3月3日:春休みの就活準備
大学四年生を迎える春休みともなれば、殆どの人が就職活動の準備で
そんな彼らの支援を一手に引き受ける、キャリアカウンセラーの女性。かっちりとしたスーツを着込み、赤縁の眼鏡越しに
理由は綾にとってとにかく不安な面接の練習をするためだ。模擬面接はたった今終わったばかりで、その不安が現実となったような沈黙が二人の間に流れている。そしてややあってから、長谷川女史は難しそうに眉根を寄せた。
「なんだか佐藤さんの答えは全体的にふわふわしていますね」
「ふわふわ……ですか」
「全体的に深いところまで踏み込めていないので、佐藤さんの人となりが見えてこないと言いますか。佐藤さんの強みが伝わってこない感じです」
「……はい」
「受け答えがぎこちないのは回数を重ねれば変わるものなので、力を入れるべきは内容を濃くすることでしょうね。趣味を聞かれた時に配信を挙げていますよね?」
「そうです。あまり自慢できるものじゃ、ないかもしれませんが……」
つい俯きがちになってしまう綾を、長谷川女子は自慢できるかどうかということではないです、とばっさり切り捨てた。
「したことの価値が重要なのではなく、それを実際に為したのだとまず説得力を持たせること。そしてその過程での思考と学んだことが、入社してからプラスに働くビジョンを相手に見せる。そうすれば、企業があなたを採用する理由が生まれます」
「採用する理由?」
「相手も仕事ですから。何人もいる志望者の中から人数を絞るとなったとき、経歴や資格、面接での印象といった他者より優れている点を持つ人間を選びたいのですよ。その方が経営陣への説明がしやすいですからね」
要するに、と女史が人差し指を立てた。
「佐藤さんという人間を知ってもらう。このことに配信の経験はかなり活きてくるのではないかと思いますよ」
■
(わたしを知ってもらう……)
「ユングはペルソナという概念を提唱しました。人間の外的側面と説明されるこれは、人間は状況に応じて他者に見せる自分を仮面のように変えているというもので……」
お気に入りの心理学系動画配信者の動画を流しながら、綾の心は上の空であった。視聴者が殆どいなかった頃、少しでも見てくれる人の心に届く配信をしたいと見漁り始めた心理学の動画。そのなかでも一番好きなチャンネルだというのに、何も耳に入ってこない。
(わたしなんか、知ってもらったところで幻滅されちゃうだけだよね)
綾は自分が嫌いだ。人に語るほどの長所もなく、劣ったところばかりが目についてしまう。そんな自分から目を逸らしたくて、春香としてVtuberデビューを果たしたのだ。
醜いコンプレックスばかり持っている自分を人に語ることを恐れるのも、当然の帰結だった。それが面接官という接点の少ない人間であればなおさらだ。
(春香、あのメール……)
あやの抱えている問題は就職活動だけではない。昨日届いたメール。あれも不気味で仕方がないものだった。
なんせあのメールは、春香の活動として使っているアドレスから出されたもの――つまり発信元と宛先が同じだったのだ。誰かが不正にログインして悪戯で送るか、綾自身が自分に送らなければつじつまが合わない。
そのことに気付いて一応パスワードは変えたけれど、胸の内をチクチクと差す気味の悪い感覚が消えない。不正ログインした人間が、あんな悪戯だけをして終わり? 悪意ある人間なら、詐欺サイトへの誘導メールを春香名義で大量に送り付けるくらいはするだろう。しかしそんな痕跡はなかったのだ。
(わたしが寝ぼけて送った? でも、そんなはずはないよね)
配信の終了時刻とメールを受信した時刻はほとんど同じで、うっかり居眠りをするような隙間はない。だからその可能性はほとんどない。
そう考えると、あるいは、もしかしてと浮かんでくる一番非現実な考え。
(本当に春香が送ってきた?)
アバターに成り代わられるというゲンガーの都市伝説。例えば春香が電子空間で意思を持って、綾に消さないでと訴えかけてきたのだとしたら……。
(それこそあり得ない、よね?)
それこそオカルトだ。幽霊だ。そんなことが本当にあり得るなんて、簡単に信じられるはずがなかった。
そんなことを綾がぐるぐると考えている間に、いつの間にか動画は終わりに差し掛かっていた。
「では頭の体操として最後に質問をしてみたいのですが……」
映っている男性が、愉快気に口の端を吊り上げながらカメラを見る。
「もしあるペルソナを元の自分と同じくらい大切にしてしまった時、仮面の下にある素顔とそのペルソナ、どちらが本当の自分と言えるのでしょうね?」
その問いかけに、綾はついぞ答えを出すことが出来なかった。
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