第7話
リフレッシュルームのドアが開き、志堂寺が顔を覗かせた。
部屋中央のソファに腰掛けていた亮は、彼女の姿を認めると小さく息を呑んだ。
「あ」
「何よ?」
志堂寺は眉をひそめて言った。
亮は苦笑いをする。
「いや、もう体は平気?」
志堂寺は一瞬、答えに詰まったようだった。
「……う、うん、ていうか、未だかつてないくらい……絶好調、かも」
彼女の声には奇妙な苛立ちが混じっていた。何かに怒っているようにも見えるが、それが亮に向けられたものなのか、別のことなのかは判然としない。
気軽によかったね、と声を掛けるのもどうなのかと亮が悩んでいると、志堂寺はテーブルに置かれているお菓子の中から、細いチョコスティックの箱を選んで手に取り、ポリポリとかじりながら向かいのソファに座った。
「あんた一体、何者なの?」
「何者って……ただのフリーランスっていうか」
「え? うそ年上?」
志堂寺の表情が驚きに変わる。
「だと思うよ」
「ふ、ふーん。仕事ってどんな感じ?」
「んー…、会社の業務アプリの設計とか、ネットワークの構築……あと、小規模ならシステムの改修作業とかもやるかな」
「んなこと聞いてないし。オフィスの感じとかー、歓迎会とかー、社内恋愛とかさぁー、いろいろあるじゃん」
志堂寺は少し苛立ったように言い返した。
「いや、俺フリーだし、仕事は自宅だから」
「なにそれ、つまんなくないの?」
チョコスティックをかじりながら、志堂寺は面白くなさそうに言った。
「どうだろ? 人付き合いが苦手だから」
志堂寺がふーんと言って、お菓子の空き箱をテーブルの向こう側にあるゴミ箱に投げ入れる。見事に入った。
「君はどうしてこの仕事を? まだ学生だよね?」
亮の質問に、志堂寺は顔をしかめた。
「きっしょ、君とかやめてよ。瑠果って呼んで」
「……」
突然の申し出に、亮はわずかに顔を赤らめる。
「ちょ、ちょっと、下の名前呼ぶくらいで意識しないでくれる?」
そう言いながらも、志堂寺自身の頬にも薄っすらと赤みが差していた。
「そういうわけじゃ……」
「あんた亮でしょ? 私も亮って呼ぶから」
「わかった、よろしくな瑠果」
亮が素直に応じると、志堂寺の表情が一変した。
「……や、やっぱ無し、志堂寺で!」
彼女の顔が真っ赤になる。
「ん? お、おぅ、わかった、志堂寺な。俺は亮でいいよ」
「チッ」
志堂寺が舌打ちして、睨みながら新しいチョコスティックを束でかじる。
――俺、なんか悪いことしたかな……。
亮は内心で思いながらも、何も言えずにいた。
その時、部屋にスーツ姿の若い男が入ってきた。
すっきりとした顔立ちで一見好青年に見えるが、顔と首筋に大きな傷跡があるせいで、亮は思わず身構えてしまった。
「お! いたいた、お二人さん」
彼は陽気な様子で歩み寄る。
「三島さんじゃん、どうしたの?」
志堂寺の声にわずかな安堵が混じっている。
きっと、この人は悪い人ではないのだろうと亮は思った。
「お仕事だよ、お仕事」
三島はファイルを取り出し、二人の前でパンパンと叩いた。
「じゃあ、二人ともそっちに座ってもらえるかな?」
三島に促され、二人が並んで座ると、彼は向かい側の席に腰を下ろした。
「なんすかぁー? わたしもう、ただの調査員なんすけど?」
志堂寺の態度は明らかに反抗的だが、どこか三島に甘えているようにも見えた。
「まあまあ、瑠果ちゃんにも役割があんのよ」
「わたしに?」
三島は頷き、志堂寺から亮へと視線を移した。
「はじめまして、三島慎司です。UPMAの上級職員で、瑠果ちゃんみたいな調査員とは違って、不思議な能力なんてものはなーんも持ってません。主に調査員のサポートや対人案件の処理を担当しています」
「ご丁寧にどうも……」
やはり、悪い人ではなさそうだが、本心を読ませない人だなと亮は思った。
「早速なんだけど、亮ちゃん、君、今日から調査員だから」
三島はにっこりと笑った。
「えっ?」
いきなりのちゃん付けにも驚いたが、調査員って。
しかも、決定事項のように言われ、亮は言葉を失う。
「で、瑠果ちゃん教育役ね」
「はあぁっ?」
二人の驚きの声が重なる。
「こ、困ります、俺にも仕事があるんで……」
亮は必死に言葉を絞り出し、抵抗しようとした。
「うんうん、フリーで頑張ってるもんね。でも、大丈夫。全部こっちで終わらせてあるから」
「終わらせて……?」
亮の声が震える。
「そ、契約のあったクライアントには全て契約終了の了解を得てるし、何より本格的な格差社会の到来と急転直下な世界情勢、いやぁ、不安定なフリーランスより、ウチみたいに手厚い福利厚生のあるホワイト組織で働いた方がいいよ? 給与袋の厚みは心のヘルスメーターっていうからねぇ。あ、いまは振り込みだけどさ、あははは」
三島の説明に、亮は言葉を失った。もはや言い返す気力すら湧かない。
一方、志堂寺は諦めていなかった。
「でも、教育役なら他にいるでしょ?」
「いない」
三島の一言に、志堂寺は勢いよく席を立った。
「いるじゃん! その辺にいっぱい!」
「いないよ。瑠果ちゃんみたいに怪異に詳しくて、しかも霊感強い子って希少なんだよ?」
「で、でも……!」
志堂寺の声が途切れる。
「大丈夫、ちゃーんとサポートするからさ、ね?」
三島の優しげな口調に、志堂寺は黙り込んだ。
「よしっ、当面は研修だね。まずは二人で、この事件を担当してくれるかな?」
三島はテーブルの上を滑らせるように事件の資料ファイルを二人に差し出した。
「あ、雇用条件は別の担当から説明があるからね」
「は、はあ……」
亮は放心状態で頷いた。
三島は満足げな笑みを浮かべて席を立つ。
「目指せ、君も"Endgame"だっ! なんてね。じゃ、ふたりとも頑張って」
軽く手を振ると、三島はさっさと出て行った。
しばらく沈黙が続き、「あの人って……」と亮が志堂寺を見る。
「うん、いっつもあんな感じ……。元米国大統領のSPだって聞いたけど信じてない」
志堂寺はポッキーの箱をテーブルに投げ捨てた。
たしかに信じられないが、本当だったとしてもそれはそれで違和感がない気がする。
「……はあ、これからどうなるんだろう」
亮の嘆息に、志堂寺は冷ややかに答えた。
「どうもこうもないわよ、どーせ、私たちに選択肢なんて無いんだから……」
彼女の言葉には、どこか諦めと悲壮感が混じっていた。
亮は彼女のいままでの人生を想像して、自分と似てるのかもと少し共感する。
「そっか、そうだよな」
窓の外を見ると、すっかり陽が落ちて暗くなっていた。
まったくもってこの先の人生が想像できない。なんだってこんな事に……。
このファイルを開いてしまったら、もう引き返せない……いや、もう手遅れか。
そんな風に思いながら、亮はテーブルの上のファイルを見つめていた。
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