第29話
ホテルに荷物を置いた二人は、タクシーで亮の実家に向かうことにした。
亮は窓から景色を眺めながら、朧気な記憶とすりあわせてみるが、すっかり変わっちゃったなぁ、なんて言えないくらい見覚えがなかった。
「お客さん、里帰り?」
運転手がバックミラー越しに話し掛けてくる。
「あ、はい、そうなんですけど……まだ、実感がなくて……」
亮が愛想笑いを浮かべると、運転手が「そりゃそうや、この辺は新しい道がようけ出来たけんなぁ」と、教えてくれる。
「そうなんですね、通りで……」
なんて調子を合わせつつ、亮は再び窓の外に目をやる。かろうじて、実家の近くの道にさしかかったところで、霧が晴れたように当時の記憶が蘇ってきた。
「あ、ここは覚えてるな……たしか、この先に大きな駐車場があったような……」
「おお、正解やね。ただ、そんなおっきゅうはないな」と、運転手は笑みを浮かべなが車を停めた。
たしかに駐車場だが、随分とこぢんまりとしている。
仕切りがないが、置けて五台くらいのスペースだった。
「うわ、本当だ。小さかったからかな?」
「そうじゃない?」
志堂寺は亮に相づちを打ちながら、運転手に料金を支払った。
「ほい、まいどー、ありがとね」
運転手は愛想良く礼を言うと、車をUターンさせて来た道を戻っていった。
「自然がすごい……」
志堂寺は緑の多さに圧倒されていた。
「おーい、こっちだよ」
「あ、うん」
亮は志堂寺を呼び、田んぼのあぜ道を進んでいく。
トトトっと、志堂寺が小走りになり亮の隣に並んだ。
「良いところね」
「そう?」
「空気が綺麗っていうか、何だか時間がゆっくりしてる」
遠くを見るように手を目の上にかざし、志堂寺は歩きながらくるりと一周した。
「たしかに、そうかも……」
亮は空を見上げた。
透き通るような青空。東京じゃ、空なんて見ることないもんな――。
しばらく、無言で歩くと亮の実家が見えてきた。
赤い屋根の小さな民家。少し広めの庭があって、縁側がある。
田舎暮らしに憧れている人なら喜びそうな造りだと亮は改めて思った。
「あれが俺の実家だよ」
「へぇ! いいじゃんいいじゃん! なんか、実家感あるし!」
明らかに志堂寺のテンションが上がっている。
「でも、言っとくけど何もないよ?」
「いいからいいから」
志堂寺は目を輝かせながら、早く家に入れろと圧をかけてくる。
亮は鍵を取り出し、引き戸を開けた。
「ただいまー」
一応、声を掛けると、志堂寺がそれに続く。
「お邪魔しまーす……って、え? 全然綺麗なんですけど……」
「たぶん、叔父さんが掃除に来てくれてるんだと思う――」
俺は戸の建て付けを直しながら答えた。
十二畳ほどの居間には、真ん中に掘りごたつがある。タンスや戸棚はそのままだ。
祖父母の衣類や小物は、葬式の後、叔父さんが全部片付けてくれた。
雨戸を開けると、気持ちよい風が通り抜けていく。
「二階も開けてくるよ」
「うん」
縁側に立って庭を眺める志堂寺に声を掛け、亮は二階へ向かった。
二階は寝室と物置部屋があるだけだが、こっちも綺麗に掃除がされていた。
「これは叔父さんにお礼を言わなきゃな……」
亮は禄に連絡もしてなかった自分が恥ずかしくなった。
二階の窓から外を眺めていると、志堂寺が言うように時間の流れが止まったように感じる。
東京での出来事は、全部夢だったんじゃないかと錯覚しそうになった。
「亮、そろそろ行けそ?」
振り返ると志堂寺が立っていた。
「ああ、うん。行こっか」
窓を閉め、二人で一階に戻る。縁側の窓を閉めようとして、また幼い日の自分の笑顔がフラッシュバックした。
「どしたの?」志堂寺が亮の顔をのぞき込む。
「あ、いや……」
「こういう縁側って良いよね、東京じゃちょっと無理だし」
亮を気遣っているのか、志堂寺が何気ない話を振ってくる。
「そうだよな、マンションのベランダじゃ、味気ないもんな」と、亮が当たり障りのない返しをすると、志堂寺がなにやら照れくさそうに切り出した。
「ね、ねぇ、私たちって……相棒っていうか、一応、ペアで調査してるわけじゃん……?」
「うん、まあ、そうだな」
「私、こう見えて口堅いってか、言う友達もいないし、あ、いや、そのー、だから誰にも言わないから……何か困ってるなら言っても安全っていうか……」
志堂寺は緊張しているのか、終始あわあわして支離滅裂になっている。
でも、亮は志堂寺が何を言いたいのかわかった。
彼女なりに、自分の力になろうとしてくれているのだ……。
「――俺のファーストキス」
「は?」
「ほら、前に言っただろ?」
「あ、あぁ、怪異だったとか言ってたやつよね?」
「あれさ……俺の母さんなんだ」
「えぇ――――っ⁉」と、志堂寺がたじろぐ。
「ちょうどここに座ってた」
そう言って、亮は縁側に目を向ける。
このまま話を続けてもいいのかと一瞬躊躇する。
だが、もう止めることはできなかった。
「俺の中に、幼い自分の笑顔の記憶がある」
「……」
「でもそれは俺の視点じゃない。俺以外の視点で、俺はすごく嬉しそうなんだ」
志堂寺は黙って亮の話に耳をかたむけている。
「母さんは忙しい人で家に帰ってくることも殆どなくてさ、俺は婆ちゃんに育ててもらったんだ。婆ちゃんは見える人で、俺の力も知ってたし……優しかったよ」
「そうなんだ……」
「うん、でもある日、学校が終わって帰ってきたら婆ちゃんが言うんだ。『お母さん帰ってるよ』って」
亮は少し上を向いた後、話を続ける。
「俺、嬉しくて縁側に走ってさ、そしたら大きな帽子を被った母さんがそこに座ってて……。『亮、ほっぺにチューは?』って言われて、滅多に会えないし、照れくさいし、なんか、いろいろ訳わかんなくなってさ、嫌だって言って……」
白いワンピースを着た母の姿が蘇ってくる。
でも、母の顔ははっきりと思い出せない。
「でも、何度もお願いされて、俺も別に本当に嫌なわけじゃないし、ほっぺにキスをしたんだよ。たしかに唇に柔らかい感触があってさ、ああ、母さんだって抱きつこうとしたんだよ」
「……」
志堂寺の顔が何かを予見したかのように強ばる。
「そしたら、もう……母さんはいなかった。ふっ、て蝋燭を吹き消したみたいに消えたんだ……」
「亮……」
亮を見る志堂寺の目が潤んでいた。
「だからさ、たぶん、俺の中に残ってる俺の顔……これって母さんの記憶なんだと思う」
「うん……きっと、そうだよ」
志堂寺が慎重に言葉を選んでいるのがわかる。
「大丈夫、昔の話だから。でも……何で婆ちゃんは、俺に消させたんだろうって、何がどうなって、あんなことになったのかがわからないんだ。いくら聞いても結局、何も言わずに……俺が消したのは、あれは、本当に母さんだったのかなって――」
亮はその場にしゃがみ込んだ。
ゆっくりと隣に志堂寺が腰を下ろす。
志堂寺は前を向いたまま口開いた。
「わからないなら、二人で調べればいいじゃない」
「志堂寺……」
「そのためにも、まずは野中さゆりの件を片付けなきゃね」
「……ああ、そうだな」
志堂寺が「よっ」と立ち上がり、亮に手を差し伸べる。
「ほら、行くよ」
亮は「過保護だな」と笑い、その手を取った。
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