第15話

神宮司は不満げにラテのカップをテーブルに置いた。


「くそっ! なんだったんだアイツら……」


彼の声には怒りと、わずかな不安が混じっていた。

歌舞伎町の片隅にあるホストクラブ『三愛's』は、営業前の静寂に包まれている。


その時、ポップな通知音とともにメッセージが届いた。

神宮司はスマホを手に取り、画面を確認する。


「おっ?」


神宮司の表情が明るくなる。

鬱陶しい訪問者のことは忘れ、スマホをポケットに滑り込ませると、鍵束を手に取って慌ただしく店を出た。


外はもう陽が落ち始めていた。

ネオンはまだ眠っているが、夜の営業に向けて少しずつ街が目を覚まし始めている。


神宮司は人混みをすり抜け、近くの飲食店へと足を向けた。店に入ると、派手目な格好をした女性が彼を見つけ、手を振った。


「神くん、こっちこっちー」


明るい声が店内に響く。


「ごめん、待った?」

「ううん、全然」


女性――ミカは、茶色く染めた髪を軽く揺らして笑顔を見せた。


ミカは最近知り合った女だ。

近場のキャバ嬢で、客として引っ張ろうと思っているが、外見が神宮司の好みで、あわよくば本命にしてやってもいいかなと思っている。


神宮司は席に座り、ミカの手元に目を落とした。


「へぇ、綺麗なネイルだね、やっぱりミカはセンスが良いよな」

「ホント? 嬉しいっ!」


すると、神宮司は少し目を伏せて、何かを言いよどむような仕草を見せた。


「……」

「どうしたの?」


ミカが心配そうに尋ねる。


「いや、きっと他の男にも言われてるんだろうなって……ごめん、ちょっと妬いた」


その言葉に、ミカは顔を紅潮させて喜んだ。


「も、もうっ! 神くんこそ、誰にでも言ってるんでしょ?」


そんな会話の最中、神宮司のスマホが振動する。


「あ、やべ」


画面を確認して表情が変える。


「なに?」

「ごめん、今月ピンチでさ、営業で他の子と会わなきゃいけないんだ」


申し訳なさそうな表情を作り、ミカの反応を窺う。


「え……」


ミカの表情が曇る。神宮司は両手を合わせて謝るジェスチャーをした。


「ごめん! 今度、絶対埋め合わせするからさ」

「なにそれ?」


少し拗ねたような声音で、ミカが問い返す。


「だって、ミカに営業かけるわけにはいかないだろ?」


その言葉が、計算通りにミカの心を揺さぶる。


「そ、そっか……」


嬉しそうに口元が緩んだ。


「じゃあ、ここは俺が――」


伝票を手に取る神宮司の動きを、ミカの手が止める。


「ミカ?」


神宮司が驚いた表情を浮かべる。


「……私が行く。だからその子に会わないで」


ミカは真剣な眼差しで神宮司を見つめていた。


「でも、いいの?」

「うん、今月指名も増えてるし、大丈夫。リシャールでいい?」


上目遣いで聞くミカの姿に、神宮司は内心で嗤った。


――これで一五〇万。

くくっ、ここまで簡単だとはな。


神宮司はミカに向かって腕を広げ、抱きしめる。そして彼女の耳元でささやいた。


「リシャールなんてどうでもいい……お前が来てくれるのが嬉しい」

「神くん……」


ハグをしたまま、神宮司はニヤリと笑みを浮かべる。

そして、頭をぽんぽんと撫でてから彼女に向き直った。


「じゃあ、飯食って――?」


言葉の途中で、神宮司の表情が凍りついた。

ザザッとミカの顔にノイズが走ったように見えた。まるで、テレビの電波が乱れたときのように、顔全体がぼやけ、一瞬だけ別の顔が重なったような錯覚を覚える。


「神くん?」


戸惑うミカの声に、神宮司は慌てて平静を装った。


「あっ、いや、大丈夫。何でもないよ」


そう言いながらも、神宮司の顔は青ざめていた。

ふと、先ほど店に来ていた二人の言葉が脳裏に蘇る。


『美人には気をつけることね』


まさか、な――。


ミカに急かされるまま、神宮司は店を出る。

そして、そのまま二人は、薄暗くなった歌舞伎町へ消えていった。

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