第4話 琥珀色の妖精
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──新しい光が差し込む、変化が訪れ、化学反応が始まる。
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静かな空間に、一人の少女が立っていた。
扉の向こうから微かに響く音楽が、彼女の鼓膜をかすかに揺らす。
差し込む光は、まだ見ぬ世界への幕開けのように、穏やかに床をなぞる。
金髪のツインテールが揺れる。
光を受けた髪は、琥珀色の蜜のように艶めきながら、ふわりと弧を描く。
その一本一本が、まるで意思を持つようにしなやかに波打ち、動くたびに柔らかく跳ねる。
彼女の動きは、風に舞う絹糸のように軽やかで、どこまでも滑らかだった。
力みはない。それでいて、確かな芯がそこにはあった。
それは、鍛錬によって磨かれた動きではなく、自然とそこにあるもの。
彼女が、彼女であることそのものが、その舞いの形を作っていた。
彼女の視線は、どこか遠い場所を覗いているようだった。
焦点が合っているようで合っていない、まるで未知の地平を見つめるようなまなざし。
けれど、その奥には、確かに好奇心が宿っていた。
未知なるものに対する畏れではなく、踏み入れることへの静かな昂ぶりが。
その視界の先には、広々としたフロア。
鏡張りの壁が、空間をより広く、より深く見せていた。
その中で、数人の少女たちが踊っていた。
流れる音楽に乗せて、正確なステップが床を打つ。
動きのひとつひとつが滑らかに連なり、まるで彼女たち自身が旋律を奏でているようだった。
中央に立つ少女は、全体を見渡しながら動きを整えていた。
指先まで意識の行き届いた所作、ブレのない姿勢。
その傍らで、別の少女が鋭く足を踏み込む。
一瞬の力強いアクセントが、全体のリズムを引き締める。
少し離れた場所では、柔らかくしなやかな動きで、空間に色を添えるようなダンスをする者もいれば、
指先の動き一つで視線を惹きつける者もいる。
彼女たちの視線は真っ直ぐだった。
決して迷いはない。
身体の一部として振り付けを覚えたのではなく、アイドルとして「どう見せるべきか」を理解した上での動きだった。
その光景に、少女は思わず息をのんだ。
彼女たちは、互いを感じながら、無言のうちに流れを作り上げていた。
そこには、言葉にしなくても伝わる何かがあった。
彼女たちの間に流れる、確かな絆。
──ここに、入れるだろうか?
足を踏み出すべきか、一瞬迷いが生じる。
しかし、彼女の胸には、それ以上に強い感情があった。
──「どんなお姉ちゃんたちなんだろ?」
その言葉は、誰に向けたものでもなかった。
けれど、まるで新しい扉を叩く合図のように、彼女の唇から零れ落ちた。
その瞬間、差し込む光が彼女の瞳を照らす。
琥珀色の瞳が、まるで陽の光を映す湖面のように輝く。
その光は、彼女の足元へと落ち、まるで彼女の進む道を指し示すかのようだった。
導かれるように、少女は一歩踏み出した。
その足取りは、ほんの少しだけ宙に浮かぶように軽やかだった。
そして、彼女は歩み出した。
未知なる世界へ、自らの意志で。
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「……よし、もう一回確認しよう」
霧宮すばるの、静かながらも芯のある声が、スタジオの空気を引き締める。
一瞬の沈黙。
次の動きへ向けて、誰もが意識を集中させる。
レッスンが始まってから何度目の通し練習だろうか。
新曲のフォーメーションは、まだ完全とは言えない。
細かい位置取りやステップの流れを、一つずつ微調整しながら形を作り上げていく。
照明が落とされたスタジオの中、鏡越しに映る自分たちの姿を確認する。
正確な動作を求めながらも、それだけでは足りないことを全員が理解していた。
──アイドルは、単に動きを揃える存在ではない。
一つ一つの動きが、表現にならなければならない。
見せ方、視線の使い方、間の取り方。
すべてが、パフォーマンスを構築する要素の一部となる。
カウントの合図が響く。
「……5、6、7、8!」
音楽が流れる。
リズムが空気を震わせ、鼓動と同調する。
足が床を蹴る感触、腕を伸ばす角度、体重の乗せ方。
全員が一斉に動き出す。
──一歩、また一歩。
流れる音に合わせて、形が作られていく。
動きが繋がり、流れとなり、振付の軌道を描いていく。
誰もが、自分の身体をコントロールしながら、グループの一部として機能するように意識する。
しかし、それでも完璧とは言えない。
フォーメーションの細かなズレ、タイミングの微妙な違い。
その修正を繰り返しながら、少しずつ精度を高めていく。
──その時だった。
何の予兆もなく、一つの影が飛び込んできた。
わずかな違和感が走った次の瞬間、場の流れが変わる。
柔らかな足音がリズムに溶け込み、スタジオの空気がわずかに揺らいだ。
違和感を覚える間もなく、その影はすでに動き始めていた。
まるで決められていた配置のひとつであるかのように、琴上もこは迷いなくフォーメーションの隙間へと滑り込む。
一瞬の躊躇もない。
速度、角度、タイミング。すべてが揃いすぎている。
「……え?」
七尾凛が、思わず小さく声を漏らした。
ステップを刻む音が、わずかに増えている。
だが、動きを止めることはできない。
このまま曲を通すしかないと、直感が判断を下す。
すばるもまた、流れの中で違和感を感じ取っていた。
ダンスのバランスが変化している。
しかし、それは崩れる方向ではなく、むしろ研ぎ澄まされていく方向に作用していた。
「ちょっ!」
桜庭みあが、振り向きそうになるのを抑えた。
フォーメーションが崩れるわけではない。
それどころか、より鮮明に形が浮かび上がっていくように感じられた。
ただの振り写しではない。
ただ動きをなぞっているのではない。
南華ちいかは、一瞬の混乱の後、踊りながらも冷静に観察を始めた。
振り付けの流れを掴むのは時間がかかるものだ。
しかし、その影——金髪の少女は、最初からすべてを知っているかのように、正確に動いていた。
一歩、また一歩。
音に揺さぶられながら、影は違和感なく馴染んでいく。
フォーメーションが崩れるどころか、むしろ精度が増しているようにさえ見えた。
「このまま最後まで通させて!」
少女の声が響く。
白鷺あまねが、視線を動かした。
その声から伝わる自信と勢いに、感心しながら動きを合わせていく。
咲野なちは、小さく息を呑む。
まるで、最初からここにいたかのような動き。
「……なに?なんですか?」
楡木せいあは、困惑しながらも状況を確認し、分析しようとする。
だが、その答えを探す前に、音楽が終わりを迎えた。
そして、全員が目を向けた。
スタジオの中央、金髪のツインテールの少女が、静かに立っていた。
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金髪が柔らかく揺れ、微かな光を帯びている。
汗ひとつかかず、整った姿勢のまま、彼女はそこにいた。
──最初から、その場にいたかのように。
鏡に映るその姿は、他の誰とも違わなかった。
けれど、確かに異質だった。
「……ほえー、すごーい。うまかったー!」
咲野なちが、おどけて言い放つ。
張り詰めた空気を、柔らかくほぐすような声音だった。
しかし、その空気は一瞬で切り裂かれる。
「で? 貴方は誰なの?」
静かに。
けれど、確かに射抜くような響きで。
愛坂まりあの瞳が、真っ直ぐに少女を捉えた。
その問いに対し、誰もが次の瞬間を待っていた。
「……自己紹介もなしに割り込んでくるなんて、随分と大胆ね」
南華ちいかが、腕を組みながら言う。
少しばかり警戒したような、だが興味を含んだ声。
「ご、ごめんなさいっ!」
少女は息を整え、一歩引いた後に一礼する。
そして、顔を上げた。
「私、琴上もこです! これからインターネット娘に加入します! ……たぶん!」
一瞬、空気が揺れた。
その言葉の真意を、誰もすぐには理解できなかった。
「……たぶん、ってなに?」
桜庭みあが首を傾げる。
彼女の問いに、琴上もこはほんの少し肩を縮めた。
「正式な発表はまだだけど、今日からレッスンに参加しろって言われて……それで、見てたら身体が勝手に動いちゃって……」
短い言葉。
だが、その説明だけでは、誰も納得できるはずがなかった。
「……え?」
七尾凛が、ようやく息をついたように言う。
「ちょっと待って、‘勝手に動いちゃって’ って、普通そんなことある?」
南華ちいかが、驚きと戸惑いが入り混じった表情を浮かべる。
「いやいや、ちょっと待ってよ。レッスン中にいきなり入ってくるの、どう考えても変でしょ?」
「うーん……新しい子が来るのは知ってたけど、さすがに ‘このタイミング’ とは思わなかったかも?」
咲野なちが、のんびりとした口調で言う。
「てか、普通さ、見学からじゃない? 初日って」
「それ!」
ちいかが笑いながら手を叩く。
もこは、戸惑いながら視線を巡らせる。
「……すみません。でも、見てたら、本当に動きたくなっちゃって……」
そう言いながらも、彼女の声音はどこか自信が揺らいでいるように聞こえた。
「見てたら、って……すごいですね」
楡木せいあが、腕を組みながら、じっともこを見つめる。
せいあが言葉を切ると、白鷺あまねが静かに口を開く。
「 ‘やる’ かどうかは別の話ですわね」
「いきなり飛び込むのって、結構度胸いるよね」
「……もこちゃんって、そういうタイプ?」
ちいかが不思議そうに首をかしげる。
「えっと……」
もこは、なんと返せばいいのか迷った。
「うーん、私も……なんで動いちゃったんだろう……」
ぽつりと零したその言葉は、もこ自身にもわからない本音だった。
この場の空気が、僅かに柔らかくなる。
「……まあ、そういうことも、ある……のか?」
凛が、呆れ混じりに笑う。
「いきなり飛び込んでくる新メンバーなんて、前代未聞でしょ?」
もこの緊張が少しだけ解けたのが、肩の力が抜けて落ちることから見受けられた。
「それにしても、さっきの動き。完全に振りを覚えてるように見えたけど?」
「えっと……動画とか、何回も見てたから、自然と……」
もこは、少し自信なさげに答える。
先ほどまでの流れるような動きとは裏腹に、その言葉はどこかぎこちない。
「それです、“自然と” であれができるわけないですよ?」
楡木せいあが、タブレットを軽くタップしながら、画面に映る映像を見つめる。
「振りの正確さ、体の角度、重心移動……誤差がほぼない。むしろ私たちより揃っていたくらい。いや、精度が高すぎて、怖いくらい」
「怖いくらい?」
もこは、わずかに眉をひそめる。
それは、褒め言葉ではなかった。
“すごい” ではなく、“怖い”。
その微妙な違いが、彼女の胸の奥に引っかかった。
「確かに、すごかったけど……」
咲野なちが、頬をかきながらぽつりと呟く。
「でも〜ちょっち完璧すぎたかなー? なんて?」
「完璧すぎ?」
もこは、戸惑いながら首を傾げる。
「ほら、ダンスって技術だけじゃなくて、個性が大事じゃない?完璧すぎると、逆に浮いちゃうっていうか……」
南華ちいかが、腕を組みながら視線を落とす。
「どれだけ正確でも、全員が同じ動きしてるだけじゃ、ただたくさん人がいるだけ、になっちゃうのよね」
白鷺あまねが、優雅に扇を開きながら、ゆったりとした口調で続ける。
「たとえば、ダンスにおいて大切なのは、計算ではなく”魅せる”ことですわ。観客は、ただ技術を見たいのではなく、そこに宿る表現を感じたいのです」
もこは、息をのんだ。
完璧では、ダメなのか——?
彼女の中で、今まで築き上げてきた “正解” が音もなく揺らいでいく。
自分が目指してきたものは、間違いだったのか?
「……ま、でもそれはレッスンしながら調整していけばいいとして」
ちいかが、軽く肩をすくめながらもこを見つめる。
「実際どうなの? 貴方はアイドルになりに来たわけ?」
もこは、言葉に詰まった。
すぐに返事ができない。
自分の中で、まだその答えが明確になっていないことに気づく。
「……」
その沈黙を、メンバーたちは待っていた。
誰も急かさない。
だが、その視線は、もこが何を考えているのかを見極めようとしている。
やがて、もこはゆっくりと口を開いた。
「……正直、まだよく分かりません。でも、歌って踊ることが好きで、皆さんのことも、ずっと見てきました」
言葉にした途端、もこの表情が少しだけ変わった。
「だから——皆さんと同じ場所に立ちたいんです!」
声に力がこもる。
もこは、自分の胸の奥が軽くなるのを感じた。
“なりたい” ではなく、“ここにいたい”。
それが、彼女の中で生まれた答えだった。
メンバーたちは、互いに視線を交わしながら黙っていた。
「やる気があるならいいんじゃない?」
沈黙を破ったのは、愛坂まりあだった。
「え?」
もこが驚いてまりあを見つめる。
「ダンスが上手いとかじゃなくて、一緒にやれるかどうか。それはやってみないと分からないしね」
「その通り」
深月かなでも同調する。
まりあの言葉に、メンバーたちの表情が少し和らいだ。
「……我が軍勢の一員に加えてやっても、いい」
黒瀬イリスが、腕を組みながら低く呟く。
「待ってください、それ決めるのイリスの権限なんですか?」
せいあが呆れたようにツッコミを入れる。
「我の意思は、軍勢の総意である」
「いやいや、“軍勢”じゃないし」
凛が笑いながら肩をすくめる。
「ってことで、次の曲もやってみますか?」
「そうね、やってみないと分からないこともあるわ」
ちいかが、腕を組んだままもこを見る。
「もこ、いける?」
「うんっ!」
もこは、まっすぐ前を向いた。
新しいリズムが流れる。
彼女は、その音の中に自分の居場所を探しながら、再び立ち位置へと向かった。
この日、「インターネット娘」に新しい光が加わった。
それが、何を意味するのか——その答えを知るのは、まだ先のことだった。
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