わたしの大事な子

谷地雪@第三回ひなた短編文学賞【大賞】

わたしの大事な子

「わあ、おひなさま!」


 幼子が、目を輝かせて七段ある雛段飾りを見上げた。


「きれーい」


 母親はくすりと笑みを零して、幼子の肩を抱いた。


「これはね、お母さんがおばあちゃんから貰ったものなの」

「おばあちゃんの?」

「そう。おばあちゃんは、ひいおばあちゃんから。このお雛様はね、うちの女の子たちを、代々見守ってきてくれたの。だから、あさひがお嫁に行くときは、このお雛様をあげるね」

「くれるの!? これ、あさひの!?」

「そうよ」


 幼子は破顔して、母親に抱きついた。


「おかーさんだいすき!」

「お母さんも、あさひが大好きよ」


 絵に描いたような、微笑ましい光景だった。

 光に満ち満ちた、あたたかな母子を、雛人形が見つめていた。



 *



「は? なにこれ」

「あ……雛人形、出したの。もうすぐ雛祭りだから」

「結婚したのに、いるわけ?」

「結婚後に、飾っても、いいんだって」

「ふぅん。邪魔くさ」

「……ごめんなさい」


 そう言われると思ったから、七段全てを出さずに、お雛様とお内裏様だけを並べてある。それでも、夫は気に食わなかったらしい。ふんと鼻を鳴らしたものの、捨てられなかったので、私はほっと息を吐いた。

 夫とは、見合い結婚だった。私は箱入りだったし、恋愛に積極的になれるタイプではないので、恋愛結婚は諦めていた。見合いの席で会った夫は穏やかで、優しそうな人に見えた。何度かしたデートでも、終始私を気遣ってくれて、この人となら思いやりをもって、支え合いながら生きていけるのではないかと思った。

 そんな夫は、結婚後に豹変した。

 釣った魚に餌はやらないタイプだったらしい。結婚前は「よそのお嬢さん」だから丁重に扱ったが、父から夫に手渡された瞬間、私は「夫の所有物」になった。自分のものなのだから、どう扱っても構わない。それが夫の言い分だった。

 まだ結婚して一年にも満たない。そんな状態で離婚など、仲人さんに顔向けできない。両親も、あんなに喜んでくれたのに。

 私一人が我慢すれば、全ては穏便に、丸くおさまる。

 私が、我慢すれば。



 夜になると、夫が私を求めてきた。

 私はとてもそんな気分にはなれなかったので断ったが、妻の務めを果たせ、早く男児を産め、と恫喝された。

 無理やり押さえつけられて、私は諦めた。せめて早く済めばいい。

 

 その夜、不思議な夢を見た。誰かが、私を優しく撫でてくれる夢。

 膝に乗せられた私は、ぼんやりするまなこで、彼女のことを見上げた。

 顔は影になって見えなかったが、美しい長い黒髪が、やけに印象に残った。



 翌日、私は実家に顔を出していた。夫は家に一人、羽を伸ばしていることだろう。もしかしたら愛人を連れ込んでいるかもしれない。

 久しぶりに母の手料理を食べていると、急に携帯が鳴った。


「はい、もしもし?」

『こちら、茂手木あさひ様のお電話でよろしいでしょうか』

「そうですけど……」

『こちらは警視庁です。落ち着いて聞いてください、旦那様が――』



 駆け込んだ病院で、夫の顏には白い布がかけられていた。

 呆然として側に寄ると、首に黒い紐がいくつも巻き付いているのが見えた。

 私は直感的に、何故かそれがだ、とわかった。

 私の視線に気づいたのか、看護師が慌てて弁解した。


「申し訳ありません。そちら、鋏でも切ることができず、どうしても取れなくて……。ご不快ですよね、すみません。後ほど、また取ることができないか試してみますので」

「いえ、このままでいいです」

「ですが」

「大丈夫です。……このままで」


 私は夫の首をそっと撫でる――ふりをして、髪の毛に優しく触れた。


「守ってくれて、ありがとう」


 看護師は怪訝な顔をしたが、夫への言葉だと思ったのだろう。

 一礼をして、部屋を出ていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

わたしの大事な子 谷地雪@第三回ひなた短編文学賞【大賞】 @yuki_taniji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ