第五悲歌 ※へルター・ケーニヒ夫人に

いったいこの人たちは、何者なのだ。旅また旅に日々を送るこの人たち。

この芸人たちは、いった何者なのだ?

彼らは幼い頃から、得体の知れない意志に突き動かされて、揉みくちゃにされている。

その意志とやらは、はたして誰のために働いているのだろうか。

そもそも、誰の意志なのだ? よくよく見ればその意志は、自暴自棄になっている。そして、

やけくそになった意志が、芸人たちを、宙返りさせ、逆立ちをさせ、バク転をさせ、

空中を跳んでは他の芸人に受け取らせたりしている。

芸人たちは、油を流したようなヌルヌルする空中から、

擦り切れたマットの上にハラリと着地する。

そのマットは、繰り返された彼らのとんぼ返りで薄くなっている。

それは、宇宙に捨てられた雑巾のようだ。あるいは、

この場末の空が、地面を引っ掻いたキズ痕に貼られた、絆創膏のようだ。

芸人たちは、一芸終って、マットの上にすっと降り立ち、

大文字イニシアルDのポーズを作って、拍手喝采を浴びる。

その得意満面も束の間で、どこからともなくマッチョな男が現れ、

あのアウグスト豪勇王が手すさびにスープの銀皿を巻いたように、

ポーズをとる彼らの腕をねじり上げる。

すると観衆は、「これは面白い」とヤンやの拍手。


この一連の芸を観た客は、足踏み鳴らして、

薔薇色の気分を盛り上げては、すぐ冷める有様。

マットから埃を舞い上げる芸人は、自分の雌蕊に自分の花粉をつけているようだ。

そして、そこに結ばせた果実は、

薄紙のような表皮を輝かせる、偽果実。

うわべだけの作り笑いをさらりと見せて、

華やかさを装うその哀しさ。しかも、

この偽果実は、自分のみじめさをよく分かっていないようだ。


今度は、あの年老いた力士をご覧ぜよ。

現在は、太古叩きのお役を頂戴している。

あのたるんだ皮膚の袋は、その昔の威勢が良かった頃、

二人の人間が住んでいると讃えられたものだ。その内の一人は、

あの世に旅立ち、生き残ったほうの一人は、伴侶に先立たれ、

耳が遠くなり、口から出る言葉も支離滅裂で、

古巣でやもめ暮らしを決め込んでいる。


ところが、いっぽう、こちらの血気盛んな若者は、

初心な顔をしていながら、筋骨隆々のはちきれそうな身体を自慢している。

まるで、力持ちの男と、心優しい尼さんの間に出来た子供のようだ。


オマエたち、旅する芸人さんたちは、

子供が悩みから解放され、

一人前に成長していく過程の一時期に、

彼らの、お慰みのおもちゃになったこともあっただろう?


オマエたちは、あっと言う間に花を咲かせ、花を散らせる。

軽業の樹木から、未熟な木の実が落ちるような、

そんな落ち方で、一日に百回も、

噴水よりも速く、落下して、墓に当たって跳ね返る。

そしてオマエたちは、呼吸を整える瞬間に、

かわいらしい微笑をうかべ、

めったに優しさを見せない母親の顔色をうかがいながら、

命がけの宙返りの芸を続けたではないか。

だが、おどおどと母親に向けたその愛想笑いも、一呼吸の間もおかず、

サッとオマエの身体の表面にひろがり、

スゥーっと消えていき……と、その瞬間、

まだ強い鼓動を打つ心臓に、

ひとときの安らぎを与える間もなく、

親方が手をたたき、早く跳べと命じてくる。足の裏のジンジンとひびく痛みは、

思わず知らず溢れてくる涙と同じで、

オマエのみじめな境遇の証だ。どの感情より先だって沸き起こるのは、

悲しみだ。しかし条件反射のように、

愛想笑いがまたオマエの顔に浮かんでくるではないか。


天使よ。つつましく花をつけるこれらの薬草を、

花瓶をあつらえて活けてくれ。そしてボクたちがまだ見たこともないような、

幸福な空間に、この薬草を飾っておくれ。活けられた薬草を、

『軽業師の微笑』と名付けて、彼らのキメのポーズを讃えようではないか。


お次はこの少女だ。カワイイ顔した女の子。

子供らしい楽しい思い出を飛び越えさせられて、今、ここに取り残された少女。

そのスカートの縁飾が、彼女に変わって幸せを享受しているのかもしれない———。

また、あどけないこの少女が身に着けた、

膨らみかけた胸元をおおう絹地が、

限りなく甘やかされて、満ち足りた思いで輝いている。

少女は、釣り合いを求めて揺れる秤の上に、

常に違ったポーズで載せられる。それは、

まるで市場に並べられた果実のようだ。

身体は持ち上げられて、

公衆の肩と肩から覗かれる、少女の笑顔は悲しい。


彼ら彼女らのような芸達者ではない男女が、たがいに挑戦しながらも、

うまくいかず、二匹の獣のように、

組んでは落ちていったあの場所は、いったいどこにあるのか———。

その場所のことは、ボクの心の中では、しっかりイメージ出来ているのだ。

重さが重さのままであり、

皿回しの皿が、棒の先から、

よろめき落ちる、

あの不安定な場所は、どこにあるのだ?


と、突然、あやふやな、どこでもないところの中に、

言葉では言い表せない場所が出現した。そこでは、純粋な微小が、

不思議に変容し———、あの虚無の、

巨大そのものに急変する。あの場所こそ、

桁数の多い計算が解けて、数が消えてなくなるところ。


そこかしこに見世物小屋が並ぶパリの広場よ、

そこは、流行服飾デザイナーのマダム・ラモールによって、

果てしなく伸びるリボンが、新奇な結び方で飾られる。

これは、飽きさせない見せ物だ。

虚飾の色で塗られた、

フリンジ・造花・帽章・作り物の果物が———、

お手頃な値段の冬ものの帽子に置かれる。


天使よ。まだどこかほかに、ボクの知らない広場があるのではないか。

そこでは恋人同士が、心臓をバクバクさせながら、

マットの上で、支える大地のなくなったところで、

人目をはばかるような肢体で、

快楽の悦びで築かれたモニュメントを、

ふたつの寄りかかった梯を、組み立てているだろう。———そして彼らは、

その周囲に輪をなして、固唾をのんで見守っている、

数限りない死者たちの前で、

見事に、その技をしとげることだろう。

そのとき死者たちは、こっそり、奥の奥に隠した、

ボクたちの知らない、最後の貯えを、永遠に通用する貨幣を、

今、マットの上で、本物の微笑を見せている二人に、

その技をほめたたえて、惜しみなく投げ与えることだろう。


※この第五悲歌は、ヘルダー・ケーニヒ夫人宅に滞在していたリルケが、そこで目にしたピカソの『大道軽業師』からインスピレーション受けて書いたものらしい。

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