第2話 とりあえず勉強してこい
何が何だか分からないまま毎日が過ぎていく。4月も半ばになった。大学の友達も息苦しさの中でもがいていた。
職場の隣の席のおばさんのミスを押し付けられ、頭を下げたとか、職場の先輩のモラハラ気味の旦那さんが押し掛けてきたとか、朝礼で売上が悪い先輩が罵倒されているところを見て失神しそうになったとか。
グループラインには、目を疑いたくなるような文字が並んでいた。自分自身も余裕があるわけじゃないけれど、友にエールを送る。
「ただ、強く生きて。」メッセージにいつもより念を込めた。どんな地獄にいても、ただ生きていてほしい。友にはそう、心から願っていたし、そう、願われていたんだと思う。
「明日は辞令交付だから、11時に社長室に行くこと。」
人事からそんな通達があり、社長室に出向く。
「君、五月から仙台に行ってもらうよ。君には期待してるよ。」
「ありがとうございます。誠心誠意、頑張ります。」
引き攣った笑顔のまま、ドアノブをゆっくりと閉める。
私の人生で、予想外の事態が起きている。初めてかもしれない。
今までの人生でサイコロを振る瞬間も振られる瞬間も無かった。自分で人生ゲームのマスを作ってきたのに、今、知らない人が作ったよく分からないマスに私は飛ばされようとしていた。
「まぁ、きっと3年もすれば戻ってこれるよ。とりあえず、仙台で勉強してきたらいいよ。」
営業同行した先輩は言う。この先輩はきっと、知らないマスに飛ばされたことないんだろうな。ずっと、地元の企業で、ずっと同じ部署で、ずっと同じ取引先にルート営業をしているんだろうな。
そんな、よく分からない人生ゲームがスタートしようとしていた矢先に、また、意地の悪い神がサイコロが振った。
「い、いたい。」死ぬかもしれないと思った。
私の左足はタイヤの下にあった。
運転手が急いで後ろに下がる。
頭が真っ白になって、足からは赤い血がにじんでいて、肌色のタイツはビリビリに破れていた。
とりあえず、人事の人に電話しよ。運転手の連絡先聞いておこう。
妙に冷静な判断。冷たく降りしきる雨のせいだろうか。救急車のサイレンはこちらに確実に近づいている。
とりあえず、命は助かったからよかった。「とりあえず」じゃない状況の中でも必死に「とりあえず」を探して、安心している自分がいる。
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