第4話「δの徒桜」


ライブ当日。月華京亭はいつものように衣装をきて、ライブに挑もうとしている。本当はとても不安だとターシャには読み取れた。

「演奏、もしかしたらここあたりで最後になるかもー?」

「どうしますか、凛」

「アタシは……まだ決まってない。空が死んでから上手くいかない。空が笑ってくれたら、アタシはソレでよかったのに…」

「ライブが終わってから考えてみるのはいかがですの?」

「……そうしてみる。頼んだ、ターシャ」

「水無月凛さんの期待に応えられるように頑張りますわ」

ライブステージでは前回の事件もあって、不安な表情のファンが多かった。しかしバンドが始まるとソレが嘘だったかのように湧き上がる。

その湧き上がりを一目見た後、ターシャは外山と仮称:闔の手を引っ張った。


地下室。仮称:闔が発見した何も無い部屋。ターシャの予想が合っているのなら、ここに南十文字がいる。いや、予想というのは違う。確信だ。

ガチャリ、ドアノブを回す。ギィと蝶番の軋む音。扉の向こう。そこには神がいてもおかしくない空間が広がっていた。鳥の羽が散乱し、中心に魔法陣が描かれている。しかし、神と言っても聖なる神ではないことは見てわかるだろう。何せ全て血に塗れているのだから。鳥はそもそも先ほど殺されたのか羽は赤黒く、魔法陣は血で描かれている。その中央にはおかしな形をしたスピーカーらしきものが置かれていた。邪神でも呼ぶような状況だ。

「……邪魔者は殺したつもりだが…ワタクシの邪魔をする者がいたとは……」

魔法陣から少し離れた場所にいる南十文字は忌々しいと顔を盛大に歪める。

そして彼は指揮者のように手を挙げた。

「ふんぐるい むぐるうなふ」

呪文を唱え始めた。魔法陣は声にまるで反応するように淡い光を放ち、スピーカーっぽいものが微動し始める。

「みなさん、注意してくださいまし」

「分かってる。けど、俺の予想が正しいなら…出てくるぞ。スグルオの住人」

戦闘体制になった探索者達と南の間の空間が揺らいだ。それは、幻覚が現実になるかのごとく次第に形成されていく。妙に細くてヒョロリと長く、大きさは2mはあるだろう。青い鱗で覆われた皮膚。瞳のない、闇を持った瞳。こちらに伸ばした手の先の指はだらり、枝垂れ桜のように垂れ下がっていた。スグルオの住人は南十文字に従っているようだ。


ピリつく空気の中、真っ先に動いたのはスグルオの住人(以下スグルオ)だった。耳鳴りがする。アレが攻撃の合図かとターシャは理解した。スグルオの狙いは仮称:闔。音響攻撃を避けようと仮称:闔は走った。走った、のに。音響攻撃は仮称:闔を貫くように命中する。短く小さな悲鳴が上がった。バイオ装甲、仮称:闔の持つソレが無効化されている。その上、仮称:闔の経験が必中攻撃だと騒ぎ立てた。

「ターシャ様、外山さん。あの攻撃は必中で装甲貫通のようです」

「なあ、【被害を逸らす】は別か?」

「問題ないでしょう。では、反撃開始です」

仮称:闔は無防備に突っ立っている南十文字に左右の連続蹴りをお見舞いする。トドメに踵落としのおまけ付きだ。しかし、南十文字の体には傷ひとつ付かない。見えない壁が全て防いでいる。

外山は仮称:闔の台詞を思い出した。

「その【被害を逸らす】ですが、詳しくはダメージを魔力消費に換算する呪文です。いつでも発動可能かつ、弱点がありません。まあ彼方の世界に踏み入っているモノが習得している場合があるそうです」

外山も愛用している【被害を逸らす】は便利だが、敵に回ると随分と厄介なことになる。

「おい、ターシャ。【被害を逸らす】を使わせないように、魔力をゼロにしないといけないみたいだぞ」

「分かりましたわ」

外山は仮称:闔のように戦闘慣れしていない。南十文字が回避する意思がないおかげで拳が空回ることはなくとも、見えない壁に阻まれて攻撃が通りそうにもないようだ。ターシャも外山にならってお嬢様パンチを繰り出す。外山と同様に見えない壁に阻まれる。


スグルオがまた動き出した。狙いは外山。しかし、必中であっても【被害を逸らす】を覚えた外山にとってなんの脅威でもない。便利な呪文である。だからこそ、こうやって苦戦しているのだが。

「ターシャ様。【被害を逸らす】ですが壊せそうです」

仮称:闔が南十文字を一瞥するとフワリと蝶のように浮かび上がった。呪文といった不思議な力が働いているわけではない。仮称:闔の脚力と身体能力を利用して飛び上がっただけ。そのまま体を横にして回転し、遠心力のまま頭を蹴る。見えない壁が壊れた。アニメとかで見られそうな技を喰らった南十文字は少量ではあるが頭から血を流す。

「お時間がかかり、大変申し訳ありませんでした」

ぺこり。仮称:闔が一礼する。モノクルの飾りが揺れた。


「………仕方あるまい」

ポツリ、南十文字がつぶやく。彼はポケットから凶器を取り出した。ナイフだったらどれほど良かったことか。拳銃。人を一番殺している武器。外山は嫌な汗が流れてくるのが分かった。なにせ、ターシャが死にかけたきっかけも拳銃なのだから。

しかし南十文字はターシャにも、外山にも、仮称:闔にもそれを向けることはなかった。パンと乾いた音。スグルオに向けて拳銃を使ったのだ。

「……え?貴方の仲間ではないですの?」

「いいや、ワタクシの神、トルネンブラの召喚に必要な存在ですよ」

南十文字は不敵に口を三日月に歪めた。ターシャよりも歪な三日月だった。

外山がスグルオに殴りかかる。殴ったつもりだった。当たった感触はない。外山はすり抜けた、スグルオの体を。

「…は?」

「スグルオの住人の形態、音の姿です。物理攻撃は無効です。耳障りな音でなければスグルオの住人の行動を抑える事は不可能です」

「ずいぶんペラペラと喋るな」

「ええ。余裕がありますので」

南十文字は手を広げるようにあげて。

「いあ!いあ!とうねんぶら!!」

高らかに南が崇拝する神の名を叫ぶ。両手を上げ、血走った瞳はここではない何処かを写しているようだ。たった一拍、全てが止まり、無音になる。

指一本を動かすどころか息を吸って吐く事すら許され難い、ピアノの弦のように張り詰めた空気。そんな空気が圧縮されたかと思えば反動だと言わんばかりに大きく振動した。耳を塞ごうと鼓膜を破ろうと元々音が聞こえなくても、聞こえる音。不吉なソレが爆音で流される。張り詰めた空気はさらに張り詰める。己の命が脅かされていると脳が警鐘をガンガン鳴らすほどの純粋な恐怖。ソレの姿は見えない。しかし、ここにいるとわかる。その存在に圧倒されてしまう。生ける音の化身トルネンブラ召喚を目の当たりにしたターシャ達は動くことができなかった。

南の口が動く。探索者にその音は聞こえない。完全に彼は狂っていた。変わらぬ景色の中で探索者の心臓のBPMだけが早くなる。

「4分33秒」ジョン・ケージが作曲した演奏中に一度も音がしない無音の曲。南以外、誰一人動けず、ソレを聞かされている。「4分33秒」が終わると南が倒れた。張り詰めた空気が消え、南は大量の血を吐き出す。血の量からして生きていない事以外、何もわからない。

どうしてこんな事になったのか。どうして空は死ななくてはいけなかったのか。どうして、どうしてと疑問だけが踊っていた。




「大変申し訳ございませんでした」

「いえいえ。気にする必要はありませんよ」

アレから数日後の故人図書館。外山はめーちゃんに菓子折りを持って謝罪をしていた。勢いだけなら土下座しそうである。

「むしろ、わたしの攻撃を避ける人間がいたことに驚きました。それで、特別券を使用するのですね。」

外山は庚申からもらった特別券を手渡す。特別券の効果は死者の死因と生年月日だけでなく一生を時系列に事細かにまとめ上げたものを見る事ができることらしい。

『南十文字』と書かれた本を受け取る。

南十文字の生年月日と享年、家族構成をはじめとする資料が大量に出てきた。

ある日、トルネンブラに魅入られた事。

トルネンブラのいる場所に行こうと思っていたが、姪の才能を見て行くのは自分ではないと悟った事。

姪を手に入れるために交通事故で晦晏如の親をわざと殺した事。

姪のグループ全員を連れて行こうとしたが、一人だけ実力差がありすぎる者がいた事。

実力差、ソレも一人だけ劣っている。月食空は努力していたが、三人に届かないことに気づいていたのだろうか。

トルネンブラの従者であるスグルオの住人の言語を翻訳する機械を作り始めたこと。

月食空のアンチとして手紙を書いたり、嫌がらせをした事。

嫌がらせをしてやめなかったことに腹を立てて、ボイストレーナーにスグルオの住人を使って怪我をさせたこと。

だから、安西全一は青いトカゲを見たと言ってたのか。アァ。きっと、月食空は三人を僻んでいるのだろう。でなければ彼岸花なんて身につけるはずがないのだ。

それでもリーダーとしてやめなかった月食空を殺そうと思い、外堀を埋めるためにマネージャーに攻撃を仕掛けた事。

マネージャーが退院する日にライブハウスNEARで鉄骨を破壊し、自分のライブハウスに来るように細工した事。

月食空をスグルオの住人の音響攻撃で殺害した事。

トルネンブラを召喚したが、理不尽に殺された事。

「…………」

外山は庚申の台詞を思い出した。


「事実は小説より奇なりなんて言うアル。複数の事件に意外な接点とか…小さな出来事の裏に大きな事件とか…隠れてる事が有るアル。ソレは怖いアル。たかが数人の力で、どうこうなるモノではないからアル。それでも、ささやかな抵抗に酔ってみたいと言うなら。どうぞどうぞ、飛び込んで行けばいいアル。つまらないスリルなんか感じる前に、あっけなく捻り潰されてしまうのが関の山アル」


ヒーローが賭けに出しているのは、自分の命と相手の犠牲だ。外山はその賭けに乗ったものの、返ってきたのは自分の命だけ。

結局、外山もターシャと同じ穴の狢だったのだ。




後日談とはいい言葉である。どんな惨状があったとしてもその後を語ることが出来るのはありがたい。その後、ターシャ達は南が変死したと警察に連絡。警察曰く、臓器が圧迫して出血死したとのこと。

ターシャがソレを阻止しようとしても何も変わらなかった。何もしなくても結末が同じなら意味はあるのだろうか?考えたところで答えは出ないだろう。

探偵事務所にてそう思った。

「しかし、最悪でしたわね」

「何言ってるんですか?ターシャ様」

仮称:闔が新聞紙から顔を出す。

「The worst is not,So long as we can say,“This is the worst.”って以前、言いませんでしたか?」

ほら、とターシャに新聞の一面を指さす。

お悔やみ欄に書かれているのは月華京亭の三人の名前。

「最悪なんて簡単に底抜けるんですよ」

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南十字星は月華を手折れたか メアリー・スーサイド @kakikokakiko

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