の建物が目の前の山に沿って立ち並んでいる。


 以前テレビで見た、山岳民族の国のようだった。

 そして……妙に服がキツい。


「エリカもすっかり大きくなったね。大人の女性ってやつかな?」


 言われてみると、服も破れそうだ。

 まるで大人の女性になったように感じる。

 違和感が酷いため、私は服を脱いで裸になった。


 これでいい。

 かなり身軽になった。


 ネズミを連れた私は、異国的な世界観の街を歩き始めた。

 カオリが居るならここに違いない。

 そんな根拠の無い予感を感じる。


 家々の窓から漏れるオレンジの光は、まるで滲んだ絵の具のように家の中から漂い、周囲に滲んでいく。

 それは段々と広がって、そのうち目の前の景色全体を淡い橙色に染めていく。

 所々の提灯から広がる金の光も、橙の光と混じってまるで宝石の中に居るようだった。


 そうして歩いていると、一軒の家の中から「エリカ……?」と声が聞こえる。

 あの声は……カオリ……香織!


 私はドアを開けると、そこには香織が居た。

 ああ……変わっていない。

 世界で一番美しい、私の宝物。


 私は香織に近づくと、抱きしめようとして手を触れた。

 だが、次の瞬間。


 香織は全身をイチゴゼリーみたいな半透明の赤い物体になると、沢山の光をまき散らしながら……消えた。


 なんで……


 呆然とする私にネズミは言う。


「そりゃダメだよ。汚れた魂の君が清らかな魂に触れたら汚れちゃうだろ」


「なんで……私は……助けたかっただけ」


「うん。でもさ、君が香織ちゃんを殺したんだろ。トラックに突き飛ばして」


「え……私……が?」


「そう。香織ちゃんは君の執着に怯えていた。そんな彼女は君に内緒で転校しようとしてたけど、それを知った君は学校帰りに香織ちゃんを、走ってくるトラックに向かって突き飛ばしたわけ」


「そん……な」


 私が……彼女を……


「うそ……」


「嘘でもホントでも良いよ。とにかく君の魂は汚れている。でも君の魂は純粋だ。純粋に汚れている。そんな魂を見るのは楽しいんだよ。これで準備できた。さて、どこに行こうか? 君の魂の居場所に連れて行く前に遊ばない? そこで味見もさせてよ、魂を」


 そう言うと、ネズミは私の腕を掴んだ。


 すると、私の身体も香織と同じように半透明の赤いゼリーみたいになってビチャ、と音を立てて弾けた。


 ゼリーみたいに弾けて欠片になった私の耳に、ひゅるる……ひゅるる……と、空気を切るような音が飛び込んでくる。


【終わり】

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恒星間飛行 京野 薫 @kkyono

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