3月2日:ましまろキャンプファイアー

「こんしゅん~今日も東風こちが吹くよ」


『こんしゅんー』

『こんしゅんー』

『お、ほんとに毎日配信してくれてる』

『もともと二日に一回は配信してるんだよな』

『そこから単純に考えて二倍。あれ、思ったよりやばい?』


 綾が春香に変わる時間。コンプレックスばかりを抱えた弱気な自分から、なりたい自分に変われる時間。


 リスナーと共有するこの時間が、綾は何よりも好きだった。


「さてさて本日はましまろを焼きながらの雑談だよ。まだまだ寒い日もあるからね。皆で焚火を囲もうね」


 そう言って春香が配信画面に映したのは、夜の中でごうごうと燃え盛るキャンプファイアーの画像だった。勿論拾い物である。どうせなら派手な方がいい、そう考えてのチョイスだった。


『焚火……?』

『どうみてもキャンプファイアーな件』

『ましまろ焦げちまうよ……』

『皆でオクラホマミキサー踊ろうぜ』


「そう言う人もいると思って、BGMはその辺りから選んだよ」


 音量を控えめに抑えた陽気な音楽を背景に、春香はましまろ――匿名で送られた質問を選んでいく。リズムに合わせてルンルンと身体を弾ませながら、リスナーと踊っているような心地で。


 そうして選ばれたましまろが、画面にと映し出された。


「はい、まず一通目のましまろはこちら! 〈見て見て! 今日も綺麗な梅の花が咲いてたよ!〉。……うん! 楽しそうで良かった! きっとその花もそう言ってもらえて喜んでるよ」


『見て(見えない)』

『草』

『画像ないんだよな……』

『可愛いましまろだこと』


「まあ確かに見えないんだよねえ。この場合私は望遠鏡を覗き込めばいいのかな? それともスマホのカメラかな?」


『見えないものを見ようとしてる?』

『スマホのカメラを覗き込んだら映るのは自分では?』

『外カメラで自撮りする人はなかなか見ないな』


「わあ辛辣ぅ……。というわけで焚火に入れるね。ファイアー!」


 快活に叫びながら、春香はましまろをキャンプファイアーの中に放り込んだ。ついで、爆竹の爆ぜる音を鳴らす。世紀末を思わせる、盛大な爆発音であった。


『ファイアー!』

『ファイアー!』

『ヒャッハー!』

『どう考えてもましまろの燃える音じゃなくて草』

『爆発してんだよなあ……』

『この人、センスおかしいよ!』

『人じゃなくて梅の精、らしいから……』

『※音量注意』

『遅い!』


「ここのましまろは油を塗った特別性だよ! いっぱい燃やしていっぱい明るくなろうね!」


『それ本当に油ですか?』

『火薬である可能性を捨てきれない』

『シュレディンガーのましまろ』


 オクラホマミキサーの影で焚き木のはじける音が鳴る。画面も音も春香に負けないくらいにやかましい配信だ。そしてコメントも好き勝手にツッコんでいる。


 落ち着きの欠片もないカオス感が、この場に形成されていた。


「次のましまろ! 〈新参者です。どうして挨拶がこんしゅんなのでしょうか。こんはる―とかの方がシンプルに思ってしまいました〉。私もそう思ったんだけどね、こんはるって感じで書いたら今春になっちゃうんだよね。そしたらいっそ読みもこっちにならってこんしゅんとした方が、風雅かなーということでこっちにしました。はいファイアー!」


『ファイアー!』

『某芸能人を思い出す掛け声だ……』

『よし、油をもっといっぱい塗ろうぜ』

『火事不可避』


「はい次、 〈東風ふかば 匂ひおこせよ 梅の花 主なしとて 汗を忘るな〉。うーん、たった一文字変えただけなのに道真公がとんでもない変態になってしまったような……」


『東からの風が吹いたら、汗の匂いを届けてくれ……』

『こんな学問の神様嫌すぎる』


「まあ、お焚き上げです。ハイファイアー!」


 菅原道真が大宰府に左遷される際に詠んだとされている和歌だ。春香を生み出す際にこの詩をモチーフとしたことは古参のリスナーは知っている。それを踏まえたましまろなのだが……。


 若干セクハラのおもむきを感じさせるましまろは、これまでより一際音量の大きい音割れ気味の爆発音と共に葬られていった。


「ああ、それとこの配信は音量注意だよ! こちらでも調整してるけど、ちょうどいいくらいに調整してね」


『あまりにも遅すぎる忠告』

『音量最大にしてるけど何も聞こえん』

『鼓膜ないなってるやついるやんけ』

 

 一見ぶっ飛んでいるこの様子が、春香のましまろ配信における通常運転であった。せっかく配信に来てくれたのだから、明るく過ごしてもらいたい。そんな気持ちで辿り着いたのがこのハイテンションでの語りだった。


 配信の時だけ明るく話せる配信弁慶。誰かと対面するわけでもなく、話せば文字で反応が帰ってくる画面越しの交流だからこそ出来ることだ。もし現在いる1192人の視聴者が本当に目の前にいる状況であったなら、綾は一言も話せる気はしない。


 でも春香なら話せる。春香だからこそ、人を楽しませることが出来るのだ。


「次は……〈婚約をしていた彼女に三股されて別れました。だめだとわかっているのに、もう何をする気力も湧きません〉。……すぅー」


『おおう……』

『涙拭けよ……拭いてくれ……』


「そうですねえー……とりあえず、一緒にお酒を飲みましょう。いっぺん気を楽にして全部忘れましょう、ね? 忘れなきゃ、前に進むこともできませんから」


『この時間が来たか』

 

 綾は机の上に用意していた梅酒の缶を手に取り、プルタブを起こした。カシュ、と気の抜ける音が響き、甘い香りが部屋に舞う。

 

 ましまろ雑談をしているとこういう質問……というよりは相談が来ることも少なくない。人との付き合いに難があると自認している綾にとっては、面と向かって答えるのが難しい話だった。


 上から目線で偉そうなことを述べられるほど、綾は自分を大層な人間だと思っていない。かといって下手に慰めの言葉を掛けたところで、ましまろを送ってくれた人には何も響かないだろう。だから一緒にお酒を飲んで、悲しみを忘れてもらうのだ。それで話をして、聞くことが助けになることを願いながら。


「もし未成年なら、ジュースを用意してね。ましまろをくださった方は多分成人してると……していて欲しいな」


『婚約からの三股は流石にな……』

『未成年にはあまりにもむごい』

『頼むからネタであってほしいやつ』


「それでは、献杯です。いただきます……」


『献杯』

『悲しみに』

『……ありがとう』


 喉を落ちていく梅酒の味はやけに甘く、悲しい話を中和するにはちょうどよかった。

 

「……仮に私が婚約相手に三股されたとしたら、どうしようかな。悲嘆にくれる? それとも復讐に燃える? むう」


『復讐に行きそう』

『あんま悲嘆にくれるイメージないな』

『病み病み……いいな』


「多分許せない気持ちが先立っちゃうと思うんだよね。私というものがありながら! みたいなことを言って、取り出すは刃物かガソリンか……」


『怖い怖い』

『覚悟カタメ殺意マシマシ』


 綾ならば、悲しみでただ泣き崩れるだろう。けれど綾よりも情が深い春香なら、きっとそうするに違いなかった。


「というわけで恨みのこもったガソリンをなちゃなちゃに掛けまして、ファイアーです。まろ主さんにどうか幸せが訪れますように」


『よう燃える』

『幸せになってくれ……』

『大☆炎☆上』

『なちゃなちゃ?』

『べちゃべちゃみたいなもんか』


「次のましまろは……〈バーチャルゲンガーという都市伝説を知っていますか?〉」


 ゲンガーに気を付けて。昨日最後に見たコメントがリフレインする。綾の全く知らない単語だというのに、なぜか背筋にそっと冷たい手を差し込まれたような気味の悪さがある。


「私は知らないかな。ドッペルゲンガーなら聞いたことあるけど……みんなは知ってる?」


『聞いたことない』

『新しい都市伝説なのかな?』

『令和都市伝説』


 リスナーもほとんどが知らないようだった。しかし大抵の場合およそ千人も人間がいれば、誰か一人は知っているものである。


 たらこラーメン:『知ってる』


 この場合も例に漏れず、手を挙げたのはよく配信に来てくれる古参リスナーだった。


「あ、知ってる人がいた。どんなお話なの?」


 たらこラーメン:『引退するVtuberが自分のアバターに乗っ取られるって都市伝説。最近話題になり始めてる』


「アバターに乗っ取られる……」


 たらこラーメン:『とは言ってもほとんど後付けの噂みたいな話。引退宣言してた人が直前で手のひら返して続行……みたいなのが増えたから言われるようになった感じ』


 そういわれてみれば確かに心当たりはあるのだ。最近Vtuberの界隈で見られる、引退直前での活動続行宣言。綾と交流のあるVtuberの中にもそういう人が居た。


 実例を知っているからこそ、ただの空事とは思えなかった。


「ドッペルゲンガーみたいに見たら死ぬ……とかじゃないんだね」


 たらこラーメン:『まことしやかに噂されてる人が配信続行してるもので……』


『自分のアバター見たら死ぬだと、Vの者みんなお亡くなりになるな』

『死んでるけどアバターだけ動いてる説』

『こわ』

『中の人知らんから検証のしようがないな』

『中の人変わってるだけの場合もあるだろ。知らんけど』


「……ひょっとして引退宣言した私も対象だったりする? ……知らんけど」


 幼い頃、田舎の実家にある木造廊下の奥を恐れていた時の不安感を綾は思い出していた。部屋の明かりが漏れ出した足元からは夜の暗がりが続いていて、軋む床板を歩いてそこにある角を曲がれば、この世ならざる何者かが出迎えるのではないか……。自分は今別世界への入り口に立っているのではないか……。心臓を見えない影の手でだんだんと力を込めながら握りしめられて、そのまま引っ張って連れて行かれてしまいそうな感覚。視界が闇に慣れて、何かを見つけてしまいそうで恐ろしくなる感覚。


 しかしそれを配信に乗せるのは春香らしくなかった。恐怖の中にあっても、リスナーを楽しませるためにおどけてみせるのが春香だと綾は信じた。


 たらこラーメン:『そうかもしれない。知らんけど』


『ただの都市伝説でしょ。知らんけど』

『都市伝説は創作だよ。知らんけど』

『もしかして中の人はもう死んでいる? 知らんけど』

『とりあえず言っとけばいい言葉。知らんけど』


「この言葉すっごい便利だよねえ。なんでも言っとけばそれっぽくなる……というのはさておき、そんな都市伝説が出来るのもわかるかも。引退ってそう簡単に決められるものじゃなくて。結構悩んで、覚悟を決めてするものなのに、それを直前で取りやめるなんてまるで別人になったみたいというか……。ほんとにそうだとしたら、すっごい怖い話だよね」


『経験者は語る』

『リスナーとしては配信続けてくれるなら嬉しいわな』

『実際に消えてきたVを知ってるからな。推しが引退したときの喪失感ったらない』


「せめて引退するまではみんなを悲しませないよう頑張るね。ああ怖い怖い。怖いからお焚き上げしちゃうねー、ファイアー!」


『ファイアー!』

『涙は最後までとっておくんや。ファイアー!』


「次のましまろは……」


 ……。


 そうしてましまろに答えているうちに、あっという間に終了予定の時刻となっていた。これから毎日配信することを考えると、キリのいい所で終わらせなければ大変なことになってしまうだろう。


 サムネの準備やネタの用意など、配信は事前準備に多くの時間が掛かるのだから。


「それじゃあ今日は時間だからここで終わるねー。明日も皆にいい風が吹きますように」


『乙』

『お疲れ様』

『おつー』


 ……こうして配信を終了する時間に、綾はいつも一抹の寂しさを覚える。春香から綾に変わる瞬間。自分が現実に戻ってきて、無音の部屋の中でひとりぼっちになるこの時間がどうしても好きになれなかった。自分は所詮、理想とは程遠いただの人間に過ぎないのだと突き付けられているみたいだった。


 リスナーからの投げ銭で奮発して買ったゲーミングチェアは、そんな哀愁を背負った背中を柔らかく受け止めてくれる。深呼吸をしながらその温もりに浸っていると、スマホがティロンと電子的な通知音を鳴らした。


 春香のアカウントで使っているメールアドレスに着信があったことを告げる通知だった。


「……え」


 その通知に表示されている文言を見た瞬間、綾はぞっと背筋が凍ったような錯覚を覚えた。


『東風春香

 私を消さないで』

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