願う、君が健やかであることを

保紫 奏杜

君を思う

 彼女の手が、小さなひな人形を箱から取り出している。

 あの子が生まれた年、彼女の両親が日本から送ってくれた手乗りサイズの人形だ。木目込きめこみ雛という種類らしく、人形に衣服のしわや模様をすじりし、その溝に衣装となる布地の端を押し込んで作るのだそうだ。淡い色の市松模様が、春らしくて好ましい。


 手のひらに乗せた人形の長い黒髪を、彼女の指先がいとおしそうに撫でた。


「あの子の髪はもう少し、明るかったわね」


 つぶかれた言葉は、僕の鼓膜こまくだけでなく胸の奥まで震わせる。意識的に明るさが込められたような声が、じわりと胸に広がっていく。


「そうだね」


 僕は、泣きそうな瞳で微笑ほほえんでいる彼女に笑みを返した。

 きっと僕の顔も同じように、彼女の目に映っているのだろう。


 彼女が窓からの景色が見えるテーブルの上に、透明な花型の台座を置いた。優しい手付きで花の上に座らされた人形が、そのかんばせを晴れた空へと向ける。


 二重で大きめの黒目、下睫毛したまつげまである薄化粧な人形の表情は、まるで幼い子供のようなあどけなさで。

 僕は毎年、そこに小さな娘を重ねずにはいられない。


 あの時。この手で掴んでいた娘の手を、僕は放してしまった。仕事の連絡が入り、そちらに意識がいってしまった。更には突発的な爆発事故が起こり、逃げ惑う人々の中、とうとう僕は娘を見つけられなかったのだ。


 のちに分かったことだが、同じホテルでおこなわれていた宝石展示会に強盗が入ったらしい。多くの死傷者を出した事故は、彼らが起こしたものだろうということだった。


「こっちもね」


 彼女によって、娘の傍に男雛おびなが並べられた。いや、女雛めびなの隣に、だ。


「今頃は恋人ができていたりして」


 ふふ、と悲しげな眼差まなざしで、彼女がまた微笑ほほえんだ。


「僕が認めた男でないと、許さないよ」


 僕は心から、そう答えた。


 僕たちの小さな娘の遺体は、見つからなかった。あの子が大事に抱いていた兎のぬいぐるみだって、見つかっていない。焼け跡から見つかったのは、あの子の片方の靴だけだ。だから、僕たちは娘が生きていると信じている。


 どうか、あの子が病気や怪我をせず、すこやかであるように。

 そして、迷わずに僕たちの元へ帰ってこられるように。


 僕は娘に似た面差おもざしの人形を見つめ、願った。



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願う、君が健やかであることを 保紫 奏杜 @hoshi117

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