第2話
レイヴンはリコの背を追い、虚構の塔の階段を登っていく。
石壁に反響する足音が、重苦しく耳に残り、少し不気味に感じる。
やっと階段が終わり、目の前に広がったのは半球型の広大な空間だった。
天井は高く、中央に浮かぶ巨大な水槽が静かに薄い光を放っている。
その中には、白いドレスをまとった女性が漂い、目を閉じたまま佇んでいる。
彼女の唇が微かに動き始めると、奇妙な歌声が響き渡った。
その音は天鳴に似ているが、歪んだ音色が混じり、背筋が冷たくなる。
レイヴンは思わず足を止め、息を呑んでその光景を見つめた。
「この歌……何なんだ?」
リコが振り返り、小さな声でそっと呟く。
「これが……セレスティアの美しさの源なんだよ」
彼女の目は暗く、かすかに揺れていて、どこか悲しげに見えた。
「私、銀色の翼を持ってるけど、天鳴なんていらないの。だから、敢えて飛ばないことを選んでる」
リコが一歩近づいてきて、レイヴンの顔をじっと見上げる。
「だって、この歌は偽物だから」
レイヴンは水槽に視線を戻す。
女性がゆっくりと目を開け、深い青の瞳でこちらをじっと捉えた。
その視線には冷たく鋭いものが宿り、心の奥に刺さるようだった。
「ようやくお会いできたわね、灰色の翼の少年」
彼女の声は低く落ち着いていて、大人の女性らしい余裕が漂う。
「私は『虚構の歌姫(アストラル・シンガー)』。ずっとあなたを待っていたのよ」
レイヴンは眉を寄せ、警戒しながら問いかける。
「お前が俺を呼んだのか? 一体何のために?」
喉が乾いて掠れた声が、自分の耳にも弱々しく響いた。
歌姫が水槽の中で優雅に微笑む。
「それは……あなたの灰色の翼が、私の歌にとって欠かせないものだから」
「天鳴を完成させ、セレスティアを永遠に浮かせるために必要なの」
リコが慌てたように声を上げる。
「その歌は、黙層の人の命を奪ってるんだよ!」
彼女の声には静かな怒りが込められ、瞳が燃えるようだった。
レイヴンは目を細め、リコに視線を移す。
「リコ、どういう意味だ? 説明してくれ」
頭が整理しきれず、言葉に重みが乗ってしまう。
リコが水槽を睨みつけながら続ける。
「あの歌、黙層の子供たちを『音の欠片』に変えちゃうの」
「眠るみたいに消えていくんだよ。それが美しさの代償なんだ!」
歌姫が静かに笑い、穏やかに返す。
「その通りよ。でも、それがセレスティアの調和の本質なの」
「あなたが私の歌に加われば、黙層の苦しみも終わりを迎えるわ」
レイヴンの胸が締め付けられ、怒りが込み上げる。
「苦しみが終わる? そんな言葉で何を誤魔化してるんだ?」
拳が自然と握られ、声に力がこもった。
リコが声を張り、強く否定する。
「それは嘘だよ! 歌姫は、次の子を探すだけなんだから!」
彼女がポケットから魔法石を取り出し、水槽に勢いよく投げつけた。
バキンッ
水槽にひびが入り、歌声が一瞬途切れると同時に塔が揺れた。
レイヴンの足元が不安定になり、壁に手をついてバランスを取る。
「この揺れは……何だ?」
その瞬間、灰色の翼が強く疼き、鋭い痛みが走った。
白い霧が足元に忍び寄り、冷たい感触が足首を包み込む。
歌姫が手を伸ばし、甘く落ち着いた声で囁く。
「怖がる必要はないわ。私の歌に溶ければ、全てが楽になるのよ」
リコがレイヴンの腕を掴み、必死に訴える。
「騙されないで! あれに取り込まれたら終わりだよ!」
彼女の声には切迫感が滲み、指先に力がこもっていた。
レイヴンは霧を振り払い、リコを見つめる。
「リコ……お前はどうしたいんだ? 俺に教えてくれ」
彼女の瞳をじっと見据え、冷静に問いかけた。
リコが息を整え、決意を込めて答える。
「歌姫の暴走を止めたい」
「黙層に、本物の平穏を返してあげたいよ……!」
歌姫が笑い声を上げ、余裕たっぷりに話す。
「逃げても無駄よ! 私の歌が止まれば、セレスティアは落ちるわ!」
「あなたたちの小さな希望も、共に沈むだけよ」
水槽から水が溢れ出し、床を冷たく濡らしていく。
その水は不自然に動き、二人を絡め取ろうと這い寄ってくる。
「まずいな……」
レイヴンが周囲を見渡すと、広間の奥に細い通路が目に入った。
「リコ、行くぞ!」
彼女の手を引き、一気に通路へ向かって走り出す。
背後で歌姫の声が静かに響き、不気味に耳に残る。
「次は誰の音を奪おうかしら?」
その声に、過去の子供たちの遠い泣き声が混じり始めた。
レイヴンの耳に刺さり、心が締め付けられるような感覚が広がる。
通路に飛び込む瞬間、天井が崩れ落ちる音が背後で鳴り響いた。
「急げ、埋もれるぞ!」
レイヴンが短く指示を出し、リコが小さく頷く。
彼女の息が荒くなり、足音が少し乱れた。
「レイヴン……あれ、何だろう?」
リコが前を指さし、赤い光が通路の先に揺らめいている。
歌姫の歌が遠くで不気味に響き、翼の疼きが収まらない。
水槽から漏れた水が奇妙な音を立て始めた。
空気が震え、霧の中から虚像が浮かび上がってくる。
黙層の子供たちの姿が、ぼんやりと形を作り、こちらを見つめた。
「助けてよ……」
小さな声がレイヴンの耳に届き、心を揺さぶる。
「虚像まで出すなんて……すごい力だ」
リコがレイヴンの肩を叩き、急かすように言った。
「早く、このままじゃ捕まっちゃうよ!」
歌姫の声が追いかけてくる。
「あなたの音は私のものになる運命よ、灰色の少年」
その言葉が頭に響き、背筋に冷たいものが走った。
レイヴンはリコと共に、赤い光へ向かって走る。
虚像の手が伸びてくるが、振り払って進み続ける。
通路の先に何が待っているのか、全く見えない。
歌姫を止めたい。
黙層の子供たちを救いたい。
その思いがレイヴンを突き動かし、足を止めさせなかった。
赤い光が目前に迫り、視界が熱を帯びていく。
崩れた天井の隙間から、影が静かに現れる。
黒い翼を持つ人影が、こちらをじっと見つめていた。
「あれは……何だ?」
レイヴンが呟いた瞬間、通路が真っ赤に染まり、視界が揺らいだ——。
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