第6話

リコは薄暗い路地の影に身を潜め、遠くに見える歌姫の姿をじっと観察していた。


彼女の白いドレスが風に揺れ、幽霊のように浮かんでいるかのようだ。


その美しさは異様で、現実から切り離された雰囲気を漂わせていた。


「歌姫は……あの塔と繋がってたんだ!」


リコは小さく声を漏らし、視線を都市の中心にそびえる巨大な時計塔へと移した。


時計塔は古代から存在する浮遊構造物だ。


セレスティアの都市全体を支える力と、時間を司る中枢を担っている。


その表面は金属と石が混ざり合い、無数の歯車が動く音が遠くまで響き渡る。


だが最近、塔の周囲をモノクロの雲が覆い始めていた。


不気味なほど静かで、時間が停止したかのような異変だった。


数日前の回帰で、リコは黙層の民の古老と出会っていた。


そのしわがれた声が、今も耳に残っている。


「あの時計塔は時の歪みから災いを生んだのじゃ。あれが崩れれば、都市も壊滅してしまう」


古老はそう警告し、沈んだ瞳でリコを見つめた。


「その歪みを正す者が現れなければ、全ては歌姫の闇に飲まれるじゃろう」


その言葉を思い出しながら、リコは掌をぎゅっと握りしめた。


時計塔が歌姫の力の源であり、断層の民を蝕む元凶だと知った。


彼女は何度も回帰を繰り返し、少しずつ真相に近づいてきたのだ。


そして昨日、セレスティアの地下倉庫で決定的な手がかりを見つけた。


埃にまみれた棚の奥に、「星屑の杖」と呼ばれる古びた杖が眠っていた。


その杖の先端には透明な結晶が輝き、触れた瞬間、リコの頭に幻視が流れ込んできた。


幻視の中では、歌姫が時計塔の頂上で手を掲げていた。


「私は時間を支配する。この都市は私の掌の上にあるわ!」


彼女の声は冷たく、歪んだ笑みが顔に浮かんでいる。


塔の「歪み」が彼女を生み出し、力を与えたのだと、リコは理解した。


「必ず……歌姫を倒しに、塔の奥まで行くんだ!」


魔法の杖を手に持ったまま、リコは決意を固めた。


時計塔の入り口は巨大な鉄門で封鎖されていた。


表面には古代の文字が刻まれ、触れると冷たい空気が漂ってくる。


リコは杖を掲げ、結晶から放たれる淡い光を門に当てた。


「お願い、開いて!」


彼女の声に呼応するように、結晶が一瞬強く輝き、鉄門が軋みながらゆっくりと動き出した。


中から漏れ出す光と歯車の音が、リコの鼓動をさらに速くさせる。


「ここで全部……終わらせるんだから!」


リコは呟き、一歩踏み出した。


塔の内部は予想を超えた異空間だった。


無数の歯車が絡み合い、壁には光の渦が渦巻いている。


足元の床は半透明で、下には果てしない深淵が広がっていた。


まるで時間が形を持って蠢いているような感覚だ。


リコは杖を握り直し、周囲を見回した。


すると、前方にぼんやりとした人影が浮かび上がる。


「誰!?」


リコが叫ぶと、人影が徐々に鮮明になり、歌姫の姿が現れた。


ただし、それは実体ではなく、幻影のようだった。


「まあ、あなたがここに? 驚くほどしつこい子ね」


歌姫の声は驚きを含んでいたが、すぐに嘲笑に変わった。


「私の弱点に気付いたつもりかしら? 愚かな子。何も変えられないのに」


リコは一瞬たじろいだが、すぐに目を鋭くした。


「あなたの力はこの塔から来ているんでしょう? もう逃さない!」


杖を構えながら、彼女は一歩前に進んだ。


歌姫の幻影は低く笑い声を上げた。


「私が逃げる必要なんてないわ。あなたこそ、この塔の中で永遠に迷えばいい」


その言葉と共に、光の渦が急に勢いを増し、リコの足元を揺らした。


「わっ! 何!?」


リコはバランスを崩しかけたが、杖を床に突き立てて耐えた。


「こんな幻影にやられるもんか…!」


幻影が優雅に微笑む。


「勇敢ね。でも、最深部まで辿り着けると思ってるの? そこには私の本当の力が眠ってるわ」


その声が消えると同時に、幻影は光の粒となって消え去った。


リコは息を整えながら、塔の奥へと続く階段を見つけた。


小さな歯車が唸りを上げ、光が不規則に点滅している。


「最深部……そこに全部の答えがあるんだ!」


リコは唇を引き締め、杖を手に持ったまま階段を登り始めた。


足音が金属の床に響き、冷たい風が頬を撫でる。


行く手には何が待っているのか分からない。


だが、リコの心は揺らがなかった。


「歌姫を倒す! それが私の役目なんだから!」


彼女はそう呟き、暗闇の中へと進んでいった。


階段は長く続き、登っても登っても終わりが見えない。


息が上がり、足が重くなるたび、リコは杖にすがって立ち直った。


「まだよ……、絶対に諦めないんだから!」


やっと階段を登り切ると、そこは予想外の場所だった。


巨大な部屋ではなく、歯車が浮かぶ狭い通路がいくつも分岐している空間だ。


壁には光る模様が浮かび、どれが正しい道か分からない。


「えっ……最深部って、どこにあるの!?」


リコは一瞬戸惑ったが、すぐに目を光らせた。


「迷ってる時間なんてない! 進むしかないんだ!」


杖の光を頼りに、彼女は左の通路を選んだ。


すると、突然床が揺れ、光の渦が襲いかかってきた。


「わっ、危ない!」


リコは咄嗟に飛び退き、杖を振り回して渦を切り裂く。


別の通路に進むと、今度は古びた鏡が立っていて、彼女の姿が歪んで映った、


鏡の中から低い声が響いた。


「戻りなさい? ここはお前が来る場所じゃないわ」


「嫌だ……絶対に諦めない!」


リコは歌姫の声を聞かず、先へ進んだ。


時間がどれだけ経ったか分からない。


汗と埃で服が汚れ、息も荒くなっていた。


それでも、彼女は諦めなかった。


「どこかに……きっと道があるはずなんだ!」


やがて、一つの通路の先に、微かな光が漏れているのを見つけた。


「これだ……!」


リコは疲れた体に力を込め、光の先へと駆け込んだ。


通路を抜けた先には、巨大な部屋が広がっていた。


中央には浮遊する巨大な結晶があり、その周囲を無数の光が取り巻いている。


まるで時間が凝縮されたような光景だ。


「ここが、最深部なの?」


リコが呟いた瞬間、部屋全体が震え始めた。


結晶の中から、低い声が響き渡る。


「あら、あなたがここまで来るなんて。なかなか面白い子ね、リコ」


歌姫の声だった。


だが、それは幻影ではなく、もっと深い何かから発せられているようだった。


「やっと会えた!……もう逃さないんだから!」


リコは杖を掲げ、結晶に向かって歩き出した。


「できるなら、やってごらんなさい? でも――私を倒せば、この塔はどうなると思う? 都市ごと消えてしまうわよ」


歌姫の声は冷たく、挑発的だった。


「それは私が何とかする! あなたを放っておくより、ずっとマシよ!」


リコは迷わず答え、杖の光を強く輝かせた。


結晶が反応し、部屋全体がさらに激しく揺れた。


歯車が軋み、光が爆発するように広がる。


リコは目を細めながら、最後の戦いへの覚悟を決めた。


「行くよ! もう後戻りはしないんだから!」


彼女の声が静かに響き、杖から放たれた光が結晶にぶつかった瞬間、


全てが白に染まった。


そして、その光の向こうで何かが動き出す音が聞こえた――。

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