第15話 『結婚式の帰りなんっすよ。元カレの』

街はどこか浮かれ立っている。

どこもかしこもクリスマスソングがあふれ、この冬一番の身を切るような寒さにも、イルミネーションで賑わう街は、恋人たちの熱気で白く靄んでいるようだ。


紳士のオアシス、アーバンクラシックがモットーのザナデューも、今宵ばかりは華やかなクリスマスディスプレーに彩られ、ホワイトクリスマスの歌声が、ムーディーに響いている。

マダムも、シャンパンカラーのイブニングドレスで、エレガントに着飾っていた。


それなのに──まるでお通夜のように暗いのは、なぜだろう。


「ああ、よかった……」


弾むようなドアの音に、司は救われたという声を出した。


突っ伏していてもメシアの正体は知れていて、多恵は舌打ちした。


──イヴだっていうのに、一人でこんな所に呑みに来るなんて、他に友だちもいないのか? 淋しい男。


「早く連れて帰っちゃってください。この人のせいでお客さんが寄りつかないんだから」


「今夜は荒れ模様なんっす」


片手を口元にヒソヒソと言う、年に一度の蝶ネクタイの理玖も、ほとほと弱り果てている。


コートを脱いだ玲丞は、多恵の隣に腰を下ろしながら、心配そうに、


「どうしたの?」


おめでたい訪問着への質問も含んでいそうで、多恵はプイッと壁に顔を横向けた。


宝づくしの一つ紋付加賀友禅、金地に白と薄紅の太鼓柄の袋帯。ヨーロピアンテイストのクリスマスツリーがライトの色を変えるたび、パールをあしらったかんざしが、同じ色の光を弾いている。


「結婚式の帰りなんっすよ。ユキさんの元カレの」


「え?」


「理玖、うるさいよ!」


腕の中から怒鳴られて、理玖は首をすっこめた。


「あんたも、そんなに厭だったら、行かなければよかったじゃない」


「だって……、祝辞も頼まれてたし……」


「あんたって……、ほんとに変なところで鈍感なんだから。そんなの、欠席してもらうための、女の嫌がらせに決まってるでしょう? 披露宴で暗い顔して祝辞を述べる方が、迷惑だと思わない?」


「……」


「後悔するくらいなら、なぜプロポーズされたときOKしなかったの。ぐたぐた返事を先延ばしにして、それでも彼、三年も待っていてくれたのに、結局、自分のアシスタントに寝取られていたなんてねぇ」


多恵は真っ赤になった顔を上げた。彼の前で、何てことを暴露してくれるのだ。


司は、フォローなのか面白がっているのか、さらに赤面させるようなことを言う。


「あ、誤解しないでください。ユキは二股かけるような器用な女じゃないですから」


「よけいなこと言わないで!」


「あら、失礼」と、態度では謝っても、目が嗤っている。


「私、ぜんっぜん後悔してませんから。結婚より仕事を選んだってだけだもの」


を選んだんじゃなく、をとったって、はっきり言いなさい」


豪速球で攻められて、多恵はバットを振ることもできない。


「ユキは出世に拘りすぎなのよ。そのエネルギーの十分の一でも私生活に向けていたら、彼の誠意にも葛藤にも気づいてあげられたのに」


「男を利用して商売している司に、男社会のなかで女が仕事していくしんどさなんて、わかんないのよ」


「男だから女だからって、結局あんたが一番、女であることを意識してんじゃない。そんなに辛いなら、田舎に帰って実家の手伝いをしなさい」


「できるわけないじゃない!」


テーブルを叩く音に、ちょうどドアを開けた客が、驚いて引き返してしまった。


「落ち着いて、ユキさん。司さん、ちょっと言い過ぎ!」


多恵は、やおらむんずと荷物を掴んだ。


「帰る」


「ユキ──」


派手な音を立てドアが閉まる。


気まずく顔を見合わせる三人の間を縫うように、軽快なクリスマスソングが虚しくリフレインした。




キラキラしたイルミネーションは、人間の感情を増幅させる。

幸せな恋人たちにはより幸福感を、寂しい独り身にはより孤独感を、そして憤る多恵には──陽気な賑わいさえ腹立たしい。


何が嬉しいのか、客もアルバイト店員も店頭のマスコットまで赤い衣装を身にまとい、ミニスカートサンタはおじさんトナカイの首輪を引っ張って居酒屋へと消えていく。街角で談笑するおかまのプリンセスたち、道端の看板に頭を下げているのは三角帽子の酔っぱらい。


──クリスチャンでもないくせに、みんな頭がいかれてる!


「ユキさん」


遠慮がちに肩に掛けられた手を、多恵は頑固に前を向いたまま、体を捻って払いのけた。


「ついてこないで」


「ダメだよ。止まってる車にひかれると困る」


真面目くさった言い分に、多恵は何だかおかしくなった。

計算なのか天然なのか、彼はいつもツボを得たように、多恵の心にスッと侵入してくる。


「大丈夫よ」


わざと邪険な物言いをして、多恵は歩速を緩めた。


「帰ろう? はなが待ってるよ」


道行コートを羽織らされ、多恵は小さく洟を啜った。

店に忘れたのを、司が慌てて彼に預けたのだろう。


司の辛辣な言葉は、いつだって多恵を思ってのこと。わかっているのに、焦りや孤独を感じている自分への苛立ちを、八つ当たりのようにぶつけてしまった。


「司に、悪いこと言っちゃった……」


メジャー系洋画配給会社で世界を飛び回っていた司が、サラリーマン相手のバーを開くことになったのは、父親を自殺で亡くしたからだ。


それは、彼が幹部昇進して数ヶ月後のことだった。遺書もなく、仮面鬱病だったのではないかと、司は無念さに目を赤くして言った。身の丈に合わないポジションなら、受けるべきではなかった、と。


しかし、組織の枠に縛られた者は、哀しいかな、組織の常識の中でしか生きられない。家族にも言えぬストレスを抱え、いや、本人さえも気づかぬまま、精神が蝕まれてしまったのだろう。


司が、多恵のような酔っぱらいの愚痴を、厭な顔もせずに訊いてくれるのは、父の心の病を感じ取れなかった自責の念からきている。


それを、売り言葉に買い言葉とはいえ、「男を利用して商売をしている」などと、酷いことを言ってしまった。


「明日、ケーキでも買っていこう? 司さんの好きな、ピエール○コリーニのミルフィーユ」


そう言って玲丞は、街の灯りで仄明るい空を見上げ白い息を吐く。それから、冷たくなった多恵の手を握って、自分のコートのポケットに入れた。


まるで、子どもの喧嘩の仲直りをさせているみたい。

確かに子どもじみていると、多恵は素直に頷いた。

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