桃の樹の下には

リュウ

第1話 桃の樹の下には

 ひなまつり。


 桃の節句。


 昔から伝わる流し雛の風習。

 それは、お雛様に女の子の穢れを移し、身代わりになって厄災を引き受けてもらう習わし。

 女の子が健やかに豊かな人生を過ごせるようにとの強い願いが込められる。


 冬眠していた虫が目を覚ます日である啓蟄を迎えた。

 今日は、ひな人形を片付ける最適な日だった。


 桃子は、お婆さんと一緒にひな人形を片付けていた。

 また、来年会いましょうと語りかけながら、大事にそっと箱にしまう。


 お殿様、お姫様、金屏風にぼんぼり。


「桃子、それもよ」とお婆さんは桃子の頭を指差した。

 頭に手を置くと何か堅い物があった。

 その堅い物をそっと髪から外し見てみると、飾りの桃の花だった。

 ピンクの花が、あまりもの可愛いので、かんざしの様に髪に刺していた。

「あっ」桃子は、失敗したと笑顔を返す。

「それも、片付けないとね」

「ねぇ、お婆ちゃん。この花はなあに?」

 桃子は、桃の樹の飾りを見つめていた。

「桃の花だよ」

「桃の花?」

「そう、桃の花。桃子の桃と同じ」

「おんなじなの」

 桃子は、可愛い花と同じだと言われると、何だかうれしくなっていた。


「桃はね、悪いものから守ってくれるの」

「強いんだ……どうして守ってくれるの?」

「言い伝えによると、桃の木の下に住む妖怪が居てね。

 桃の花が咲くと姿を消すらしいの。

 だから、桃には悪を退ける力があると言われているのよ」

「ようかい?」

 桃子は、絵本で見た妖怪を想いだし怖くなっていた。

「大丈夫よ。桃の花を飾ったから、妖怪も近づかないわ」

 お婆さんは、そう言うと桃子を抱いた。



 それから数日後、

 桃子は、両親と大きな公園へと花見に来ていた。

 桜や梅、桃の花が咲いていた。

 

 休むための場所を見つけた。

 両親がビニールシートを敷いてお昼の準備をしていた。

 桃子は、母が朝早く起きてお弁当を作っているのを知っていた。

 外でお弁当を食べるのを楽しみにしていたし、ポシェットに雛あられを入れていた。

 お婆ちゃんが、これ食べなさいと渡してくれた。


 桃子は、お婆さんと話した桃の花の事を思い出した。

「ねぇ、桃の花って、どれ?」

「そうだな……花びらをみてごらん。

 先っぽが、とんがっていたら桃の花だよ」

 とお父さんが教えてくれた。

「わかったぁ」

 あまり、遠くに行かないでと言うお母さんの声を背中に受けながら、桃の樹を探しに向かった。


 直ぐに鮮やかなピンク色の花が咲く樹を見つけた。

 振り返ると、両親が見える。

 おおーいと手を振ると、お父さんも手を振ってくれた。

 さて、この樹は、桃の樹なのだろうか。


 花びらの先が尖っている。

 桃の樹に間違いないと、うんと一人で頷く。

 その時、桃子はドキッとして動きを止めた。

 樹の後ろに誰か居る。


「言い伝えによると、桃の木の下に住む妖怪が居てね」


 お婆さんの言葉を思い出した。

 これは、信じていいことなの。

 桃の花がこんなに見事に咲いているのに。

 信じられない程きれいに咲いているのに。

 桃の樹の下に妖怪が居るというの。


 妖怪?


 そーっと、誰かを確かめる。

 同じ年ごろの男の子のようだ。

 でも、ちょっと違う。

 頭に小さな角があった。

 鬼?

 絵本で見たことがある。

 鬼の子ども?


「こんにちわ」

 桃子は声を掛けてみた。

 返事がない。

 ずーっと樹を見上げている。

 

「こんにちは」

 桃子は少し大きな声で言ってみた。

 男の子は、気付いて桃子の方を向いたが、また、樹を見上げる。

 桃子は。男の子の横に立ち、同じように樹を見上げた。


 真っ青な空に鮮やかなピンク色の花が咲いていた。

 なんてきれいなんだろうと見惚れていた。

 まるで、違う世界に居るような気持ち。


「きれいだね」桃子は、男の子に話しかけた。

 男の子は小さく頷いた。

「こんなきれいな所は見たことがない」

 男の子が呟いた。

「ねぇ、手を出して」

 男の子は、桃子に手を差し出す。

 桃子は、ポシェットから雛あられを出して、男の子の手に乗せた。


 ピンクや白や緑の雛あられ。

 男の子は、じっとあられを見つめた。

 桃子は、雛あられを口に運んで食べた。

 それを見た男の子も雛あられを食べた。

「きれいで、甘いでしょ」

 桃子が微笑むと、男の子も笑った。


 桃子がまた、樹を見上げた時、優しい風」が吹いた。

 その時、もう、男の子は居なかった。

 姿を消していた。


「言い伝えによると、桃の木の下に住む妖怪が居てね。

 桃の花が咲くと姿を消すらしいの。

 だから、桃には悪を退ける力があると言われているのよ」


 お婆さんの言葉を思い出す。


 桃子は思った。

 暗い土の下で過ごしていた妖怪が、きれいな桃の花を見に地上に出て来て、

 もっと色々な世界を見てみたいと何処かに行ってしまったのではないかと、

 桃の力があの子を退けたのではないと。


 あの男の子が、悪い子とは思えなかったから。



 桃子、お弁当の時間よと、お母さんの声が聞こえた。

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桃の樹の下には リュウ @ryu_labo

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