第8話

翌日、亮はUPMAの施設内にあるコワーキングスペースに呼び出された。

広々とした空間に整然と並ぶデスクとパーティション。観葉植物や高級チェアはもちろん、有名カフェチェーンまで併設されている。


行ったことも見たこともないが、まるで虎ノ門ヒルズにあるキラキラIT企業のオフィスのようだと亮は思った。


「ここ環境いいよなぁ……。このクラスはフリーじゃとても借りられないよ」


デスクの引き出しを開けたり閉めたりしながら志堂寺に言う。


「昨日は死んだ顔してた癖に、切り替え速いのね?」

「いや、そういうわけじゃ……」

「はぁ……。Endgameだった頃は専用シャワー室まであったのに……」


一方、最高位調査員用に与えられていた豪華な個室を失い、一般フロアに降格された志堂寺は明らかに不満げな様子だった。


「で、今日は何をすればいいの?」

「まずは資料の読み込み。怪異排除なら直行だけど、こういう事件ものは調査が主となるから、事前に情報はしっかり頭に入れておくのよ」

「ふぅん、そっか。わかった、やってみる」   


亮と志堂寺は、それぞれにファイルを読み込んでから意見を交わそうと決め、思い思いの場所へと向かった。


淹れ立てのカフェラテを手に、窓際の席を確保したまでは上機嫌だった亮だが、ファイルに目を通すにつれ、あまりの現実感のなさに戸惑っていた。


「新宿中央公園連続焼死事件……」


都内の公園で男性の焼死体が立て続けに発見される事件が発生している。

 

奇妙なことに焼けているのはすべて顔面のみ。しかも法医学的検査の結果、発火点は被害者自身の『舌』であると判明した。


「舌ぁ!?」


思わず声に出る。

慌てて周りを見回すが、誰も亮のことを気にしていないようだった。


焼死は相当つらいと刑事ドラマか何かで見たことがある。そんな子供じみた知識しか持ち合わせていないが、とんでもなく辛い死に方だということは亮にでもわかった。


気を取り直してファイルを読み進める。


防犯カメラの映像には、被害者たちが死亡直前に女性と歩いている姿が捉えられていた。しかし、その女性たちはすべて別人のように見え、いまだ誰一人として、その身元を特定できていない。


警察は対策本部を設置し大規模な捜査を行ったが、犯人の手がかりはなく、迷宮入りが懸念されている……か。


「ふぅ……」


亮はファイルから目を離し、上体を反らして体をほぐした。

要請元という欄を見ると「警視庁幹部」とある。


なるほど、事態を重く見た警察上層部から、通常の捜査では対応できないと判断され、UPMAに協力要請が入ったわけか。


そして、自分が研修を兼ねた調査員として、現場に派遣されることになったと。で、相棒は闇喰いを失った元Endgame、志堂寺瑠果――。


資料に添付された被害者の写真が目に入り、亮は「うぇ」と顔を歪めてファイルを閉じる。


「ったく、どんな罰ゲームだよ……」 


いつか、こういう写真を見ても何も感じなくなるのだろうか……。怒りや悲しさではなく、ただ漠然と脱力感に襲われている。


――勘弁してくれよ、漫画じゃあるまいし。


亮は小さく頭を振りながら、席を立った。


ファイルを読み終えた亮は、志堂寺のいるブースに顔を出した。


「むむむむ……」


彼女は何かに夢中になっている様子だった。


「どうした、難しい顔して?」

「うわわぁっ?」


ビクッと肩を震わせ、志堂寺は「キスシーン」「舌」の画像検索結果が表示されているPCの画面を慌てて別の画面に切り替えた。


「大丈夫か?」

「な、なんでもないの、ホントなんでもないから……あはは」


耳を真っ赤にして誤魔化す志堂寺に、亮は首を傾げる。


「変な奴だな」


亮はカフェラテのカップを持って隣の席に座る。

志堂寺が隠れて「いーっ」と亮を睨み付けている。

亮はデスクの上で、改めて事件のファイルを開いた。


「被害者男性は全員、顔面に重度の熱傷、死因は窒息死か……ひどいよな」

「ねぇ、犯人が怪異ってことはさ、被害者は怪異とキスをしたってことだよね?」


亮はあらためて志堂寺の顔を見る。彼女は妙に真剣な表情をしていた。


「まぁ、その可能性はあるよな」

「……あるの?」


恥ずかしそうに聞く志堂寺。


「え? 何が?」

「だ、だから…キスよ、キス! 接吻したことあるかっつってんの!」


顔を赤くしてキレる志堂寺を見て、亮は困惑した。


「あぁ、まぁ……」

「えっ? な、なによ、その上からな感じ……」

「いや、キスくらいでそんなつもりは……」


亮は宥めるように志堂寺に両手を向けた。


「キス、くらい……だと?」打ちひしがれる志堂寺。

「お、おい大丈夫かよ……ちょっと老けてるぞ?」

「どーせないわよっ! 悪い?」志堂寺の声が少し震えていた。


「こちとら生まれた時から怪異に憑かれてたし! 気味悪がられて誰も近寄ってなんか来なかったし!」


椅子の上で体操座りになって拗ねる志堂寺。

強気な態度とは裏腹に、その姿にはどこか儚さを感じさせた。


何も言ってないんだけどな、という言葉は飲み込み、

「わ、悪かったよ……。ほら、でももう怪異もいないわけだしさ」とフォローを入れてみる。


志堂寺はしばらく黙っていたが、小さくため息をついた。


「……」


気まずい。どうしよう、変なスイッチ押してしまったかも……。


「よ、よしっ! じゃあ、現場に行ってみる?」


苦し紛れに絞り出した亮の提案に、志堂寺は無言で頷いた。

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