おひなかざりの16人
江東うゆう
第1話 おひなかざりの16人
「なあなあ、これ何人が写っている写真だと思う?」
3月3日、日も長くなってきた夕方の教室で、
気象や天体の観測を主に行う地学部の活動は、朝と正午、午後4時以降を除くと、けっこうヒマだ。ちなみに、朝は百葉箱や天気をチェックし、正午は太陽黒点を観測し、午後4時には気象通報を聞いて天気図を書く。当番制になっているので、当たっていなければその時間もヒマだ。
しかも、部室として使っているのは、丘の上の学校にある最上階という、眺めのいい地学室だ。季節ごとに変わる町の風景を眺めていると、よけいにヒマだなあと感じてしまう。景色を眺めているだけでひまつぶしになるから、勉強もしたくない。
「え? これ、人? かわいい! 幼稚園なんかでやる、おひなまつりの劇かな?」
須栗のスマホを覗き込んでいた三枝さんが目を輝かせた。長い髪が肩から流れて、画面にかかる。慌てて、三枝さんが髪を耳にかけた。
かわいいなあ、と僕も思う。三枝さんは僕ら一年生の中でも人気のある女子だ。何しろ、秀才が集まると言われる七組の室長をしているから目立つし、明るくて素直な性格が人望を集めている。いつもは取り巻きの女子が三人いるのだが、そろってインフルエンザにかかった、ということだった。三枝さんに興味のある生徒たちからすれば、この上ないチャンスだ。須栗は今、同じ部活だってことを八百万神に感謝していることだろう。
「何人って、お内裏様とおひな様、三人官女と五人
夢中になっている三枝さんの姿に、須栗はご満悦なのか、黒縁のメガネのブリッジをくいっと指先で押し上げた。
「残念」
答えは、予想通りだった。少なくとも僕には。
「ええ? どういうこと」
三枝さんはわからない、というように首を傾げた。それから顔をスマホ画面に近づける。
「拡大してもいいよ」
「うん」
三枝さんが指先を画面に当てる。
――それ、たぶん拡大してもわかんないな。
僕は気の毒に思いながら、前に向きなおる。へたに本当のことを言って、須栗の機嫌を損ねるのもいやだったから、手元の文庫本を開き、続きを読み始めた。
僕と須栗は幼稚園から高校まで、ずっと一緒だ。お互い、下の名前の音が「かなた」で一緒だから、お互い、須栗、
――いくら三枝さんの気を惹きたいからって、あの事件のことを持ち出すのは須栗も人が悪いな。
僕は、幼稚園の年少組のひなまつりのことを思い出した。
あれは、保護者会の日のことだった。
年少組は一クラスだけで、みんなで15人。ちょうどいいから、おひなさまの劇をやろうということになった。
その日に向けて、先生が段を作ってくれた。
小柄だった二人がお内裏様とおひな様役になった。僕は、お内裏様役だった。
いちばん下の段には大柄な子が仕丁の格好をして座った。仕丁の両サイドには橘と桜の模型があった。これも、段ボール箱を使って先生たちが作ったものだった。
仕丁の斜め後ろには右大臣と左大臣が、新聞紙を丸めて色テープを巻いた弓矢を手にしている。衣装はビニールで作ってもらったように記憶している。
劇のあらすじは、おひなさまにお供えしているダンゴをねずみが狙ってやってくる、というものだ。
ねずみ役の子はいないが、僕ら全員で、「だめだよ、ねずみさん」「あっちへいって」などと言うことで、見ている保護者に状況を把握してもらう、というしかけだ。
最後に先生がダンゴを取りにきて、みんなで、「あー、よかった」と言って終わる。
年少組くらいの子どものいる家庭は、さらに小さい弟や妹が控えている場合もある。劇の行われる遊戯室には柔らかいマットが敷かれ、赤ちゃんが自由に動き回れるようにしてあった。小さな子たちを遊ばせるために、保育士の免許を持った先生も控えていた。
そうして、劇が始まったのだ。
「ねえ、教えてよ。15人じゃなきゃ、何人なの」
三枝さんの尖った声が聞こえた。須栗が答えをなかなか言わなかったのだろう。じれて、いらついている。
「えっ、いや。……なんでもいいから、15人以外の人数を言ってみてよ」
須栗は戸惑いながらも、まだ、答えを明かさない。
もういいかげんにしときなよ、と思いつつ、僕は振り返った。
状況は想像していたよりも悪かった。三枝さんはすっかりむくれているし、須栗の顔色は青くなっている。
僕は、頬に手を当てて呼びかけた。
「須栗! 二枚目の写真があるんだろ? あっちのほうがおもしろいじゃん」
種明かししろ、ということだ。だが、須栗は焦ってしまったのか、スマホと僕を交互に見るだけだ。
僕は立ち上がって、彼らの背後に回り、須栗のスマホ画面を見た。
「これ、僕だよ」
すました顔のお内裏様を指さす。三枝さんが僕を振り仰いでから、スマホに視線を戻す。
「ほんとうだ。面影があるね」
「須栗は小さいころから背が高くて、ほら、いちばん下の段の仕丁の子、右大臣の前の。その子が須栗だよ」
三枝さんは、じっと仕丁の姿の子どもを見つめた。それから、あ、と言う。
「須栗くん、メガネを外してみて」
須栗が不安げに僕を見上げた。僕は力強くうなずいてみせる。
「いいけど」
片手でそんざいにメガネを外した須栗は、目元にかかった前髪を手の甲で押し上げた。三枝さんが、はっとしたように身を引いた。そう、メガネで隠れているけれど、須栗はどうしてなかなか、眉目秀麗なのだ。
「こいつも面影があるでしょう?」
須栗の売り込み時だと思って、僕は三枝さんに囁いた。三枝さんがうわの空、という顔のまま、うん、とうなずく。
二人の関心がそれたすきに、僕は写真の上で指を滑らせた。次の写真が表示される。
僕は顔をしかめた。てっきり、種明かしとなる二枚目の写真が出てくるのだと思ったのに、その一つ前の写真だ。
須栗が気づいて、三枝さんの目の前にスマホをつきつけた。
「ねえ、これ、さっきの写真と違うじゃん。どこが違う?」
なるほど、そう問いたかったのかと思いつつ、僕は視線を逸らした。三枝さんは、答えがわからなくてイライラしていた。それなのに、さらにヒントを与えて考えさせるようなことをするなんて、逆効果だ。
「え? 同じ写真に見えるけど」
三枝さんは眉を寄せる。早いところ終わらせたほうがよいような気がして、僕はヒントを出した。
「右大臣の斜め前の橘、ひときわ大きな花があるでしょう?」
写真の橘には、段ボールで作った柵の横に、ほかの花より大きな花が咲いているように見える。それも、枝などなく、柵の途中から、突き出て咲いている感じだ。
「ほんとう。……ん?」
じっと橘を見ていた三枝さんは、指先で画面を触り、花の辺りを拡大した。
「あ!」
三枝さんの驚いた声に、僕はにやりとした。ついで、須栗の足を蹴飛ばす。須栗がはっとしたように、三枚目の写真を表示した。
そこには、僕らではない子どもが一人、映り込んでいる。
「本当だ。16人いる!」
三枝さんは明るい声で笑った。須栗はほっとしたようにはにかんだ。
あのとき、右大臣だったよっちゃんの弟は、まだハイハイをしている赤ちゃんだった。お兄ちゃんが不思議な格好をしているのがおもしろかったのか、劇が始まる前から、よっちゃんのそばを離れなかった。
よっちゃんは須栗と仲良しだった。二人は二言、三言交わすと、よっちゃんの弟を橘の後ろに隠した。そのまま劇が始まったのだが、赤ちゃんは大人しくしていない。よっちゃんに向かって伸ばした手が、箱の陰から出てしまった。
あとから母に聞いた話だが、よっちゃんの弟の手は、最初、橘の白い花のように見えたのだという。だが、ひらひら動くのでおかしい、と思ったらしい。よっちゃんのお母さんも、赤ちゃんが隠れているのに気づいたのだが、年少組の子どもたちが必死に隠しているので、そのまま黙っていたのだという。
おかげで、劇が終わったあと、万雷の拍手と、爆笑に包まれたのだが。
「ありがとな」
部活の帰り道、駅で三枝さんと別れたあと、須栗がぼそりとつぶやいた。
「どういたしまして」
僕も、すました顔で答える。お内裏様を演じたあの日のように。
須栗は鼻の頭を掻いて、顔を赤くした。そういえば歌では、右大臣の顔が赤いことになっていたよな、と僕は思った。
須栗は言った。
「ありがと、しーちゃん」
僕は仕丁姿の彼を、一瞬思い出す。
僕らの中に今もあの日の子どもたちが棲んでいるような、不思議な気分になった。
〈おわり〉
おひなかざりの16人 江東うゆう @etou-uyu
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