第24話

「神くん……おのれおのれ…神く……なぜじゃ……許さぬぞ……」


紅舌とさゆりの霊が交互に入れ替わっている。


「稲倉さん、まだなの⁉」

「こ、この状態じゃ無理だ! 下手すれば両方逃がしてしまう!」


稲倉は、ポテチのロング缶の蓋に手を掛けたまま身構えている。


「くっ……このままじゃ……」


焦った顔の志堂寺は、亮の方へ目線を移した。


「亮⁉」


亮の後ろから神宮司が顔を出した。


「お、おい……な、なんて、言えばいいんだ?」

「生前、呼んでいたようにお願いします」

「マジかよ……」


神宮司が呟きながら頭をかきむしる。


「お願いします!」

「わぁった、わぁったよ! ったく……さ、さゆたんっ!」

「……え?」


一瞬、全員が神宮司を見た。


「し、仕方ねぇだろ⁉ 何が悪いんだ!」

「い、いえ、少し驚いただけで……」


亮が神宮司を宥めようとすると、野中さゆりの霊に反応があった。


「神くん……? やっぱり、神くん来てくれた……」


ミカに、うっすらと野中さゆりの姿が重なっていた。


「いまよ、稲倉さんっ!」


志堂寺が叫ぶ。


「わ、わかった!」


稲倉が缶の蓋を外そうとする。

が、嘘みたいに稲倉が缶を落としてしまう。


「あぁっ⁉」


慌てて拾おうとするが、再び紅舌に主導権が移る。


「おのれ! 恋路を邪魔する輩めが……死ねぇぇええええ―――‼」


稲倉に向かって紅舌が襲いかかってくる。


「稲倉さんっ!」亮が叫ぶ。

「うぐぅっ……⁉」


稲倉さんが紅舌に首を掴まれ宙に浮く。

駄目だ、もう消すしかない――。

亮が右手の手袋を外そうとしたその時、志堂寺が紅舌に向かって手印を結ぶ。


「おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに、はんどま、じんばら……」

「うきゃぁああああ――――頭がぁああ‼」


突然、紅舌がその場で暴れ始めた。


「おのれおのれおのれぇっ!」と、何度も当たり散らすようにベンチを蹴る紅舌。


それを横目に、眉根を寄せながら真言を唱え続ける志堂寺の額に汗が滲む。

ドサッと地面に落とされた稲倉が首を押さえながら、「光明真言……ちゃんと覚えてくれてたんだね」と志堂寺を見て呟く。


「い……稲倉さん、早く! も、もう……無理っ!」

「多々良くん! 彼に名前を呼び続けさせてくれ!」

「わ、わかりました!」


亮は神宮司に名前を呼ばせる。


「……さ、さゆたん! さゆたん! 俺だ! 神宮司だ、さゆたん!」

「おの……じ、神く……神くん……」


どれだけ神宮司のことが好きだったのだろうか。

神宮司の声に反応した野中さゆりが、再び主導権を取り戻した。


「神くん……わたしと……いっしょに……」


そして、宙を掻くように手を伸ばしながら、神宮司の元へ向かおうとする。


「――我、山神との契約を行使せり、出でよ管山猫!」


機を見た稲倉がポテチの蓋を外すと、何かが凄まじい速さで飛びだした。

残像を残しながら、くるくると野中さゆりの周囲を、まるで蛇が巻き付いたかのような軌跡を描いていく。そして、野中さゆりを拘束した。


「あ、あれが管山猫……」


『なんだなんだ、稲倉よ』

『どうしたどうした、稲倉よ』

『やれやれだな、稲倉よ』


 胴体が異様に長い三匹の山猫が絡み合い、稲倉を見てニタァっと笑っている。

 三匹はそれぞれ違う声色で、不思議な調和を保っていた。


「管山猫! その霊を山神の元へ送ってくれ!」


『どうするよ?』

『どうするか?』

『どうでもいい』


 三匹は何やら相談を始める。


「頼む! 時間が無いんだ!」

「離せ! お前達も私と神くんの邪魔を……」


野中さゆりの霊が鬼のような形相へと変わっていく。

――駄目だ、間に合わない。

でも、彼女を消したら、自分の中に何が残ってしまうのか。いや、どうせ消えるだけだ、と亮は脳裏に絡みついてくるその考えを振りほどいた。


「もういい、俺が消すよ」

亮が手袋を外す。


『いっ⁉』

『ひっ⁉』

『むぅっ⁉』


管山猫たちの毛が一斉に逆立つ。

亮の右手には、赤い燐光を纏った鱗のような模様が浮かび上がっていた。


『連れて行く』

『連れて行こう』

『連れて行かねば』


シュルシュルと再び野中さゆりの周囲を回り始めたかと思うと、そのまま空高く登っていった。

その場にミカが倒れる。


「ミカ!」


神宮司が駆け寄る。

亮たちも慌てて駆け寄ると、顔色は悪いが、もう野中さゆりの気配はなかった。


「つ、連れて行ってくれたみたいだね……あはは」


稲倉さんが眉を下げて笑う。


「もう、一時はどうなることかと……」


志堂寺が腕組みをしながら稲倉をジトっと睨む。

彼女の額にはまだ汗が光っていた。


「ごめんごめん、緊張しちゃって……」


稲倉は志堂寺に向かって両手を合わせた。

亮が手袋を嵌めていると、 


「それより、多々良くん、その手……」と、稲倉が神妙な面持ちで言う。

「ああ、これは……」


「ちょっと、それよりも早く撤収しないと」

志堂寺が割って入る。


「ああ、ごめん、そうだね。近くに職員さんがいるはずだから連絡してみるよ……」


稲倉がスマートフォンを取り出し、その場を離れた。 

志堂寺はミカを抱く神宮司の側に行き、

「大丈夫そうですか? すぐに応援が来ますから」と声を掛けた。


「……あれは、何だったんだ?」

「野中さゆりさんの強い思いが、悪いモノを呼び寄せてしまったんだと思います」


「あいつは、嫉妬深かったからな。まあ、恨まれても仕方ねぇが、まさか、化けて出るなんて……お家柄ってやつかもな」

「お家柄……?」


亮と志堂寺が顔を見合わせていると、職員を連れた稲倉が戻ってきた。

職員が手際よく、ミカを担架に乗せる。

心配そうにミカを見つめる神宮司に、志堂寺が言った。


「良い病院を手配してますから」

「悪いな、助かるよ」


神宮司は短く答えて、そのまま職員と共に病院へ向かった。


「……結局、俺は出番なしだったな。てか、あの呪文みたいなの何だったの?」

「ああ、あれは新人の頃、稲倉さんに教えてもらった光明真言っていうお祓いの呪文かな。闇喰いが憑いてたから使ったことはなかったんだけどね」


志堂寺が小さく肩をすくめる。


「ふぅん、そっか。何にせよ、解決して良かったな」

「ええ、一件落着ね」


二人が三島に連絡を取ろうとしていた時、稲倉が駆け寄ってきた。


「稲倉さん、お疲れさまです」

「ああ、うん、お疲れ」

「どうしたんですか? そんな慌てて……」


志堂寺が聞くと、稲倉は折り紙のようなものを見せてきた。


「こ、これ……」

「ん? 何ですかこれ?」


「えっ……これって……」

「志堂寺はわかるよね、多々良くん、これはね、式神を召喚するための札なんだ」


「式神……?」

「そう、術者が使役する霊的存在のことだよ」

「稲倉さん、それ、どこで?」


稲倉は無言でミカが居た場所を見つめた。


「それって、野中さゆりの霊と、その式神が……何か関係あるってことですか?」


亮が尋ねると、稲倉は少し考えてから答えた。


「わからない。でも、野中さゆりの霊が式神なら、管山猫たちが気付く。だから恐らく……関係あるのは紅舌の方だと思う」

「紅舌が? でも、紅舌は怪異ですよ?」と、志堂寺。


「うん、そうなんだ……僕も怪異を式神にするなんて聞いたことなかったから……」


稲倉が困ったように頭を掻いた。


「ひとまず、この札のことは僕から報告しておくよ」

「……わかりました。あ、管山猫は戻りました?」


「いや、まだだよ。新しいポテチ缶を買ってから戻さないと機嫌が悪くなるからね」

「あれって、稲倉さんの式神なんですか?」


「ああ、違う違う、僕の場合は、山神さまにお情けで貸していただいてる感じかな。管山猫はかなり霊格が高いから気難しいんだよね……」

「へぇ、いろいろあるんですねぇ……」


亮は感心したように呟いた。


「ま、今度ゆっくりね。じゃあ、また――」


稲倉が背を向けて帰って行く。


「志堂寺、俺たちもそろそろ――」

「ごめん、ちょっと待ってて」


志堂寺が稲倉を追いかけて走って行く。


「稲倉さん!」

「ん?」


稲倉が振り返る。


「志堂寺……どうした?」 

「ねえ、稲倉さん、その、落ち着いたら……また、私に除霊を教えてもらえませんか?」


「え?」


稲倉は驚いたように目を見開く。

志堂寺の目は真剣だった。


「でも、多々良くんがいるじゃない。あの手、古い文献で見た気がするんだけど……何だったかなぁ」


稲倉が唸りながら考え込む。


「あの、亮の手は最後の手段なので……あまり使わせたくないというか……」


上目遣いで言う志堂寺に、稲倉は優しい笑みを向ける。


「……そっか、わかった。もちろん、いつでもいいよ」

「ありがとうございますっ!」


「じゃあ、お疲れ様」

「はい、お疲れさまでした!」


志堂寺は稲倉に頭を下げた。



「何だったの?」


戻ってきた志堂寺に亮が聞く。


「別に? お礼を言ってただけだし」


何となく恥ずかしそうにそっぽを向く志堂寺。


「ふぅん……」

「な、何よ? さ、ファミレスでも行って、なんか食べよ?」


「おいおい、何時だと思ってんだよ?」

「いいでしょー、ちょっとくらい」


志堂寺が少し拗ねたように言う。


「まあ、志堂寺がいいなら……」

「よし、決まり! 三島さんに送ってもらおーっと」


志堂寺が嬉しそうにスマホを取り出す。


「どうせなら経費とかで落ちないかな?」

「経費って何?」


亮の何気ない呟きに、志堂寺がキョトンとした顔を向けた。


「え……そこから説明すんの?」

「は? なにそれ馬鹿にしてんの?」


「いや、そういうわけじゃ……」

「じゃあどういうわけ?」


「……」


 亮はスッと諦めたような顔になり、早足で歩き始めた。


「ちょ、ちょっと、待ちなさいってばーっ! 亮っ!」 


 志堂寺がその後を追う。

 東の空がうっすらと薄紫色に色づき始めていた。

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