お内裏様とお雛様のハピエンを目指すための与太話

有沢楓花

お内裏様とお雛様のハピエンを目指すための与太話

 3月3日。桃の節句、上巳の節句――女の子の幸せを願うお祭り。

 雛祭りと言えば、お雛様。

 この時期各地で飾られる様々な伝統的なひな人形、飾り雛がテレビなどで紹介されることも多いですね。

 特に家族に女の子がいれば、購入を検討されるご家庭も多いでしょう。

 伝統的な雛人形、「幸せな結婚」を願わなくとも目の保養です。


 最近はキャラクターモチーフの雛飾りも沢山作られていますよね。

 お内裏様とお雛様、大抵幸せなカップルになっているはずです。 


 ですが、ですがです。

 いわゆる今で言う「ふつうの雛飾り」――大きな七段飾りが一揃いになっていますが。

 モチーフは「平安時代の結婚式」です。

 人形は、お内裏様(夫)、嫁入りするお雛様。それに随臣――右大臣に左大臣、三人官女、五人囃子。仕丁。嫁入り道具。

 普通に考えると「お内裏様」は天皇なのですが――、一夫多妻ですよね?(正式な妃は基本は、一人ですが)


 つまり、「玉の輿で、ついでに正妻なら妻の一人でもいいや」な扱いになってませんか?

 しかも妊産婦死亡率の高い平安時代。寵愛を得て一家の権勢を高めるためとはいえ、リスク高すぎないでしょうか。

 位の低い更衣なんかとして、端っこの壺(部屋)で納得してのんびり生活ができるなら良いけれど……?


 今の価値観的には、娘がどうせ結婚するなら一夫一婦制がいいですね。

 当時は通い婚、自分のところに通ってこないと嘆く和歌などはよく残されています。

 継子いじめ譚として有名な『落窪物語』では、主人公の姫君も、乳母子で親友であり、実質女官トップになったあこき(推し)も夫と仲良しですし、主人公の父も、実は正妻亡き後後妻を迎えただけで、他に通ってる様子がありません。

 

 ……ですが流石に天皇に、一人の奥さんだけとは言いづらい(中宮・定子と一条帝はかなり特殊だったのではないでしょうか)。


 だったら、「お内裏様」の解釈を変えれば?

 そのためには雛飾りのコーデを変えれば可能では?


 ――これはむりやりお雛様のハピエンを目指すための与太話です。


***


 まず「お内裏様」ですが。

 イコール天皇、と決めなくても良い……のでは、と思うのです。


 平安京の一部の地域、北方中央の宮城を「大内裏」と呼びます。

 外側の四方には築地という塀を巡らせていたようです。

 この中には色々な儀式用の建物とか、公式の宴会場、貴族の職場、兵士の詰め所、台所、天皇の住居などがあります。

 で、内裏の中の、中央やや東より天皇の生活の場のみを呼ぶ場合が「内裏」です。妻達の生活の場である弘徽殿とかも含めます。

 ※もともとは皇居以外のすべてを含める「内裏」に美称の「大」を付けて「大内裏」と呼んでいたそうですが……。また、後年は火災などの影響で、実質的な住まいは「里内裏」と呼ばれる別の場所に移動したようです。


 つまり、「お内裏様」が内裏の中に住む人、という意味なら、天皇でなくとも、その子供たちである東宮や親王などと解釈する余地が生まれるわけです。


 東宮は将来の天皇ですので、ここでは、それ以外の親王との恋愛を想像(妄想)してみることにします。


***


 平安時代は様々な規範やマナーができて(そして変化して)いったようです。

 それは服装も同じでした。

 聖徳太子の冠位十二階では地位に合わせた色の冠が与えられたそうですが、平安時代にも色や模様に規範があったわけです。


 つまり、天皇や東宮に使われる色と模様の装束を着ているお内裏様では上記の妄想は叶わないということです。



 お内裏様の衣装ですが、これは天皇や貴族の正装である「束帯」と言われているそうです。

 装束の規範は(718年に成立した『養老令』によって推測される)文武天皇の『大宝令』によって成ったらしく――ただこの辺りはかなり唐風の影響が強く。その後、日本独自の衣装としての束帯ができたらしいですね。

 ※なお、以後の説明に関しては、復古運動・研究は後年になってのものも多く、ゆえに当時のものそのままとはいかず、推測が多分に含まれるようです。


 そんな前提で、これから束帯のパーツを見ていきたいと思います。


・冠……立纓冠(冠の長いところがぴんと立っているもの)は天皇用。なのでそれ以外の垂れ下がっているものがあれば。……曲げたの取り付けてもいいかも。


・笏……天皇は上下の縁がほぼ方形(ただし別の資料に寄れば中国がそれで、神事のみ上円下方のかたち、一般的に上円下方が用いられていたとか)――、臣下は円味を帯びて尻すぼみだそうなので、そちらを選ぶといい感じですね。


・石帯……石のついた革のベルト。石は三位以上が玉の帯、四・五位が瑪瑙。紀伊の石の白く輝いているのは六位甚目だよとか、細かかったようです。無紋の帯に方形の石が付いたものは天皇の神事専用。



■たとえば衣装(袍)の色。 天皇以外が着ることができない色を「禁色きんじき」と言います。


黄櫨染こうろぜん

  濃い黄褐色。天皇のみが着ることができる禁色、儀式の袍の色。中国五行思想の中軸、というと聖獣なら麒麟でしょうか。


・青色

  山鳩、麹塵とも。同じ色は他の臣下も着ながら「青色」という名称は使わなかったようです。


・赤色(上皇)、黄丹(東宮)

 

・紫の系統

  昔から高貴な色で、三位までは。


・緋

  四位、五位。この辺りも良いんじゃないでしょうか。


・黒

  四位以上。黒、シックでいいですね。ただ飾るにはお雛様との対比もあって、地味な気もします。



■文様

・桐竹鳳凰

  天皇の袍に織られる文様。

 

雲鶴うんかく

  平安前期は公卿や殿上人(五位以上、なので高位の子息はこの辺が官位スタートでしょうか)、後期は親王の袍の専用だったようです。なかなか。


雲立涌くもたてわく

 天皇も含みますが高位者。摂政や関白の50歳以上の人が袍に用いたという話が……ちょっと年上過ぎます。でも、特定の家では官位で使っていたようなので、お母さんがそちらのご出身だったらとかどうですかね……?

 基本宮中でしょうけど、実家でも親王の世話(衣類など)すると思うのであり?


・小葵

 天皇や東宮、女御など皇族の装束に用いられたそうです。良い感じです。

 


鳥多須岐とりだすき

 高貴な色の紫や二藍に、鳥が手をつないだような模様。若い高位の公達が用いる指貫に見られる、だそうです。なかなか良い感じですね。

 


・文様の大きさ

 若年ほど小さく、年を取るほど大きな文様になるのがどの衣装も一般的だそうです。



 ……済みません。お雛様のかさねの色目とか、裳についても色々語りたかったのですが、力尽きたのでこの辺でまとめたいと思います。


 以上、とりあえず天皇・東宮と特定されない、妄想の余地があるお内裏様のすすめ、でした。

 今の立派な雛人形が広まったのは江戸時代だそうですし、実際それほどこだわる必要は無いと思います(というか調べきれませんし、書き切れませんでした。平安時代の中でも変遷有りますし……)。

 お雛様の好きな色を選んでから、合う色の服にしてもいいですし。


 たとえば――緑は当時下位の色でしたが、春なので表淡青(緑色)・裏濃青(緑色)の「若草」の重ね。

 百人一首の「君がため春の野に出でて若菜摘む 我が衣手に雪はふりつつ」の、高貴な身分自ら、大切な人の(健康を祈る)ために庭に出て若菜摘んじゃうコーデはいかがでしょうか。スパダリ感ありませんか?

 また、めでたく、長生きの象徴である菊。表白に裏黄色や淡紫の、菊の名の付く重ねとかもあり。


 そんな感じで妄想しつつ選んでも楽しいんじゃないかなと思いました。



参考文献:

 有職故実図典 吉川弘文館

 六条院へ出かけよう 光村推古書院

 有職故実 講談社(学術文庫)

 源氏物語図典 小学館

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