因習の真実

 友樹は暗い本堂の中で絶望していた。

 悪夢から覚めた。

 身体は動かせない。

 ただ友樹の身体からは、むせ返るような血の臭いが立ち込めている。

 痛みを訴えてくる股。

 自分はこのまま動くこともできずに死ぬのだと。

 恐ろしさから涙が溢れてくる。


 ――ガラガラガラガラ


「友樹!?」


「おかあ……さん」


 本堂の扉が開き、焦った様子の母親と何かを察した祖母が入ってきた。

 外は夜。

 四月三日中は本堂の中に閉じ込められるという話だった。

 もしかするとすでに二十四時間経ったのかもしれない。


 駆け寄ってきた母親が友樹を抱きしめた。

 それから必死に十二単衣という名の拘束具を外そうとしてくれる。


「友樹。大丈夫なの?」


「う、うん股以外は……イタッ」


「友樹!?」


 母親の呼びかけに応えようとすると、友樹の頭に激痛が走った。

 その様子を見ながらゆったりと歩いてきた祖母が血の臭いに顔をしかめた。


「こら! 先ほど名前を奪われていたら呼んではいかんと注意したであろう」


「あっ……ということはやっぱりこの臭いは」


 頭痛に耐えている友樹の前で、母親が祖母に注意されていた。

 奪われた名前。

 そう友樹は夢の中でお内裏様に奪われたのだ。

 名前と珠……金玉きんぎょくを。


「そういうことであろう。それでお内裏様に名を奪われたお雛様よ。与えられた名は何という?」


「あ……与えられた名? 確か……ユジュ」


 友樹ゆじゅが名前を口にすると、それだけで頭痛が遠のいていく。

 その様子を見て、母親が安堵の表情を浮かべる。

 でも友樹はそれどころではない。

 本当に名前が奪われているならば、本当に珠も奪われていることに他ならない。

 裂けるような股の痛みがその証拠だ。


「お母さん……ボク死んじゃうの?」


「ううん。大丈夫……大丈夫だから。お母さんはお婆ちゃんから色々聞いて、ユジュちゃんのためにお赤飯炊いていたのよ」


「お赤飯? 何を言っているのかわからないよ」


 意味がわからない。

 この血の臭いと股の痛みにお赤飯が何の関係があるのか。


「ユジュを心して聞け。その出血と股の痛みで死ぬことはない。それは初潮といってな……女の子になった証だ」


「おんな……のこ? ボクは男の子だよ?」


 厳かな声で孫の性別を間違える祖母。

 カチャカチャと十二単衣を剥がすことに成功した母親が、十二単衣の中に手を突っ込んで友樹の乳房を揉みしだいた。


「ひゃっ!?」


「……育ってる。これはブラも用意しないと」


「えっ!? どういうこと!? 何が起こっているの!?」


 思わず叫ぶ。

 でもその声すらいつもより高くて。


「言ったであろう。取り返しのつかないことが起きると。お内裏様に金玉を取られて、お前はユジュとして女の子になったのだ」


 祖母の言葉に友樹の意識は暗転した。


〜〜〜◉〜〜〜◎〜〜〜


「まさか一人息子が一人娘になるなんて……お母さん困っちゃう。何の準備もできていない。何より心の準備ができていないのよ。本当に困っちゃう」


 そう言いながら母親が長くなった友樹の髪を編んだり、リボンを結んだりして遊んでいる。

 ちなみに現在の友樹の服装はゴシックロリータなドレスだった。

 この自然しかない村で、一体いつどうやって母親がこんな派手な服を用意したのか見当もつかない。

 友樹は全てを諦めて、母親を無視して祖母と向き合っている。


「ユジュよ。とりかへばや物語を聞いたことがあるか?」


「ううん。知らない」


「小学校では習わぬか。平安時代に書かれた物語でな」


『あるところにわんぱくな女児と病弱な男児の双子がおった。この二人の性別を取り替えたいな、と二人の親は思ってしまう。そして実行した。成長した女児は貴公子として若君と呼ばれ、男児はお淑やかな姫君として求婚が絶えなかった。そして若君はなんと女性と結婚までしてしまう。けれど若君は自分が女性であることを隠したまま。夫婦関係など上手くいくはずもなく、妻は若君の親友である男性と不貞を働いてしまう。当然、怒る若君。親友と喧嘩になり、なんと親友に女性であるとバレてしまう。その親友がなかなかの畜生でな。女であることをバラされたくなければと若君を脅して手籠めにして孕まされ――』


「――ってこんな話を小学生に教えられるか!?」


 因習村の語り部よろしくとうとうと語っていた祖母がいきなりキレた。

 確かに前半はともかく後半はドキッとしたけど。

 叫んだ祖母を気を取り直して話を続ける。


「とまあ平安時代から、幼少期は女児の方が健やかに育つと信じられており、多くの地域で取り替え雛の風習があった。お内裏様もその系譜じゃ」


「……取り替え雛」


「男児を雛人形として女装させて祀り上げ無病息災を願うのじゃ」


「ボクがやったみたいに?」


「そうじゃ」


 祖母が遠い目をした。

 視線の先はお内裏様がいる本堂かもしれない。


「最初は子の無事を祈る純粋な願いじゃった。だがどれだけ純粋な願いも、様々な願いが重なり合えば黒く濁っていく。『この子が長く生きられるならば本当に女の子と取り替えて欲しい』とな」


「……え?」


「お内裏様が取り替え雛に選ぶ男児は身体が弱い子ばかりよ。ユジュも気管支が弱いから空気が綺麗なこの村に来たのだったな」


「う、うん。でも少し咳き込みやすいくらいで」


「……そして病に倒れたお主の父親も遺伝性の虚弱体質じゃった。その体質はお主にも遺伝していたはずだがユジュよ。今は息苦しさはあるか?」


「そういえばないかも」


 ずっと自分の中にあった息苦しさがない。

 急に女の子になったと言われて混乱していたから気づかなかった。


「であればお内裏様はお主から死の気配を感じ取ったのであろう。故に病弱な男児の身体と健康な女児の身体を取り替えた。……現代は医学も進歩しておるし、性別を変えなくてもとは思うが、平安時代では病弱な男児はそれだけで死を予感させるものであるからな」


 お内裏様は村の守り神。

 もしかすると厄神ではないのかもしれない。

 勝手に性別を変えられた友樹としては納得しづらいが。


「……ボクはもう元には戻れないのかな」


「取り替えしはつかんと言ったであろう。何があっても反応するなとも。夢の中でなにがあったのかは知らんが」


「……うぐっ」


 お内裏様の宴会芸にツッコミを入れて、アウトになったとは言いづらい。


「……それに元に戻る方法があるのであれば、私はお前の祖母ではなく祖父であったであろうな」


「え? ……えぇ〜〜〜お婆ちゃん!?」


「生まれつき目が悪くてほとんど見えていなかった。歩くために杖を必要とするほどに。この女の身体に替わって世界が美しく見えたときは感動したものじゃ」


 色々と苦労もあったが。

 そう締めくくる祖母の表情には複雑な感情が混じっている。

 祖母の中にも処理しきれないものがあるのだろう。

 と、そこで友樹の髪型をツインテールカールに仕立てていた母親が後ろから抱きしめてきた。


「ユジュちゃん安心して。ママがついているから」


「……お母さん」


「ママ」


「…………ママ」


 母親の圧に負けて呼び方を矯正された。


「貴方には無限の可能性が詰まっているの。未来は明るいわ」


「それは……ボクが健康になったから?」


 母親としては病弱な男児よりも健康な女児の方がいいのかもしれない。

 けれど友樹の母親の答えは斜め上に間違っていた。


「病弱ならばそれはそれでありよ! 今重要なのはユジュ! あなたには『幼い頃男だと思っていた幼馴染が実は女の子だった』ラブコメ展開が実装されたことを喜ぶべきだわ!」


「はぁっ!?」


「それにこの村は因習村。寂れた田舎の村になぜかいるロリータ少女フラグも解放されたのよ。絶対この近辺にそんな可愛くオシャレな服売ってないのに。しかも因習村の謎を握る存在! 可能性は無限大だわ! 年頃になれば都会から転校生の男子とか来て、しかもユジュちゃんの幼馴染で因習村の謎に迫っていくとかあれば最高ね! この村には他にも因習が埋まっていそうだし!」


「そんな可能性を知りたくなかったし、そんな未来嫌だよ! それにこんな寂れた村に因習がゴロゴロ転がっているはずないでしょ」


「あるぞ」


「あるの!?」


 口論の最中、祖母のまさかの言葉に友樹は気勢が削がれた。

 祖母の苦々しい表情を見る限り因習がゴロゴロあるらしい。

 そういえば言っていた。


『因習を楽しむな! 我らは頑張って廃れさせようと努力していたのじゃ! 全て忘れ去られたものにしようとな!』


 祖母は『全て』の因習を『廃れさせよう』と努力していたらしい。

 因習は一つではなさそうだ。

 友樹はまだ遭遇していないが、村の子どもはこの時期桃の木には近づかない対策を取っていたらしいし、やはりこの村には色々とあるのかもしれない。

 因習村恐るべしと友樹が戦慄していたが、母親はマイペースに友樹の将来を語っている。


「あとやっぱり因習村のロリータ少女といえばナタよね。ユジュちゃん今日から毎日薪割りの練習してナタの扱いを学びましょうね。ママがしっかり教えて上げるから」


「因習村とロリータとナタに何の関係があるの!?」


「この組み合わせでしか得られない栄養素があるのよ!」


 力説する母親に負けて友樹はナタの扱いを学ぶことになる。

 果たして薪割りと草刈り以外で使う日が来るのであろうか。

 そして友樹は因習村の全ての因習を網羅することができるのか。


 女の子になってしまった友樹の因習村暮らしはまた始まったばかりだ。



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因習村ツッコミを入れてはいけない雛祭り24時〜生き雛の男の娘は…… めぐすり@『ひきブイ』第2巻発売決定 @megusuri

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