第16話
UPMA本部、科学分析室。
大型のホログラフィックディスプレイが壁一面を占める中、榊博士はデータの波形を眺めながら思案していた。
「瑠果の報告によれば、多々良は黒煙を吐いた。本人の話では、昔から消したものの一部が自分の中に残ることがあるそうだ」
榊は淡々とした口調で言った。
ディスプレイの向こう側で、桐島長官が腕を組み深刻な面持ちで質問する。
「……それが代償か?」
榊はデータの一部を拡大し、画面上の波形を指でなぞった。
「恐らくは。ただ、残らない場合もあるそうだし、一概には言えない。いまのところは消してみないと彼の中に何が残るのかはわからん」
桐島の表情が一層厳しさを増す。
「仮に本人が耐えられないほどのものが残れば……」
「可能性はある」
榊の言葉は重く、室内に沈黙が広がった。桐島は大きくため息をつき、頭を押さえた。その姿は、普段の威厳に満ちた長官の顔とは違う、一人の人間としての疲労と懸念を垣間見せていた。
しばらくしてから、桐島は三島に話を振った。
「三島、ふたりはどうだ?」
窓際に寄りかかっていた三島は、首筋の傷跡を軽く手で押さえながら返答した。
「上手くやっているようです。いまも、瑠果が亮の側に付いてますよ。案外、相性がいいのかも知れませんね」
三島の声には、少しからかうような調子が混じっていた。
「事件の方は?」
「それなんですが……」
三島が困ったような顔で榊を見る。その視線を受け、榊は椅子から立ち上がった。
「これは、定型怪異だな」
桐島の眉が吊り上がる。
「定型怪異だと? 本当か?」
「これを見てくれ――」
榊がコンソールに触れると、メインディスプレイに新たな情報が映し出された。
「UPMAのデータベースから検証した結果、これは初めての事例ではないことが判明した」
スクリーンには古い文書や絵が次々と映し出される。三島が思わず前のめりになる。
「これは……江戸ですか?」
画面には男と女が抱き合う浮世絵や、燃える顔を押さえる男など、様々な絵が表示されていた。中には、漆黒の舌を持つ女性の姿や、舌から炎を吹く異形の存在も描かれている。
「古くは江戸時代より五○~六〇年周期で発生している怪異だ。名は『紅舌』、『口火の女』と呼ばれることもある」
榊はスクリーンに表示された古文書をスクロールしながら説明を続けた。
「伝承によれば、愛憎のもつれから焼身自殺をした若い女が怨霊化し、怪異となったのが始まりだそうだ」
「ひぇ~、すげぇ粘着」
「三島」
桐島の凍るような声音に、三島は慌てて姿勢を正した。
「オホンッ、失礼しました」
不真面目な態度を改め、三島は再び真剣な表情に戻る。
榊は二人のやり取りを気にする様子もなく、説明を続けた。
「今回、野中さゆりの霊が怨霊化し、紅舌を引き寄せたと考えられる」
指先でデータを操作し、榊は野中さゆりの写真と古文書を並べて表示させた。
「原因として考えられるのは、男への復讐という目的の一致、同性同年代の一致、死因の一致、そして、場所の一致だ」
「場所? 歌舞伎町って江戸時代にもあったんですか?」
三島の素朴な疑問に、榊は少し嬉しそうな表情を浮かべた。歴史や学術的な話題になると、榊の表情が柔らかくなることは、桐島も三島も知っていた。
「当時、新宿は甲州街道の宿場町で、現在の歌舞伎町辺りは幕府の旗本らの屋敷や、警備の鉄砲隊百人衆の屋敷なんかがあった。そうすると、まあ、俗な需要も増えるわけだ。紅舌の起源となった女は、この辺りで侍を相手に夜鷹をしていたらしい」
博士らしく淡々と説明する榊に、三島が次の質問を投げかける。
「で、その紅舌の対処法は?」
榊は少し考え込むような仕草をした後、ゆっくりと三つの指を立てた。
「まず、多々良が消す。これは彼の中に何が残るかわからないリスクがある」
一本目の指を折る。
「もう一つは、鎮魂だ。原因となった男に謝罪をさせる。だが、これには霊と意思疎通ができるほど高い霊能力が必要だし、記録に残っている謝罪は首切りだ。現実的じゃ無い」
二本目の指を折る。
「最後は、紅舌と野中さゆりの霊を分離させる必要があるが、野中さゆりの霊だけを除霊する方法だ。この場合、紅舌は消えずに、またいつの日か発生するだろう」
三本目の指も折り、榊は手を下ろした。
三島はしばらく黙考したあと、重い口調で言った。
「先送りってわけか……。どうします? ここでエンドゲームが再起不能となれば、また切り札を失っちゃうわけですが」
「闇喰いを消してまだ間もない。しかも、あれだけの怪異なら今の影響だけで済むとも限らん」
二人が桐島に目を向ける。
桐島はホログラムを眺めていたが、やがて決断を下すように振り返った。
「闇喰いレベルの怪異を排除するには、多々良亮の力が必要不可欠だ。別の対抗手段が確立するまでは、彼を失うわけにはいかん――」
「となると、分離して除霊っすかね」
三島の軽い調子に、桐島は何も言わなかった。
選択を迫られた状況下では、彼のような振る舞いが、いくらか心を落ち着ける作用があると知っているからだ。
「……うむ、当該事件は、怪異と切り離した野中さゆりの霊を除霊。怪異については先送りとする」
「はっ、了解しました」
三島が軽く敬礼する。
「榊博士、ご協力に感謝する」
桐島が頭を下げると、榊は手を振って軽く返した。
「いやいや、好きでやってることだからね。気にしないでくれ」
榊はそう言いながら、データをタブレットに転送する。
「では、諸々手配いたします」
「うむ、頼んだぞ」
「では博士、私もこれで失礼する」
三島に続いて桐島も分析室を出る。
榊は軽く微笑んで見送った後、ホログラムに向き直った。
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