第22話
新宿中央公園より南西の路地で、黒いスーツの男が立ち止まった。
公園の入口を眺め、神宮司が中に入るのを確認した後、耳に装着したイヤホンに触れる。
「対象が目的地へ入りました」
平坦な口調で男が告げると、イヤホンの向こうから三島の声が返ってきた。
『よし、そのまま距離を確保。調査員のサポートに回れ』
「了解――」
男は通話を切ると、路地の反対側にいるもう一人の職員と目配せをした。短く頷きあったあと、彼らは間隔を保ちながら神宮司の後を追った。
園内の冷たい空気に、神宮司は思わず肩を震わせた。
「ったく、ミカの奴、寄りにもよって何でこの公園なんだよ……気色悪ぃな、クソがっ……」
神宮司はスマートフォンを取り出し、ミカにメッセージを送った。
すぐにメッセージが返ってくる。
『眺望の森ってところにいるよ~早く来てね』
「チッ、めんどくせぇな、どこだよそれ……」
画面の明かりが彼の不満げな顔を青白く照らしている。
神宮司はため息をつきながら、スマートフォンで公園の地図を検索して表示させた。
場所を確認した神宮司は、眺望の森に向かってだるそうに歩き始めた。
園道を歩きながら、神宮司はミカの顔にノイズが走った時のことを思い返していた。
――いったい、あれは何だったのか?
居酒屋だったか、カフェだったか。ふたりでデートをしている時だった。
ミカの笑顔が一瞬だけ歪んだ。
テレビの画面のようにブレて、別の顔が重なったような……。
「あーっ! んなことより、明日のリシャールだ……クソが!」
神宮司は雑に首を振り、記憶に残ったイメージを振り払うように歩き続けた。
眺望の森にさしかかると、一段上がったところにベンチが並ぶデッキが見えた。
何組かのカップルが座る中、ミカの後ろ姿があった。
神宮司はニヤッと笑い、ミカの元へ向かう。
「よっ、ごめんね、ちょっと迷っちゃってさ」
「あっ! 来てくれたんだ、ありがと~!」
振り向いたミカは目を輝かせ、可愛らしい笑みを浮かべている。
「と、当然だろ……」
ミカの笑顔に少し照れながら、神宮司が隣に座る。
すると、ミカが神宮司の肩に寄りかかってきた。少し甘い香水の匂いが鼻をくすぐる。悪い気はしない。顔も本命にしてやってもいいレベルだ。だが、神宮司は仕事だと割り切り、自分の中で芽生えそうになった恋愛感情を切り離した。
「嬉しいなぁー、今日は星も綺麗だし」
「へぇ……」
夜空を見上げると確かに星が出ていた。
神宮司はそれほど綺麗だと思わなかったが、
「本当だね、こんな風に誰かと星を眺めるのは初めてだよ」と、ミカの髪を撫でる。
ふと、周りに目を向けた神宮司が違和感を覚える。
――あれ? 他のカップルは……?
さっきまで、ベンチに座っていたカップルが、いつの間にか姿を消していた。
辺りは不気味なほど静かだ。葉擦れの音も虫の声もしない。
『――美人には気をつけることね』
志堂寺の言葉がよみがえり、神宮司の手に思わず汗が滲んだ。
「どうしたの、神くん?」
潤んだ瞳を向けるミカ。薄暗い灯に照らされ、形の良い唇が妖しく艶めいていた。
――可愛い。今にも押し倒したくなるくらい良い女だ。なのに、なぜか見ていると落ち着かない。
神宮司は言いようのない不安を感じていた。
「い、いや、夜の公園もなかなかだよな」と、神宮司は誤魔化した。
「うん、神くんと一緒なら怖くないしね、ふふっ」
無垢な笑みを浮かべるミカ。
「ったく、ミカは調子いいなぁ~、俺、本気にしちゃうよ?」
冗談半分で返すと、ミカが上目遣いで神宮司を見つめる。
「神くん……私、本気だよ?」
「……ミカ」
ミカがゆっくりと目を閉じる。そして、顎を少し上に向けた。
――これで当分引っ張れそうだな。
下衆な皮算用をしながら神宮司が唇を重ねようと顔を近づける。
その瞬間、またもミカの顔にノイズが走った。
「――⁉」
慌てて立ち上がろうとするが、ミカに両腕を掴まれる。
「ミ、ミカ?」
ミカは何も言わず、俯いたままだった。
神宮司を掴む力は異常なまでに強く、振りほどこうとしてもビクともしない。
ミカが何か別の異質なものに見える。神宮司は恐怖のあまり上ずった声をあげた。
「ちょ、どうしたんだよ? ミカ? な、なぁ……」
「だめだよぅ……」
「え?」
ミカは俯いたまま続ける。
「神くんは私とキスをするのぉ……」
「へ、へぇ、そりゃ嬉しいな、てか、そんな積極的だっけ? あはは……」
誤魔化しながら、神宮司はミカの手を振りほどこうとするが、どんどん力は強くなっていく。とてもじゃないが、女性の力だとは思えなかった。
「ちょ、ミカ、痛いよ! いっかい離して、な? ちょ……」
「はぁ? どこいく気ぃ……?」
長い髪の隙間からギョロッと血走った眼が覗く。
瞬間、神宮司から血の気が引いた。
「ひっ……⁉ だ、誰だよてめぇ! は、離せ! 離せよクソがぁっ!」
神宮司は抵抗しようと必死に叫ぶ。だが、ミカの手は神宮司を離さない。
そして、そのままゆっくりと神宮司に顔を近づけていく。
「よ、よせよ、な? 変だぞ? あれか? どーせどっかで動画回してんだろ⁉ なぁ、おいっ!」
「神くんは私のもの……誓いのキスをするのぉ……」
「や、やめろ! やめてくれぇ――っ!」
必死に顔を背けようとする神宮司。すると、ミカは神宮司の上に跨がり、首を掴んで強引に顔を上に向けさせた。
「がっ……がはっ……」
息ができず、神宮司は苦しそうに口を開ける。
「なんで嫌がるの? 私のこと好きなんでしょ?」
段々と首を絞める力が強くなるにつれ、神宮司の赤い舌が突き出してくる。
「ねぇ……神くんってばぁ……」
ミカの顔にノイズが重なる。段々とノイズの回数が増えていく。
「がっ……あがっ……」
遠ざかる意識の中、神宮司はノイズの中に浮かび上がる顔に気付いた。
――う、嘘だろ……。
嬉しそうに微笑む女の顔――それは、野中さゆりの顔だった。
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