第9話

都内にある新宿中央公園は、高層ビル群に囲まれつつも、美しい緑と光に溢れた憩いの場のであるはずだった。


しかし、今日の昼下がりは違う。休日にも関わらず人影はまばらで、数少ない通行人たちも足早に通り過ぎていく。これも事件の影響か……。


ビル群の影が落ちる西側の一角では、黄色いテープが張り巡らされ、若い警察官が警備に当たっていた。


現場の入り口で、志堂寺が亮の腕を軽く引く。


「いい? あくまで私たちは都市安全調査室だからね」


すっかり気を取り直した志堂寺に念を押され、亮は頷いた。

二人で警官にIDを見せ、現場に入れてもらう。


数日前の雨でぬかるんだ地面の水たまりを慎重に避けながら、黄色いテープが張り巡らされた一角へと進んでいく。


「怖くないの?」

「え?」

「だって、初めての現場でしょ?」


志堂寺には緊張を見透かされているようだった。


「うん、まあ……ね。志堂寺はもう慣れてる?」

「慣れてるっていうか――」


会話の途中で、二人は同時に足を止めた。

中央の空き地に、まるで黒い円を描くように残された焦げ跡。周囲の木々にも火の手が上がったような痕跡が残り、事件の痛々しさを物語っていた。


「ここが直近の事件現場か……」

「うわぁ……黒くなってるし。舌から発火とかマジ無理なんだけど」


志堂寺は地面に残された黒い焦げ跡を見て顔をしかめた。


「この位置で燃えたとしたら……夜中だし、かなり目立ったんじゃないかな」


亮が地面を見ながら言った。

返事がないので振り返ると、志堂寺は近くを通るカップルを見つめていた。

手を絡めて繋ぎ、笑い合う若い二人。どこにでもいる幸せそうなカップルだ。


「どうした?」

「べ、別に!」


急に素っ気なくなる志堂寺に、亮は首を傾げる。


「?」


何やら考え込んでいる様子の志堂寺は、突然質問を投げかけてきた。


「あんたはどこでしたの? ……キス」

「家だよ」


即答する亮に、志堂寺は目を丸くした。


「ふ、ふーん、相手は?」

「……もしかすると同じかも」


「あぁ?」

志堂寺は片眉を上げ、こいつ何言ってんだみたいな顔をする。

亮は気にせず、「消えたからね」と続ける。


「え? 何の話?」

「だから、キスしたら……消えたんだよ」


亮の言葉の意味に気づいた志堂寺の表情が固まる。


「――それって」

「そ、俺のファーストキスの相手は……人じゃないんだ」


意外な告白に志堂寺は驚きながらも、どこか安心したような表情を浮かべる。


「へぇ、そ、そうなんだ……」


気まずそうに目線を泳がせながら、

「ま、まあ、ほら、何事も経験っていうか……ね?」と笑ってごまかす。

「いいよ、気にしてないから」


そのまま二人でしばらくあちこち見て回るが、特にめぼしい発見はなかった。


――そりゃそうだ。警察が必死で捜査して何もわからなかったんだし、素人同然の自分が探したところで、都合良く有力な手がかりが見つかるとは思えない。


「少し休憩しない?」

「うん」


亮と志堂寺は、近くのベンチに腰掛けた。


「この後さ――ちょっと聞き込みとかしてみない?」

「聞き込み?」

「実は一回、やってみたかったんだよね」


亮の目が少し輝いていた。

人付き合いは苦手だが、亮は人が嫌いなわけではない。

自分の望まぬ力が、相手を傷つけないか心配なのだ。


「まあ、別にいいけどさ……相手が怪異なら、目撃情報は期待できないと思うよ?」

「そっか、見えない人の方が多いもんな……」


がっかりした亮を見て、志堂寺が突然立ち上がった。


「ちょい待ちっ! 容疑者の女性は全員カメラに映ってた……てことは、実体がある? もしかして、憑依してるのかも!」

「憑依? 取り憑いてるってこと?」


「そういうこと。人間に取り憑いて操る。憑依されてる人は記憶がないか、朦朧としてるはず」


亮は考え込むように頷いた。


「なるほど……。じゃあ、公園付近で奇妙な女性や変な振る舞いをする人を見かけなかったか聞いてみるか……」

「そうね。でも、男性だけを狙ってるから、標的の特徴も考えないと」


亮は立ち上がり、腕まくりをする。


「よし、志堂寺! 徹底的に聞き込みするぞ!」


その姿を見て、志堂寺はくすっと笑った。


「なにそれ? 刑事ドラマの見過ぎじゃないの?」

「ちょっとやってみたかっただけだよ」


亮は少し照れくさそうに笑い、ふと気付いた。

――あれ? 俺、冗談なんて言うキャラだっけ。

「ま、いっか」


「どしたの?」

「ううん、何でもない。行こう」


そう言って歩き始めると、志堂寺が眉間にしわを寄せ、本気で心配しているように亮の顔をのぞき込む。


「ねぇ、男の不思議ちゃんって、よっぽどルックス良くないと無理だからね?」

「そ、そうなんだ……」


こういうとき、気の利いた返しでもできれば少しはモテたのかも知れない。

だが、今の亮にできるのは、曖昧に受け流すことだけだった。


そして、二人は公園内を巡回しながら、手分けして通行人に声をかけ始めた。

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