第四悲歌
命の樹に尋ねてみよう。冬が訪れるのは、いつごろだろうか?
季節に順応している植物にひきかえボクたち人間は、自然の流れに乗れず、
時には追い抜かれ、気分や心を自然に溶け込ます大切な機会を逃し、
風の気配にハッとして飛び立ち、
あわてたせいで、冷たい池にドボンと落ちてしまう。そんな渡り鳥のような存在になり下がっている。
それなのに、自然界の生き死にの宿命は、ちゃんとわきまえているのだ。
こうしている今も、ライオンは過酷な原野の中を、
自分の死の宿命を知らず、生を謳歌して、悠然と歩いている。
ボクたち人間は、ひとつのことに夢中になっていても、
それ以外のことにも、いらぬ気をつかってしまうのだ。
つまりボクたち人間にとって、矛盾とは、馴染み深いものなのだ。愛に夢中になっている者は、
かたく抱き合う相手に、束縛と安らぎを求める。が同時に、
その相手との間に、断崖のような行き止まりを見つけたりもする。
人間はその行き止まりのキワを、荒っぽいスケッチとして描くために、
行き止まりの先の景色が色彩を帯びて、目に見える境界が、そこに現出するのを期待する。
ボクたちは、自分の感じる力だけで、境界を意識することはできないのだ。
明確なものを与えられることを、いつも求めているのだ。
つまり、外側が輪郭を引いてくれることを待っているのだ。
ところで、自分自身の心の幕開きを前にして、不安をいだかない者がいるだろうか。
さあ、幕が上がった。舞台は『わかれ』のシーン。
お決まりの筋の台本だ。書割は例の庭園だ。
書割はちょっと揺れている。さあ、役者の登場だ。
でも、ダメだ! こんな役者は願いさげだ。もうたくさんだ。彼がどんなに器用に演じたとしても、
これは偽物だ。一皮むけば、ただの俗っぽい人間に戻り、
共同キッチンを通って自分ベッドに潜り込む。そんな、
中途半端な仮面を被った、まがいものの役者など、クソくらえだ。こんな役者を出させるぐらいなら、
むしろ人形のほうがましだ。人形は詰め物で満たされ、
あやつる針金にも、不格好な胴体や外見だけのその顔にも。
ボクは我慢できる。さあ、人形劇が始まるのを待とう。
劇場の灯りが消され「もうおしまいの時間ですよ」、
と言われても、舞台から人気(ひとけ)のなさが、
灰色の隙間風といっしょに吹きつけて来ても、
一緒に座っていた、無言のご先祖さまや、
ただひとりの女性や、あの変わり者の斜視の甥っ子までもが、
みんな、座席からいなくなったとしても、
じっと、舞台を睨んで、ボクはここに居座っていよう。
詩人らしい浮世離れしたボクの生き方は、許されてもいいものだろうか? 父さん!
このボクを本当の意味で理解してくれたお父さん。
成長するにつれて、だんだん露見してきたボクの本性の、
かなしい色の苦い抽出液を、いつも真っ先に顔をしかめて、飲んでくれたお父さん。
世間になじまない、ボクの未来を心配してくれたお父さん。
利口ぶったやぶ睨みで見つめるボクを、じっと見守ってくれたお父さん。
お父さんは死んでしまってからも、ボクが希望に満ち溢れてご機嫌だったときでさえ、
ボクの内側で、幾度も幾度も、不安を抱かれていましたよね。
死者だけが持つ平静を、穏やかな世界を、
ボクのひねくれた宿命のために、放棄なさったお父さん。
そして、ボクが愛した女性たち。ボクは許されてもいいのではないか?
詩人が人を愛することなど、ありえるのだろうか。
ボクがアナタに近づくことは、アナタから遠ざかること。
詩人の複雑な感情にふりまわされたアナタたちの顔は、空虚だ。
そして、その顔にアナタたちはもう、いない。
始まらない人形劇の舞台を前にして、ひたすら待ち続けるボク。
全身全霊で舞台をじっと凝視していたら、
この執拗な凝視のはてに、人形遣いとして、ひとりの天使が現れるだろう。
凝視するボクの姿勢が、天使を呼び出すことに成功するという次第だ。
天使と人形が揃えば、
本物の美しい劇を観ることが出来る。
そのとき、そこにいるというだけで、
ボクたちが分裂させてしまったものが、
はじめて合体し、
世界をめぐる森羅万象が、
完全な円となって結ばれ、動き始まるのだ。
この完璧な人形劇を観て、死に向かって突き進む人間が、
この世でなしとげられるものは、しょせん、かりそめの、かっこつけでしかないことを、思い知らされる。
それはつまり、森羅万象は、その本性をまだ現していないことを、知ることなのだ。
幼かった頃、
ボクたちが目にしたものの背後には、単なる過去と片付けられないものがあった。
そしてそこには、ボクたちを怯えさせる未来はなかった。
もちろん、ボクたちは時々刻々と成長をしてきた。時には、
大人を喜ばせるために、早く成長をしようと背伸びしたこともあった。
しかし、大人であること以外、何の特徴もない人々のためを思い。
誰にも媚びず、過去も未来も気にせず、
永遠に続くように思える、俗世間と玩具の中間地帯のような、
そんな純粋な幼児期を過ごしたこともあったのだ。
いったい誰が、幼さのあるがままを語りえるだろうか? 誰が、
幼いものを遠い星々の世界に連れて行き、
その手に大人と自分の世界との距離を測る定規を持たせることが出来るだろうか?
誰が、夭折の死を、固くなりつつある変色したパン生地で練り上げることが出来るだろうか?
誰が、リンゴを食べ終えた幼いものの口にまだ残る芯が、夭折の死と同じものだと分かるだろうか?
夭折の原因を語ることは容易(たやす)いことかもしれない。
しかし、リンゴの果肉が包み込む芯に似た早すぎる死を、
完全な死を、人生に踏み出す前から、あのように穏やかに包み込んで、
それで、恨みも悪意も持たないという、つつしみぶかい心を語ることは、
詩人の言葉でさえ難しいものなのだ。
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