灰色の翼と虚構の塔
(仮)
第1話
近未来の浮遊都市「セレスティア」は、雲海に漂う壮麗な空中都市だ。
白金と瑠璃色の建築が陽光に映え、昼夜を問わず空を切り裂く風が、人々の翼を舞わせる。
ここでは誰もが「天鳴」——都市を支える超自然的な音波——と共鳴し、自由に飛翔する。
その旋律は美しく、上層に住む者たちの翼は白や金、青や緑に輝き、まるで生きる絵画のように空を彩る。
朝焼けが雲を染めれば、彼らの歌声が風に乗り、希望の象徴として響き合う。
セレスティアの美しさは、この調和に宿っている。
だが、レイヴンはその調和の外にいた。
彼の翼は生まれつき灰色——天鳴と共鳴できない「乱れた音階」を持つ穢れの証だった。
飛ぶことはおろか、空に立つことさえ許されない。
周囲の冷たい視線と「穢れた音階の奴」という囁きが、彼を幼い頃から孤立させた。
やがてレイヴンは、最下層「黙層」へと追いやられた。
そこは天鳴の届かない薄闇の世界。朽ちた鉄骨が軋み、埃っぽい空気が肺を満たす廃墟だ。
遠くから微かに響く天鳴の残響だけが、上層の光を思い出させる。
黙層の住人たちは、ただ沈黙の中で生きるしかない。
レイヴンにとっても、ここは息苦しい檻だった。
それでも、彼は小さな希望を捨てなかった。
壊れた機械を修理し、子供たちに上層の話を聞かせて笑顔を引き出す。
そんな些細なことで「みんなが少しでも笑えれば」と、自分に言い聞かせていた。
特別な力はない。ただ、努力で何かを変えたいと願う男だった。
「いつか、ここにいる全員で空を見上げられたら」と、ささやかな夢が彼を支えていた。
しかし——その夜、すべてが変わった。
深い眠りの中、レイヴンは夢を見ていた。
雲海の上に浮かび、灰色の翼が微かに光を帯びる。
天鳴と共鳴したかのような感覚に、彼は初めて希望を抱く。
「飛べるかもしれない」
翼を広げた瞬間、風が彼を押し上げた。
だが、次の刹那、天鳴が不協和音に歪み、空が黒く染まる。
「お前はここに来てはならない」
低い声が響き、翼が石のように重くなる。
雲海の下へ落ち、黙層の闇に叩きつけられた瞬間、彼は目を覚ました。
「またあの夢か……」
額に冷や汗が滲み、灰色の翼が重く疼く。
彼はベッドから起き上がり、埃っぽい窓辺に立つ。
「夢でも飛べる瞬間があるなら、まぁ悪くないか……」
皮肉っぽく呟きながらも、その声にはかすかな力が宿っていた。
その時だった。
夜の静寂を切り裂く異様な響きが、空を震わせた。
レイヴンは窓に駆け寄り、埃まみれのガラス越しに外を見上げる。
雲の隙間に揺らめく光——漆黒の輪郭に淡い輝きを纏った「虚構の塔」が浮かんでいた。
黙層に伝わる噂話だ。
「天鳴とは異なる塔が現れ、飛べない翼を持つ者に何かを与える」
現実とは思えなかったその幻が、今、目の前にあった。
「これが本当なら……黙層のみんなも希望が持てるかもしれない」
胸に湧き上がる衝動を抑えきれず、彼はジャケットを羽織り、部屋を飛び出した。
塔は別の世界への扉かもしれない。
灰色の翼を持つ自分を受け入れ、新しい未来を掴める場所——
その直感が彼を突き動かした。
崩れた階段を登り、冷たい夜風に頬を打たれながら、彼は苦笑する。
「こんな夜中に動くなんて、俺も大概だな……」
それでも足は止めない。やがて虚構の塔の入り口に辿り着いた。
古びた金属の扉が闇に浮かんでいる。
「……ここか」
呟きながら扉を押し開けた瞬間、世界が一変した。
塔の内部は薄い光に満ちた広大な空間だった。
埃も闇もない、異質な静けさ。
中央に立つ人影に気付いた時、彼の息が止まる。
銀色の翼を持つ少女がそこにいた。
夜の薄闇が彼女の髪を優しく照らし、穏やかな微笑みが浮かんでいる。
「やっと会えたね」
彼女——リコと名乗るその少女——の声は柔らかく、どこか哀愁を帯びていた。
「君は……誰だ? ここで何してる?」
レイヴンは冷静に問いかける。
銀色の翼が微かに揺れ、光を放つ姿に目を奪われながらも、警戒を解かない。
「……見えているものを、そのまま信じない方がいいよ」
リコは小さく笑い、彼に一歩近づく。
「見えているもの? 何の話だ?」
「この世界と塔のこと。そして、私のこと……」
彼女の視線が、レイヴンの灰色の翼に落ちる。
「俺の翼に興味があるのか?」
「ううん。ただ、珍しいなって思っただけ」
リコの目は遠くを見ているようだった。
夜の塔の中で、二人の会話が静かに続く。
「ねえ、レイヴン」
突然の呼びかけに、彼は眉を上げる。
「俺の名前を……どこで知った?」
「この塔が教えてくれた。あなたの音が、ここに響いてきたから」
彼女が銀色の翼を軽く動かすと、微かな音が空気を震わせた。
「俺の音だと? 乱れた音階がここまで響くとは思えないが……」
「それはあなたがそう思ってるだけ。ちゃんと音は届いてるよ」
リコが彼の肩にそっと手を置く。
その温もりに、レイヴンは目を細める。
「君の手は、温かいな」
「あなたの翼、ずっと疼いてるよね? 大丈夫?」
「ああ……塔を見てから、ずっとこんな感じだ」
「何かの兆候かも。あなたはここに呼ばれたんだから」
その言葉に、彼の目が見開く。
「呼ばれた? 誰に?」
「それは、これから分かるよ」
リコが塔の奥へ視線を移す。
そこには暗闇に浮かぶ一本の階段があった。
彼女が先に歩き出す。レイヴンはその背中を見つめる。
「ここまで来たら、もう進むしかないな……」
灰色の翼が疼き続ける中、彼の心はざわめいていた。
塔の奥から聞こえる微かな音が、さらに深い謎へと彼を引き込んでいく。
階段の先で待つものとは——
レイヴンの灰色の翼が、真の音を奏でる日が来るのか。夜はまだ深い。
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