第六悲歌
イチジクの樹よ、オマエは、ずっと昔からボクの関心の的だった。
オマエは、人から賛美される花の時機を飛び越えて、
ためらわず、いさぎよく、実を結び、
清純な秘密を、ひっそりと実の中に抱き込んだ。
オマエのしなやかな枝々は、噴水の管に似ている。
樹液は、上にあるいは下へと送られる。オマエが実をつけることは、
目覚めることもなく、眠ったまま、この甘美で心地よい世界に、おどり出ること。
丁度、※1神が白鳥に転身したように。
……だが、ボクたちには、ためらう。
ボクたちは、花を咲かせることに恋々とこだわる。そのため秘密をさらし、
朽ちかけた実の中に、割り込むはめとなるのだ。
花をつけることの誘惑が、匂い立つ夜のそよ風のように、
唇や瞳を撫ぜるとき、
高まる行動への強い衝動にせかされ、
その誘惑を振りきれる者は、そうそういるものではない。
誘惑に勝てる者は、英雄と夭折の宿命を負った者たちだけなのだ。
死と言う名の庭師は、強い者たちの血管を、ボクたちの血管とは違うやり方でたわめているようだ。
英雄や夭折した者たちは、なしとげた満足の微笑に先立って、
まず目的へと突進していく。丁度、カルナックの神殿の浮彫にある駿馬たちの群れが、
車上の王を先導しているように。
英雄は夭折した者に驚くほど似ている。命ながらえることを気にかけていない。
上昇こそ彼らに相応しいものなのだ。英雄は、絶えず無我夢中に、
危険にみちた星座の中に立ち入って、栄光の足跡を捺す。
それなのに、星座に連なる彼らを見分けられる者は、ほとんどいない。しかし、
ボクたち凡庸な人間のことは黙して語らぬ運命は、唐突に感動して歌い始め、
歌声が沸きあがる世界の嵐の中に、英雄を導いていく。
ボクの耳にも英雄の声が聞こえる。たちまちその声は、
流れる風とともに、ボクらの身体を貫いて吹き抜けるのだ。
その瞬間、ボクはどれほど憧れへの衝動を抑えることに苦労したことか。万が一、
今、この身体が少年に戻れるものなら。そして、
未来を待つ両腕で頭を支えて、不妊症の母親が偉大な英雄を産む、
あの※2サムソンの物語を読むことが出来るものなら……。
サムソンのお母さん。サムソンは貴女のお腹の中にいたときから、すでに英雄だったのではないでしょうか。
そこで、サムソンの英雄への選択は、もう始まっていたのではないでしょうか。
彼自身の無数の資質が、貴女のお腹の中で沸き立ち、サムソンをサムソンたらしめたのではないでしょうか?
彼は、採るべきものを採り、捨てるべきものを捨てるという、その選択を実行しました。
そして後々に、列柱を打ち壊す偉業をなし得るのです。しかし貴女の胎内から、
より狭い世界に躍り出たことは、後になし遂げた偉業にひとしいことだったのです。そして、
サムソンは選び続け、行い続けたのです。ああ、英雄の母親たちよ! すべてをひきさらう奔流の源よ!
貴女方は激流を抱えた峡谷そのもの! その高い精神の懸崖(けんがい)から、処女たちが、
未来の息子への生贄として。
嘆きながら身をおどらせて、飛び降るのだ。
なぜなら英雄は、いかなる愛にも引き止められず進む者。
英雄を思う鼓動のひとつひとつが、彼を高め、彼を彼方に押し進めるのだ。
ただ、進みながら、微笑の終局に、さっそうと立つのです。
———ひとりの異なる者として。
※1 ゼウスが白鳥に変身して、スパルタ王デュンダレオースの妻レダを誘惑したエピソードより。
※2 サムソン。旧約聖書に登城する士師(ヘブライ人の指導者)。不妊症であった母親から、いろいろ神から約束を
つけられて誕生する。サムソンは長じてヘブライ人の宿敵であるペリシテ人を打ちのめす。やがてサムソンは
デリラというペリシテ女を愛するようになる。そして彼女に、神から与えられた約束であり自身の弱点を話し
てしまう。これによってサムソンは両目をえぐられ牢に入れられる。やがてペリシテ人の祭りに、サムソンは
見世物として引き出される。そこでサムソンは神の力を得て、柱を倒して、ペリシテ人とともに死ぬ。
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