第26話
亮は神宮司の店を訪ねて、歌舞伎町に来ていた。
まだ陽は高い。この街が色づくには早すぎる時間だ。
ホストクラブ三愛'sをはじめ、付近にある他の店の看板も、冬眠中の蛹のようにしんと静まりかえっていた。
亮は辺りをすこし見回した後、店の扉をそっと引いた。
鍵は掛かっていない。一瞬、躊躇したものの、亮は思い切って中に足を踏み入れる。
「すみません、神宮司さんいらっしゃいますか?」
声を掛けながら店内に入ると、ボックス席でノートPCを操作していた神宮司が顔を上げ、亮を見た途端に目を見開いた。
「なっ……⁉ お、お前、何しに来やがった!」
亮は両手を軽く上げて、会釈しながら言った。
「すみません、あの、ちょっとだけお聞きしたいことがあって……」
「話なんてねぇよ! こっちは、もう関わりたくねぇんだよ!」
神宮司は明らかに警戒していた。恐怖に近い感情がその目に宿っている。
あんな恐ろしい体験をしたのだ。無理もない。
「わかります! 仰るとおりだと思うんですが、あと少しだけ協力してもらえませんか?」
「いや、もういいだろ? な? わかったら、帰ってくれ」
神宮司が面倒くさそうに手を払った。
「そこを何とかっ! この通りですっ!」
「いや、だからさ……」
「これっきりにしますから! お願いします!」
亮は深々と頭を下げる。
神宮司は苦々しい顔で亮を見つめていたが、「あぁ~だりぃっ!」と吐き捨てるように言うと、観念したように大きなため息をついた。
「……これで最後にしろ、わかったな?」
「あ、ありがとうございますっ!」
再び頭を下げる亮を見て、神宮司はやれやれと頭を振りながら電子たばこを咥えた。
亮は向かい側のソファに座ると、「録音って……いいですか?」と神宮司に上目遣いで尋ねる。
「……勝手にしろ」
「ありがとうございます、では……」
スマートフォンの画面をタップして、録音を始める。
「お忙しいのにすみません。実は、あの時公園で神宮司さんが仰っていた『お家柄』という言葉が気になってまして……」
「は? 俺そんなこと言ったっけ?」
電子たばこの煙を真上に向かって吹きながら神宮司が答える。
「はい、野中さゆりさんのご実家のことだと思うんですけど……」
「ああ、さゆりの実家ね。そうそう、あいつの家、宗教だから」
「宗教?」
「そ、いまは無くなってるけどね」
神宮司の話しぶりからして、お寺や神社ではなさそうだ。
「なんか親が死んだとかでさ、たしか……母ちゃんが教祖だって言ってたな」
「さゆりさんも霊感があったんですか?」
「さぁ、俺にはなーんも」
「なるほど……。さゆりさんの実家ってどこかわかりますか?」
「四国、えーっとほら、あそこ、なんだっけ右上の……」
「香川県?」
「そうっ! ハハッ、すっきりしたー。ああ、そういや、あそこの絵あんだろ?」
神宮司がカウンターの中に飾られた絵を指さす。
そこには、迫力のある水墨画が掛けられていた。
「竜? いや、山ですか?」
「さあな。でも、格好いいだろ? さゆりの親戚が古美術商だか画商だかやっててな、店に飾る絵を買ってくれって頼まれたんだよ」
「親戚の方が……」
「まあ、絵は悪くないし、値段もさゆりが落とす金からすりゃあ、たいしたことねぇし、これくらいでさゆりに恩が売れるなら安いもんだと思ったわけ」
そう言って、神宮司は勢いよく煙を吐き、
「ひでぇ奴だと思ってんだろ?」と、片眉を上げて亮を見た。
「い、いえ、そんなことは……」
「ハハッ、別にいいよ。色恋営業なんて恨まれてナンボの世界だし」と、神宮司は自虐的に笑う。
「ちなみに、その親戚の方のお名前とかわかりますか?」
「ああ、たしか名刺があったな……」
神宮司がバッグから小さいケースを取り出す。中には名刺の束が入っていた。束を手に取り、神宮司はトランプのカードを選ぶようにして、亮に一枚の名刺を手渡した。
「やるよ」
「ありがとうございます」
名刺には『古美術商 野々宮画廊 代表 野々宮 京子』と書かれていた。美術を扱うだけあって、紙質も高級感があり文字は箔押しになっている。
店の住所の地名に見覚えがある。たしか、祖父母の家から車で一時間くらいの場所だ。
「香川県から……わざわざ東京まで来られたんですね」
「東京は良く来てるらしいな、仕入れとかそういうやつだろ?」
神宮司は興味なさそうに言うと、
「そろそろいいか?」と、話を切り上げようとする。
「あ、はい。ご無理を言ってすみませんでした、ありがとうございます」
亮は録音を止め、スマートフォンをポケットにしまう。
礼を言って席を立ち、店を出ようとすると、神宮司が思い出したように言った。
「ああ、そうだ。さゆり、その親戚をかなり慕ってたぞ。ていうか、ありゃ依存だな」
「依存……?」
「なんせ、店にいても数時間おきに電話してたくらいだからな。ハハッ、ありゃ重傷だぜ」
神宮司は呆れたように笑う。
「……」
「よぅし、もう何も出ねぇ、じゃあな――」
「ありがとうございます、お邪魔しました」
亮が外に出ると、扉から鍵の掛かる音が聞こえた。
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