ひな人形をしまう日はいつ?

睡蓮

第1話

 何もこんな日に振られなくてもいいだろう。


 鈴子れいこは涙も出なかった。

 ひなまつりの日を過ぎてひな人形を飾っていたらお嫁さんになれない。

 それは迷信であると知っていても、結婚する予定でいる彼氏がいたとしても、念には念を入れるために三月三日に机に飾ってあったそれを箱にしまっていた。


「これで一安心」


 そう思った翌日に彼氏から別れの言葉が。

 思い起こせば予兆があったような。


「この三年間は何だったんだろう」


 学校を卒業して、メーカーのラインで働く傍ら子供の頃からやって来た競技ダンスに打ち込んできた。

 踊りのパートナーとして出会った彼と高校生になった頃から自然に付き合い始めて……


「ふう、考えるのを止めよう」


 そう思えば思うほど頭の中は元カレのことばかり。

 どうして人間の頭はそういう構造になっているのだろうか。


「あああ、もう!」


 これから縋っても自分が惨めになるだけだ。

 今更復縁しようなどと自分からは意地でも言い出したくない。


 だけど、今は寂しい。

 この空白を埋めてくれる何かが欲しい。


「そうだ。私には……」


 冷蔵庫にはキンキンに冷やした缶ビールが入っている。

 こんな時は酒で紛らわすのが一番だ。


 自前のビアグラスに注いだそれを一気に飲む。


 退社前にメッセージアプリから流れてきた『別れよう』の言葉を見てから何も口にしていなかったからアルコールが五臓六腑に浸み渡る。


「つまみは……これでいいや」


 ひな人形と一緒に飾ってあったひなあられをポリポリ囓りながら、酒をあおる。


「これが夢オチなら笑えるけど」


 現実だと認めるのが嫌だった。

 酒で嫌なことを忘れることができる人とできない人がいると悟った。

 アルコールに滅法強い自分が嫌になってきた。


「酔わないことが自慢だったのに。酔えないのが辛いなんて」

  

 大袋のひなあられが殆どなくなった頃、ほんの少しだけ気が楽になったように感じた。


「ふう、今更だけどね」


 一度はしまったひな人形を箱から取り出してみる。

 陶器でできたそれはとても冷たい。


「今のアタシにはお似合いね。でもね」


 三月三日はどの年のその日か明示されていない。


「ならば、いつ飾っても良いのよね。来年の三月三日まで」


 そう言いながら、テーブルの上に人形を置いた。

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