第3話

 本棚の中に『山野草』の本を見つけた。ポケットサイズのその本を手に取ってパラパラと中を見ていく。

 私が子供の頃、祖母に連れられ摘み菜をした記憶を思い出す。祖母の草花の知識の多さは子供心に感動したものだ。その祖母の知識の一端をこの本が担っていたのかもしれないと思い、本を手に散歩に出かけた。

 麗らかな春の陽射しの中、長閑な景色が広がっている。上空では雀なのか雲雀なのか鳥が囀り、水の無い田にみずみずしい若葉色の植物が風に靡いていた。田植えにはまだ早い。訝しんで近づいてみると稲によく似た植物が植えられている。よく見ると、麦のようだった。

 どうやらこの田んぼ、「稲の次は麦と休む間も与えられなかったようだ」と少し前の我が身と重なり憐れに思いつつも今のこの呑気な時間に優越感を覚えて口の端が緩んだ。

 足元の植物に目を凝らす。控えめで可憐な花が咲いている。赤、青、黄色、白と色も違うが形も様々である。早速本で調べて見ると、カラスノエンドウ、イヌフグリ、ノボロギク、ナズナとあった。カラスノエンドウをピーピー豆と呼んで笛にして遊んだ覚えがあるし、ナズナもペンペン草と呼び、ハート形の葉を折ってでんでん太鼓の様に振って遊んだ記憶があった。これらの遊びも祖母から教わったものだった。

 子供の頃の私にも多少は植物を見分けることの出来る眼を持っていたということか。しかし、大人になるにつれていつの間にか『草』の一言で片付けてしまう様になっていた。そして、それに伴ってか植物を見分ける眼も失っていた様だ。

 さて、こうして名前が分かると更に欲が深まったのか、私の眼は緑の集まりの中にも多種多様の植物があることを見分けられるようになった。ヨモギ、オオバコ、スギナ、スズメノカタビラ、エノコログサ。その中に土筆を見つけた。記憶が鮮やかに甦る。春休み、祖父母の家に泊まった数日間。祖母は私を連れて川の土手にある土筆やヨモギを一緒に詰んで持ち帰り、調理して食べたのだった。

 「なれば我も」と土筆に手を伸ばし手折ってゆく。手に1束分の土筆を握りしめ家路についた。早速ネットで料理の作り方を検索し、おひたしで食べることにした。タライで洗い、一つ一つ袴を外す作業もまた記憶の一部にある。

「手が黒くなるからおやめ」と言う祖母の横で一緒に袴を外して指先が黒くなった。そして今もまた私の指先は祖母が言った通りに黒くなっていた。

 鍋に湯を沸かし塩と酢を入れサッと土筆を茹でたら水に晒し、その間に土筆を浸す出汁を作る。私は手軽にみりんと麺つゆと水を適当な加減で混ぜ合わせレンジで加熱し、そこへ先ほどの土筆を浸した。

 夕方、ビールをグラスに注ぎ、買ってきた惣菜と土筆のおひたしで春を味わった。

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晴耕雨読 @kai-mizuki

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