第七悲歌

ためらいの果てに漏(も)れるオマエの声。それは、求めであってはいけない。求めではなく、

抑えても、抑えても、抑えきれない思いのほとばしりであって欲しいのだ。また、

無垢な鳥のさえずりであって欲しいのだ。

春の澄み切った空へ高く揚げられたあの鳥のように、

自分が、餌を求め細々と生きる生き物であることも、

空に投げ出された、ただひとつの心であることも、ほとんど忘れて。あの鳥のように、

いや、それに劣らず……。しかし、やはりオマエは求めるだろう。

     ——— そうなのだ。オマエの声を聞きつけて、まだ姿を見せていない未来のオマエの恋人は、

その胸の内に少しずつ、オマエへの返事の言葉を芽生えさせる。

そして、オマエの声に耳を傾ければむけるほど、その思いに応えて———、

彼女の気持ちは、燃え立つ焔へと変容していくのだ。


春は分かっている。鳥の声に、

未来の恋人を告げていないフレーズなどないことを。まず、あのひかえめな、

物問いたげな最初の一声を聴け。あの声で、静けさは遠く広く、

深まっていき、太陽はだまって頷く。とその時、

沈黙が破られて、歌声は叫びの大階段を駆け上がる。そして歌声は、

未来の夢の宮殿の扉を叩き、激しいトレモロとなり、噴水のように、

吹き上げ吹き散り、水は頂点に達したとたんに落下を予感して、

その予感は、新しいほとばしりを約束して……そして、水面には早くも夏の気配が漂う。


夏の朝のさわやかさ、

そのさわやかさの中で、空はしだいに明け染め、今日一日を前にして輝き渡る。

昼となり、大気は花々を包んで繊細を極め、そびえる巨木をめぐって勢いを誇る。

最高潮にたっした輝きは、輝き足らぬとばかりに、

道々へ、また牧場へと傾き、そこへ夕立、

夕立のあとは、澄み渡る大気が安堵の息を吐く。やがて、

日も暮れ、ちかづく眠りの時間、もの思いの時、深まりゆく夜。空高くには夏の星々、

さらに遠くにも星々、地上もまた星のひとつ。

いつの日か、ボクも死者の列につらなる者として、

天空に輝くすべての星々の心を知りたいものだ。

なぜなら、星々のあの輝きは、ボクの脳裏から決して消え去らないのだから。

あんなに美しい輝きを忘れ去る、そんなことはあり得ないのだ。


ボクは愛に身をささげた女性を呼び出す。しかしそこに現れるのは、

そんな女性だけではない……、朽ち果てた墓から、

少女たちも現れるだろう……なぜなら、いったん呼びかけたボクの声を、

特定の対象にだけ届けることなど出来ない相談だ。

墓に埋められた少女たちは、今も地上に未練を抱いている。

年端もいかない少女たち手が、この地上でしっかり握ったものは、それがたった一つであったとしても、万物に値し

た。

運命が、幼い日々より重いものだと思ってはいけない。

夭折の少女たちは、愛を経験せず、むしろ愛することを追い越し、

至福に息はずませて、何ものにも邪魔されず、自由に向かって駆けて行ったのだ。


この世界に存在したことは素晴らしい。墓に沈んだ少女たちも、また、

貧しく腫瘍(しゅよう)だらけの身体で、都会の薄汚い裏通りをさまよった者たちも、

そのことはよく分かっていた。なぜなら、

すべての人にひと時は与えられたのだから。それがひと時であったとしても、

いや、ひと時ともいえない、時間の尺度では測れない、刹那と刹那の隙間であったとしても、

存在としてこの世界にひと時でも存在したことは、一切を捉えたことなのだ。

ボクたちは、隣人が、その笑いによって証明してくれたこと、

あるいは、妬みによって証明してくれたこと以外は、認められない。

ボクたちは、目に見えるものばかりを認識する。

そして隣人が認めた幸せを幸福と呼ぶ。しかし、本当の幸福とは、

ボクたちが、ボクたちの内部で形成していくものなのだ。


愛する人よ。ボクらの内部以外には、世界は存在していない。

ボクたちは時々刻々に変化していく。外部は常に瘦せ細り、

そして消えいく。永遠にあるように思われていた建築物のあったところに、

計算しつくされた近代建築がひねくれた姿でのさばっている。

まるで脳味噌にぬかるんだ想像の産物のようだ。

力ずくで作った巨大な倉庫が並んでいるようにも見える。それは現代が、

形態を計算ずくで組み立てようとしているからなのだ。

現代は、本物の寺院を建てることが出来ない。もうあのように敬虔な祈りを蕩尽することなど出来ないからだ。

ボクたちは、心の中に寺院を建て、それを維持するべきなのだ。

仮に今も、祈りひざまずかれる寺院がもちこたえているというのなら、

それは本物の信仰心を持つ少数の人々の心の中へ、その姿のまま、移動していくだろう。

しかも、その心の中の寺院の彫像や柱は、現実のものよりずっと偉大なのだ。

しかしいいか。多くの人はその寺院の価値を知らないのだ。


社会がクルクル動き回るとき、このテの人々が現れるのだ。

彼らには受け継ぐ過去もなければ、まぢかな未来をつくることさえ出来ない。

まぢかなものさえ、この人々には遠いのだ。しかしボクたちは、

こういう混乱に巻き込まれてはいけない。それどころか、これを契機にして、現在あの認識できる寺院の姿を、

ボクたちの内部にしっかり維持していくことに努めなければならないのだ。

それらの建築は、間違いなく万物は滅びると言う宿命の、まっただ中にそびえ立っている。

時間は逆戻りなどしないと言う事実の中に、存在を誇っている。そして、

微動もしない天空の星々を、ボクたちのほうに撓(たわ)め寄せてくれるのだ。

天使よ、ご覧ください。あの列柱を、塔門を、スフィンクスを、

天を支える黒ずんだ大伽藍を。

あれらは、貴方がた天使の眼差しに見守られ、

変化する都会のただ中に、究極の姿をして、そびえ立っているではないですか。


これは奇跡ではないでしょうか。おお天使よ。驚いてください。それをなし得たのはボクたちなのです。

偉大なる天使よ、ボクたちがそれをなし得たのだと言ってください。

ボクの息は、それを口にする資格がないのです。ボクたちは、

ボクたちをあらしめてくれているこの時間と空間を、決してなおざりになどしていなかったのです。

(あのそびえたつ大建築たちは、なんと偉大な存在であろうか。それにひきかえボクたちの感情など、幾千年も続き

はしないのだもの)

おお天使よ。よく考えてください。

シャルトルは、貴方がたの傍らに置かれていても、見劣りしないではないですか。

あの塔は、現にあそこにあるではないですか!

そして音楽は、さらにさらに高くそびえ立ち、ボクたちを圧倒します。そしてまた、

あの一人の愛する女性も、夜の窓辺にたたずんで、

天使よ、貴方の御膝元に到達したではないですか?

             思い違いはなさらないでください。

ボクが貴方を求めているなどとは。

それに天使よ、ボクが貴方を求めても、貴方は来てはくれないでしょう。

なぜなら、ボクの声は、呼びかけながらも、押し戻す拒絶で満ち溢れているのですから。

このように激しい拒絶の気流にあっては、

貴方が、ボクに歩み寄るなど不可能に違いないのです。

ボクの呼びかけは、ただの高く差し伸べられた腕でしかないのです。そして、

つかもうとして花をつけたこの指は、

捉えられない貴方がた天使を前にして、大きく広げられたままなのです。

それは、拒絶と警告のしるしそのものなのです。

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