第14話

歌舞伎町に足を踏み入れると、独特の雰囲気が二人を包み込んだ。


日中だというのに、少し暗く感じる街並み。

夜の賑わいを控えて、まだ黒服の男たちの姿はない。


亮は横目で志堂寺の様子を窺った。

彼女は明らかに緊張した面持ちで、視線を泳がせている。


「大丈夫?」

「な、何が? 別に平気だし」


志堂寺は思わず声を強めた。


「いや、ならいいんだけどさ……」


亮は気まずそうに首筋を掻く。そして話題を変えた。


「ホストの人が話を聞いてくれるなんて意外だったよなぁ」

「日本語が通じればいいんだけど」


志堂寺の言葉に、亮は黙り込んだ。

あれから、さゆりさんが通っていたホストクラブに連絡を取り、当時彼女を担当していたホスト・神宮司誠也に話を聞かせてもらえることになった。彼はさゆりさんが自殺した時に居合わせた相手でもある。


「ここかな」

亮は雑居ビルの看板を見上げる。いくつかの店名が並ぶ中に、ホストクラブ『三愛'sスリーアイズ』の文字を見つけた。


歌舞伎町にあるホストクラブの中では、中堅どころといったお店で、中野、吉祥寺にも支店がある。今日、話を聞く神宮司誠也はここ歌舞伎町本店のNo.2だ。


黒塗りのドアを開けると、甘ったるい匂いが鼻を突いた。


「すみませーん、神宮司さんはいらっしゃいますか……?」


入り口で声を掛けると、奥から「入ってー」とだるそうな返事があった。

亮は志堂寺を見た。彼女の顔色が明らかに悪い。


「どうした?」

「ここヤバい……生き霊だらけ」志堂寺は小声で呟いた。


「まあ、そうだろうな。キツかったら先に出ていいから」

「うん……」


中に入ると、長いカウンターとボックス席が並んでいた。カウンター前のボックス席でノートPCを触る金髪の男が座っている。


「おぅ、好きなとこ座ってよ」


神宮司はこちらに目線を移すことなく、PCで何か作業をしていた。


「お邪魔します、都市安全調査室の志堂寺といいます、こちらは同僚の多々良です」


志堂寺の声に、神宮司が顔を上げる。


「ん? おぉ! いいねぇ、ランク高いじゃん!」

「あ゛ぁ?」


――駄目だ志堂寺、素が出てる!

亮は慌てて、割って入る。


「神宮司さん! お忙しいところお時間を作っていただきありがとうございます!」

「え? ああ、別にいいよ」


亮は咳払いをして、「奥行きがあって広いんですねぇ」と店内を見回す。


「別にこれくらいのハコ普通っしょ? で、何? 俺に聞きたいことって?」


亮は志堂寺にまずは自分が、とアイコンタクトを送る。


「実は、野中さゆりさんについてお話を聞かせていただきたいんです」


言った瞬間、神宮司が顔を歪めて舌打ちをする。


「なんだテメェ? 弁護士か?」

「い、いえ、違います。半年ほど前に歌舞伎町で起きた例の事件について調査を行っています」


「調査ぁ?」

「はい、事件の背景を調査することで、再発防止や同年代女性の悩み相談に対するアンサーなど、今後の糧となりますので……」


「ハッ、まさにお役所仕事ってやつか……。税金の無駄だな、話すことなんかねぇよ、帰れ」


神宮司は明らかに話す気がない様子だった。そこで志堂寺が静かに口を開いた。


「――吉祥寺店、かなり繁盛されてるようですね? 周辺のお店の方にも聞いてみましたが、客入りは今までで一番だとか」

「あ? ま、まあ、あっちは俺が見てるからな。当然だ」


「でもおかしいですね、ここ数年、申告上の売上は殆ど変わっていないようですが……」


神宮司の顔色がサッと変わる。

ノートPCの画面を畳み、席を立つ。


「コーヒーでいいか? ラテもあるぞ」

「ありがとうございます、ラテで」

「では、僕もラテでお願いします」


しばらくして神宮司がラテを持って帰ってきた。いい豆を使ってるらしく、とても良い香りがした。


「売り掛けが貯まったブラジル女の旦那が豆の卸しをやっててな、そいつから支払いを待つ代わりに豆を持ってこさせてる」

「なるほど……」


「ま、何の足しにもならねぇが、無いよりはマシだな」


志堂寺は神宮司をじっと見据え、静かに質問した。


「さゆりさんも売り掛けがあったそうですね?」

「ああ、でも強要はしてねぇぜ? あくまであいつの意思だよ。俺はその辺はキッチリやる。捕まるのだけはごめんだからな」


志堂寺は無言でラテに口をつけた。


「ということは、あくまでお仕事上の関係で、特別な感情はなかったってことでしょうか?」


亮が追及するように質問した。


「当たり前だろ? 俺が何人相手にしてると思ってんだ?」

「では普段、さゆりさんが行きそうな場所や、好きそうな場所に心当たりはないですか?」


神宮司の眉間にしわが寄る。


「は? 何でそんなこと調べてんの? あれ自殺でカタついてんだろ?」

「ええ、あの件は」

「何だよ、まるで続きがあるみたいじゃん」


神宮司はヘラヘラと笑ったが、その目は笑っていなかった。


「あったとしたら、どうします?」


亮の静かな言葉に、神宮司の顔がひきつる。


「新宿中央公園連続焼死事件――ご存じですか?」


志堂寺が切り出した。


「……ああ、ネットで見た」

「実は、私たちはその事件を調査しています。その過程で、さゆりさんらしき人物を目撃しました」


「ばっ……そんなことあるわけねぇじゃん! 死んでんだぜ?」

神宮司の声が一瞬上ずった。


「ええ、その死人が犯人だと私たちは考えています」

「は? な、なに言ってんの? ねぇ、この子大丈夫?」


神宮司が亮に助けを求めるように言った。


「神宮司さん、信じられないと思いますが、このままだと貴方にも危険が及ぶ可能性があるんです」


亮が冷静に告げると、神宮司の態度が一変した。


「――わかったぞ。お前らアレだな、詐欺師だろ? それとも他店に雇われて嫌がらせか? あぁ?」


神宮司が威嚇するように身を乗り出す。


「あのさぁ、私はあなたのことなんて、どぉーでもいいのよっ! でも、これ以上さゆりさんが墜ちていくのを見たくないだけ!」


志堂寺の言葉に、神宮司は言葉を失った。

志堂寺が席を立つ。


「ラテごちそうさま。じゃ、美人には気をつけることね」


捨て台詞を残し、志堂寺は背を向けた。


「ちょ、志堂寺……! すみません、あのもし何かあったらこちらに連絡ください」


亮が慌ててテーブルの上に名刺を置く。


「ありがとうございました、では――」


志堂寺の後を追い、亮も店を出た。



「志堂寺!」


亮の声に、志堂寺は立ち止まった。振り返った顔には、どこか申し訳なさそうな、しかし同時に何かに苛立っているような複雑な表情が浮かんでいた。


「ごめん、我慢できなくて……」


彼女の声は少し震えていた。


「気にしなくていいよ。俺もスッとしたしさ……あはは」


そう言って亮は照れくさそうに笑った。

志堂寺は一瞬驚いたような顔をしたあと、クスッと笑った。


「でも、せっかく来たのに、何も聞けなかったね……」

「いや、仕方な……」


言葉の途中で、亮は突然胸に耐えがたい痛みを感じた。

肺の中に無理矢理何かを流し込まれたように息ができなくなり、思わず胸を押さえて前かがみになる――。


「ちょ、ちょっと亮っ? どうしたの?」


志堂寺の声が遠くに聞こえる。

亮は大丈夫だと手を向けたが、体が勝手に動き、そのまま近くの建物の影へ走り込んだ。


「うっ……おぇえ……」


込み上げてくる何かに抗えず、亮は壁に手をついて身を屈めた。喉の奥から異物感が押し寄せてくる。吐き気――いや、それとも違う感覚。


志堂寺が慌てて駆け寄った時には、亮の口から黒い煙のようなものが漏れ出していた。


「りょ、亮? 嘘でしょ? それ……」


志堂寺の目が恐怖に見開かれる。

亮の口から次々と黒い煙が溢れ出し、うねるように空中に立ち昇っていく。煙は一瞬だけ何かの形を取りかけたが、すぐに消えてしまった。


亮は壁に背をもたれさせ、ゆっくりと地面に座り込んだ。


「はあ……はあ……」


荒い息遣いをしながら、空を見つめる。


「大丈夫?」


心配そうな志堂寺の顔が、亮の視界に入った。


「うん……もう、大丈夫」


亮の声は掠れていたが、少しずつ呼吸が落ち着いてきた。


「ねぇ、いまの……どういうこと?」


志堂寺の質問に、亮は首を横に振った。


「わからない。でも、たぶん前に消した闇喰いの何かだと思う……」


亮は立ち上がろうとしたが、足に力が入らず、しばらくその場に座ったままだった。


「……あの時、志堂寺も吐いてたよね?」

「えっ……う、うん」


「ずっと、これに耐えてたんだよな……すげぇよ……」 


 呟くような亮の言葉に、志堂寺は言葉を詰まらせた。

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