第5話 Hello World!

────────────────────

 

数日後───

 

────────────────────


「もう一回、頭からやろう。」


霧宮すばるの声がVRスタジオに響いた。

一瞬の静寂が訪れる。


メンバーたちは息を整え、視線を交わす。

床にステップを刻み込むシューズの音が響き、鏡には熱を帯びた自分たちの姿が映っている。

スピーカーからは、まだ余韻のように低音が微かに漏れ、リズムの名残を感じさせていた。


全員が、無言のまま立ち位置へと戻る。

それぞれのターゲットマークを確認し、肩の力を抜く。

リセットされた空気の中で、次の一歩を待つ。


インターネット娘のデビュー曲、「pingから始めよう」。


軽快なビートに乗せた振り付けは、一見シンプルに見えて、驚くほど繊細なバランスの上に成り立っている。

フォーメーションの移動が多く、個々のタイミングや角度がわずかにズレるだけで、全体の流れが乱れる。

だからこそ、全員が同じ速度で、同じ意識で動くことが求められる。


しかし、琴上もこにとって、それは問題ではなかった。


曲が流れ出す。

リズムが空気を震わせ、彼女の身体はすぐに同期する。


右足を踏み込み、ターン。

腕を上げる角度、指先の動き、足元のステップ。

すべてが正確で、どの瞬間を切り取っても、まるで教本の一ページのようだった。


音に合わせて流れるように動きながら、彼女は無駄のない動作を続ける。

視界の端でメンバーたちの動きも確認しながら、彼女はそのすべてを最適な位置に収めていく。


ミスはない。

ズレもない。


どこにも問題なんてないはずだった。


でも——


「……うーん。」


すばるが、踊り終えた直後に小さく首を傾げた。


その仕草に、スタジオの空気がわずかに揺れる。

メンバーたちが静かに彼女を見た。


「全体のバランス、もう少し調整したいかも」


「えっ?」


もこは思わず声を上げた。


「でも、振り付けの通りにやってますよ?」


「うん、それはそうなんだけど……なんていうか、動きが硬いというか。」


「硬い……?」


その言葉に、もこは困惑した。


身体は正しく動いたはずだ。

音楽に合わせ、正確に、リズムを乱さず、無駄なく。

それなのに、なぜ「硬い」と言われるのか。


「確かに振りは完璧なんだけど、チームとしてのまとまりがちょっと……」


「でも、振りが合ってるなら、それで正しいんじゃないんですか?」


「正しい……ね。」


すばるが、ゆっくりともこを見る。


鏡の向こうの視線が交錯する。


「もこちゃん、ちょっと横に来て。」


もこは言われた通り、すばるの隣に移動した。


彼女の横に並ぶと、その存在を感じた。

視覚的なことではなく、そこに「いる」感覚。


「この動き、ちょっとやってみて。」


すばるが片足を軽く踏み出し、両手を広げる動作を見せる。

もこも、それを完璧にトレースした。


「……揃ってますよね?」


もこは自信を持って言った。


すばるも頷いた。


「うん。でも、じゃあ私の指と同じ位置になるように動きを少し合わせてみて。」


すばると同時に並んで、指の座標が一致するように動きをトレースする。


合わせるようにもこも動かす——つもりだった。


でも、気づく。


それは「自分にとっての正しい動き」じゃない。


「……これだと、振りと違っちゃいますよね?」


「そう。でも、合わせるってそういうことなんだよ。」


「……?」


すばるは、もこの視線を受け止めながら続ける。


「もこちゃんは、振り付けの通りに踊るのが正しいって思ってるでしょ?」


「はい。」


「でも、それじゃ全員が“ひとつ”にはならないのよね。」


すばるは、ゆっくりと腕を上げながら続けた。


「だから、みんなに合わせて全員で調整しないと。」


「……でも、それって……間違った動きになりません?」


もこは納得がいかなかった。


振り付けはこう、と決められているなら、それを守るべきじゃないのか。


「もこ。」


咲野なちが、少しだけ笑う。


「じゃあさー、もし“振り付け通り”に全員が動いたら、それが一番正しいって思う?」


「……はい。」


なちは、軽く首を傾げながら続ける。


「でもさ——」


咲野なちが、ふわりとした動きで一歩前に出た。

彼女のステップは、力みのない自然なもので、まるでリズムに溶け込むようだった。


「決めた通りにやるだけなら、VRなんだからプログラムにやらせれば良くなっちゃわない?」


「!」


その言葉に、琴上もこの中で何かが引っかかった。

脳が一瞬、空白になる。


プログラムにやらせればいい?

でも、自分は——


視界の端に映る鏡の中の自分。

ブレのない動き、乱れのないフォーム。

理論上、最適解のはずのダンス。


それでも、なちの言葉が頭の中を巡る。


「いや、それは……でも……」


言葉が詰まる。


どこが間違いなのか、なぜそう思うのか、自分でも整理がつかない。

ただ、漠然とした違和感だけが、心の中に広がっていく。


「ダンスって、みんなで“合わせる”ことが大事なんだよ」


なちの声は、柔らかく、それでいて確信を持っていた。


「正しいことだけじゃないんだよね」


そう言いながら、なちは片足を軽く浮かせ、床を優しく蹴る。

リズムに遊びを加えるように、ふわりと跳ねた。


その動きは、明らかに「振り付け」にはなかった。


でも、軽やかで、自然で——


楽しそうだった。


「……」


すばるが、そのなちの動きを見ながら、ゆっくりと口を開く。


「もこは“正しさ”を求めてる。でも、私たちがやってるのは“見てもらう”ダンスでしょ?」


「……見てもらうためのダンス」


もこが、その言葉をゆっくりと繰り返す。


「そう。だから、機械的に正しいかどうかじゃなくて、“一緒に踊る”ことを意識してみるといいかも」


すばるは、軽く腕を広げながら続ける。


「ダンスって、ステップを踏むことだけが全てじゃないんだよね。

相手の動きを感じて、それに寄り添うことも大事」


「……」


もこは何かを言いかけて、口を閉じた。


“寄り添う”。

そんなこと、今まで考えたことがなかった。


「正しく踊ること」=「ダンス」ではない?


目の前に広がる鏡の中、自分はどこまでも正確で、どこまでもブレがない。

けれど、その動きは、メンバーたちの動きと微妙に違って見えた。


それは——「間違い」ではなく、「違和感」。


「もこちゃんさー」


「はい……」


もこが戸惑いながら振り向く。


「踊ってて楽しい?」


そう言って、みあは軽く手を伸ばし、くるりとターンを入れた。

髪がふわりと広がり、彼女の周りの空気が変わる。


「考えたことなかったです」

 

ほんのわずかに、リズムに余白を持たせた動き。

完璧な型にはめるのではなく、その場にある”気持ち”を乗せた動き。


「私たちが楽しくなくちゃ、ファンのみんなも楽しく無いよ、きっと」


“楽しく”。


今まで、自分の中にあったのは、

“正しく”、“ズレなく”、“間違えない”。


それだけを追い求めるものだと思っていた。


けれど——


「……楽しく、やる」


もこは、自分の手を見つめた。


この手は、ずっと“正しさ”だけを求めて動かしてきた。


でも、それだけでは足りないのだろうか?


「……もう一回、やってみる?」


すばるが、ふっと笑いながら声をかける。


「……はい。」


もこは、深く息を吸い込んで、立ち位置に戻った。


でも、今度は——


ほんの少しだけ、違う何かを探すように。


────────────────────


【Internet-Musume VR LIVE】

 

────────────────────


──3

──2

──1


『Internet-Musume Plug on!』


音が流れた。


視界が一瞬で切り替わる。


照明の強い光が、仮想ステージを鮮やかに照らし出す。

足元には光沢のあるフロアが広がり、反射するライトが目の奥に焼き付いた。

背景はデジタルで生成された観客席。無数のペンライトが、波のように揺れている。


視界の端に流れるコメントの文字列。

それが、彼らがそこにいることを示していた。


『待ってた!』

『うおお、初VRライブ!!』

『やっと動いてるとこ見れる!!』


ステージの床には、わずかに足音のエフェクトが乗る。

だが、現実の舞台とは違い、摩擦や重力の微妙な感触はない。


『pingから始めよう』


イントロが流れ、もこは迷いなく踊り始めた。


もこは、冷静に視界の情報を整理しながら、リズムを取る。


定められた立ち位置、事前に決められた移動ライン。

すべては計算された通りに。

理論的には何の問題もない。

 

でも——


何かがおかしい。


──それはもこ自身ではなく、周囲の雰囲気が変わったからだ。


『おお、やっぱダンスキレキレ!』


コメントの文字が視界を横切る。

そのトーンが、微妙に変化していった。


『ん?なんか固くない?』

『動きはすごいけど……なんだろう?』


自分は、完璧に踊っている。

それが正しいはず。


それなのに——


「……っ」


横にいるすばるの腕の動き、前にいるまりあの動き、観察し調整していく。


『ちょっとズレてる?』

『あれ、こんなもん?』


観客のコメントが、もこの頭の中にじわじわと入り込んでくる。


『んー』

『でも、みんな可愛いからいいじゃん』


自分は正しいはずなのに、なぜか『揃っていない』感覚。


もこは、無意識のうちに力を込めた。


余計なことは考えず、振りに集中する。


けれど——


『なんか一体感無くね?』

『新しい子ダンス上手いんだけどなー……』


『やっぱまだ慣れてないんだね』


(私だけ……?)


それが『何』なのか分からないまま、もこは踊り続ける。


テンポは正しい。

振り付けは完璧。


なのに、どこかで『浮いている』。


もこは、必死に違和感の原因を探索する。

 

視界の端に、七尾凛の肩がほんのわずかに跳ねるのが見えた。

細かくブレるのではなく、リズムに乗るような、わずかに余白を持たせた動き。


咲野なちのステップは、柔らかく、自然な弾みを帯びていた。

音の裏拍を拾うような、遊び心のあるリズム。

踊りの中に、何か”生きている”ものが混じっている気がする。


霧宮すばるは、全体を見ながら微調整を続けていた。

音の粒を拾いながら、全員のバランスを感じ取り、動きの流れを作る。

メンバー同士が無意識に補い合いながら、一つの空間を共有している。


(みんな、動きを変えてる……?)


その気づきが、もこの中で小さな違和感となって広がる。


自分だけ、何も変えていないのに——


「……」


曲が、終わる。


一瞬の静寂。


照明がわずかに落ち、会場全体がクールダウンするように、淡く光が揺れた。


視界の端に、コメントが一斉に流れ始める。


『お疲れー!』

『初VRだから慣れかな?』

『やっぱり生の方がいい?』


観客たちのコメントに心が揺れる。

初パフォーマンス、自分が受け入れられるかは不安材料として考慮していた、だが胸の奥に、何かが引っかかる。


(それだけじゃない……)


自分に向けられた、"なにか"の正体が見えない。



────────────────────


『配信終了しましたー。お疲れ様でしたー』


 

「……ふう」


すばるが静かに息を整え、後ろを振り返る。

彼女の表情には、明確な戸惑いが滲んでいた。


他のメンバーも、どこかスッキリしない表情のままだった。


「……これ、成功なの?」


凛が、ぽつりと呟く。

彼女の声は、普段の元気さが少し抜け落ちていた。


「……成功じゃないですか?」


もこは、間を置いてそう返した。


「うーん、ちょっち違う気がするんだよねー」


なちが、言葉を濁した。


「……うん」


すばるが、観客のコメントを見ながら、小さく頷く。


「もこちゃん、レッスンの時の話、覚えてる?」


「……はい」


「もこちゃんだけじゃなくて、私たち全員がもっと考えなきゃダメだったみたいね、ごめんね」


「……?」


もこは、その言葉の意味が分からなかった。


メンバーたちの表情に、微かな翳りがある。

普段なら、ライブの直後は達成感や安堵が漂うはずなのに、今は違った。


──まるで、“本当のライブ”を終えた感覚がない。

 

何が間違いだったのか。

いや、何が『正しくなかった』のか。


答えはまだ出ていない。


けれど、確かに『何かが違っていた』。


もこは、視界に流れるコメントを、無言で見つめていた——。


『お疲れ様でした!』

『楽しかった!』

『でも、やっぱリアルで見たいなあ』


全員がコメントを見て押し黙ったまま時間が流れる。


「ねえ、みんなちょっといい?」


すばるの問いかけに、全員の視線が集中する。

 

「……今のって、ライブだった?」


その問いに、誰もすぐには答えられなかった。


「……うん、まあ、ライブ、かな?」


ちいかが、どこか自分に言い聞かせるように言う。


「でも何かが足りなかった。なんだろ?」


なちが続ける。


「空間の問題、かな?」


せいあが、手元のタブレットを開きながら言う。


「技術的には何も問題なかった。音声データ、映像、同期のズレもなし。でも……」


「でも?」


もこは、その言葉を噛みしめる。


「私たち、ちゃんと踊れてましたよね?」


「そう。でも、それだけじゃ”ライブ”にはならないんだよね」


すばるが、静かに言った。


VR空間で、一方的な動画配信とは一線を画していた。


でも、それは “見え方の違い"に過ぎなかったのかもしれない。"ライブ"とはなにか?


それぞれの心に突き刺さるが、それを消化できているメンバーはいない。


「……それじゃ、どうすればいいの?」

 

その言葉をききながら、もこは視界の端に流れるコメントを無言で眺めていた。


『楽しかった!』

『やっぱ生とは違うね』

『なんかちょっと不思議な感じ』


肯定的な言葉もある。

けれど、どこか歯切れが悪い。


──歓声がない。

──拍手もない。

──盛り上がっているはずなのに、何かが違う。


「やっぱさー」


なちが、ぽつりと呟いた。


彼女の声が響くと、スタジオの空気が一瞬だけ動く。

誰もが、まだ整理できていない感情を抱えたまま、次の言葉を待っていた。


「練習通りじゃだめだよねー」


「……?」


もこは、なちの言葉の意味をすぐには理解できなかった。

練習と本番の違い——それは何か特別なものなのだろうか?


「ほら、練習ではさ、ちゃんと揃えようって意識が強いじゃん。でも、本番ってさ、空気で動く部分もあるというか?」


なちの言葉に、もこは考える。


(……空気で、動く?)


ステージは、振り付けの正確性だけで成り立つものではない?


自分は、完璧な動きを求めていた。

ミスなく、ズレなく、指先の角度まで計算されたダンス。

それが「正解」のはずだった。


けれど、もこは違和感を拭えなかった。


(何かが違う……何が違うの……?)


「レッスンの質が悪かったということですか?」


せいあはどことなく納得はいっていなそうで、少し怪訝な顔をしながら返した。


「うーん、そうじゃなくて、なんか“その場のノリ”みたいなのがあるじゃん?」


なちは手を軽く動かしながら続ける。


「たとえば、観客がワーッて盛り上がったら、それに合わせてちょっと動きが大きくなったり、息を揃え直したりするんだよね」


言われてみれば、そういう感覚は確かにある。


リアルのライブなら、歓声が上がるタイミングや観客の熱量で、その場のパフォーマンスが自然に変化するのだろう。

でも、VRでは——


「でも……」


もこは、戸惑いながら視線を落とした。


「そういう意味でも、私たち……ライブできてませんでしたわね」


白鷺あまねが、静かに呟いた。


「……どういう意味?」


ちいかが問いかける。


話を聞きながらも、もこは、自分の中に芽生えた疑問を整理しようとするが、何かが引っかかっていて、処理できない。


あまねが、ゆったりとした動作でレースの手袋を外す。

貴族の舞踏会でダンスを終えたかのような仕草で、メンバーを見渡しながら静かに続ける。


「本当の舞踏会は、楽譜通りに踊るだけでは務まりませんのよ。

音楽に合わせて、その場の空間を作り上げていく。相手を感じて、動きを変えていくこと。

そうして、初めて一つの舞台が完成するのです」


「……つまり?」


凛が眉をひそめる。


「私たちは、ただ演目を演じただけ。それ以上のものを、何も作れていなかったのではなくて?」


「……」


「そうか……」


せいあが、小さく頷く。


「コメントが流れていても、ファンの皆さんの顔が見えない……」


「何を考えてるかな?楽しんでくれているかな?っていうのが、正直、分からなかったですね……」


せいあの言葉が、もこの心に重く響く。


観客の熱は、数字には現れない。

視線の先にいるべき”誰か”が、そこにはいなかった。


もこは、流れるコメントを見つめながら、拳を握る。


『今日のライブ、最高だったよ!』

『次も楽しみ!』


この言葉も本当に満足していたのか、慰めなのか……。


「ねえ、みあちゃんはどう思った?」


咲野なちが、桜庭みあに視線を向ける。


みあは、ゆっくりと呼吸を整えながら、遠くを見るように目を細めた。


「……なんか、VRなのに、画面の向こうにいる感じがしたかな?」


「え?」


なちが眉をひそめる。


「みんな、同じ空間にいるはずなのに、ファンから見たら、“ただの映像” だったんじゃない?」


その言葉に、誰もすぐには返事をしなかった。


今ここにいるはずなのに、どこか遠くにいるような感覚。

ライブの最中も、それはずっと付きまとっていたのかもしれない。


「確かにそうかも……。なんで距離を感じちゃうんだろうね?」


なちが軽く息を吐く。


「……距離感ね」


すばるが、物憂げに目を閉じる。


「リアルライブなら、歓声が聞こえて、ファンの反応が直に伝わる。でも、VRライブはそれがない」


楡木せいあが、指でタブレットを操作しながら言う。

データを見れば、反応は十分にあったはずだった。

だが、それは数字で表せるものではない違和感だった。


「……それは、やっぱり“生”じゃないから?」


琴上もこが、不安そうに尋ねる。


「そういう問題じゃないと思う」


みあが静かに言った。


「私は、ギャップを感じながらもそのまま続けちゃった。なんだろ?変だな、って気づいてたのに」


言いながら、みあは自分の手をじっと見つめた。

指先に力を込めてみる。

だけど、そこには何の熱も感じられなかった。


「……でも、それはみあだけじゃなかったよ」


ちいかが、少し目を伏せながら言った。


「私も、踊ることだけで、みんなのこと、ちゃんと感じられてなかった」


「コメントはあったけど、どこか遠い感じがするのは気付いてたんだけどさ」


「遠かった」


かなでが、ぽつりと続ける。


「……ってことはさ」


凛が、腕を組みながら言った。


「まだ“ライブ”として"足りない" 何があるってこと?」


その言葉が落ちると、全員が再び沈黙した。


「……そうなのかもね」


すばるが、ゆっくりと答える。


張り詰めた空気の中で、それを理解しながらも、消化しきれていなかった。

 


「ふぃー、しかし疲れた、疲れたー」


そんな重い空気を打ち破るように、なちが、腕をぶらぶらと振りながら、緊張の抜けた声を漏らす。


けれど、その声も、どこかいつもより響きが浅かった。


「我が軍勢よ、本日の戦果は——」


イリスも普段通りに振る舞うように、ファンへの報告を始めようとしていた、その時。


「……お客さんの顔が、見えなかったな。」


まりあの声が呟く。


瞬間、張り詰めていた空気が、より静かに沈む。

なちが揺らした腕の動きが、ゆっくりと止まり、誰もがまりあへと視線を向けた。


「……うん」


凛が、小さく頷く。


「私たちだけでパフォーマンスしていても、それはレッスンと一緒でライブじゃないよね」


まりあの言葉は、ただの事実のように淡々としていた。

まるで、それが誰にとっても当然であるかのように。


「そこにいるはずなのに、私たちだけしかいないように感じた」


その言葉に、もこは息をのんだ。


観客がいた。

コメントもあった。

ペンライトが揺れ、エフェクトの歓声も流れた。


それなのに——


「私たちは、ちゃんと会場を見ていたのかな?」


まりあの問いかけに、誰もすぐには答えられなかった。


「……」


すばるが、静かに息を呑む。


「できてませんでしたね……」


せいあが、小さく頷く。


「コメントが流れていても、それは観客の表情ではない……」


「画面の向こう側の反応と、ステージの上から見る景色は違う……」


もこは、自分の手を見つめる。


レッスン通りに歌い、踊った。

でも、それは”誰か”に向けたものだったのか?


「……どうすればいいんだろ?」


凛が、腕を組みながら言う。


「このままじゃ、VRライブはただの映像の配信と変わらないよな?」


「うん。でも、きっと方法はある。」


すばるが、静かに頷く。


「私たち、ちゃんと”ライブ”を作らなきゃ。」


まりあは、視線を落としながら、ふっと息をついた。


「そうね。」


その声は、どこか遠く、けれど決意を帯びた響きだった。


もこは、流れるコメントを見つめながら、そっと拳を握った。


『今日のライブ、最高だったよ!』

『次も楽しみ!』


そんな言葉の中に、何か”足りないもの”がある。


それが何なのか、まだ分からない。


でも、それを見つけなければならない。


次こそ、本当の”ライブ”をするために——。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る