第3話「γの椿堂は黒幕なのか」
依頼を受けたから五日目。ターシャ達は今度こそトラブルなしでライブを見せたいと言う空の希望によりライブチケットをもらった。ライブの席は最前で、特等席と言ってもいいだろう。月華京亭の笑顔と演奏をその身で味わう。楽しかろうとそうで無かろうと時間は平等に流れる。いよいよ最後の曲に入り、会場の盛り上がりはMAXといっていいほどだ。きっと、ターシャだけだろう。耳鳴りが聞こえた。
「……耳鳴り?」
まばたき一つの間も無く音が鳴る。銃声のような、風船が割れるような、パンと乾いた音。そして、どさりと何かが倒れこんでくる。空が観客席に二度も落ちてくるとは誰も思いはしなかっただろう。彼女の首から上が無いことも。それを皮切りに怒号、悲鳴、何処の誰かも分からないような叫び声が四方八方から探索者の鼓膜を突き刺す。香水の瓶を破ってしまった時みたいな強い臭いがする。でも花の匂いではない。鉄臭い血の臭い。そのくせ血は蛇口を捻ったかのように止めどなく溢れ出る。触れればサラサラと水のようだが、生暖かくて気持ち悪い。月華京亭の反応もそれぞれ違い、凛は倒れて、長閑は泣き崩れてその場にへたり込み、晏如はその場で吐いてしまった。最悪という言葉が良く似合う。
The worst is not,So long as we can say,“This is the worst.”
「これは最悪だ」と言える限り、最悪ではありません。『リア王』
それから誰かが呼んだ意味のない救急車が駆けつけた。ライブハウスはあの盛り上がりが夢だったみたいに静まりかえっている。もしかしたらこれが夢かもしれない。悪夢であることには変わりないが。結局月食空は変死として扱われることになりそうだ。オカルト界隈はきっとソレでしばらく話題になるだろう。人の死をオモチャにするとはこれいかに。そして、ひと段落ついたターシャ達は観客が帰った『Southern Cross』で会議をする予定だった。控え室でつんざくような声が上がった事により、それは中止になる。
控え室にいる月華京亭の面々はライブで着ていた着物を脱いで、完全にoffモードだ。
そして、水無月凛が晦晏如に掴みかかっている。朧月長閑はオロオロとして何かできる余裕はなさそうだ。
「お前の叔父さんがオーナーなんだろ?だから安全だって、お前が言ったんだ。なんでこんなことになってる?」
「自分には分かんないよぉー……」
温度のない震え声が、感情がぐちゃぐちゃに混ざって虚になってしまった目が、晦晏如を突き刺す。
「一発、殴らせろ!」
青筋を立てて泣きじゃくりながら凛は怒鳴った。殴りかかるように腕を振り上げる。いや、違う。完全に殴るつもりだ。そうでなければ虚になってしまった瞳は何も写さないのだ。
振り下ろした腕は空気を切り裂いただけだった。ペトンと情けない音を立てて晦晏如が仮称:闔の横に落ちる。朧月長閑も同様に門をくぐり、仮称:闔の横に落ちた。仮称:闔が【門の創造】を使用して二人を引き剥がしたのだろう。
「晦さん、朧月さん。貴方達をガオンモールの適当な場所に避難させます」
「え、あの」
数秒あるかないかの速度で詠唱を終わらせた仮称:闔は門の向こうへ二人を突き飛ばすように送り出した。ちなみに拒否権はない。
ようやく、水無月凛の瞳に誰かが映った。でも、目に光はない。
「……どうしてあんなことに?」
「俺達にも分からない。予想外だったんだ。水無月凛も、俺も、ターシャも、みんなそんなことになるなんて分からなかっただろ?」
「助手の外山には聞いてない。探偵ターシャにきいている」
「俺、助手じゃなくてただの医者……」
外山は水無月凛の行動に見覚えがあった。緊急外来の医者であるからこそ、救えない命を目にする事が多い。そして、失った命を目の当たりにして正気を失う親族や配偶者もいる。行き場の無い怒りや悲しみを医者にぶつけられるなんて事は、たいして珍しくも無いのだ。そして、水無月凛はその人達によく似ている。晦晏如の胸ぐらを掴むなんて事、普通はしない。だからこそ、ターシャが問題なく水無月凛を落ち着かせれば、なんとかなるはずだ。
「言ったぞ、空を守ってくれないか?って…」
「ごめんなさい、三日月さん。私もそのつもりでいたんですが」
水無月凛のリボンが外れる。どうやら、寿命だったようだ。月食空が送ったプレゼントが音もなく地面に落ちる。ポニーテールの髪が下ろされて、鎖が解き放たれたみたいに見えた。
「一つ、言いたいことがある」
獣の唸り声に近い低音。震える声。水無月凛は光のない目でターシャを見つめる。
外山は「アァ、ダメだコイツ」と心の中で思いっきりため息を吐いた。
安西全一の警告すら、忘れてしまっているというのか。最後の最後で盛大にやらかしてしまった。彼女はあまり人の名前を覚えられないのだ。覚える必要性を見出せていないだけかもしれないが。
「アタシの名前は水無月凛だ。三日月なんかじゃねぇんだよ!!」
水無月凛は解き放たれた獣のように叫んだ。
「ターシャだったか?お前に言っておきたいことがある」
安西の顔が凛々しくなる。それは入院患者のものではない。教育者、師匠、先生といった導く人の顔だ。
「人の名前をちゃんと覚えたほうがいい。人の名前を間違えると言う事はコミュニケーションでも悪手だ。その上、相手に向き合っていないという自己証明でもある。名前を間違えられて怒る人も多いからな」
ターシャはその発言を受け止める。受け止めたうえで、笑顔で言い放った。
「ごめんなさい。私、人の名前なんかより、知識を詰めていたいんですの。なにせ、私の憧れにして始まりのシャーロックホームズは「that a man should keep his little brain-attic stocked with all the furniture that he is likely to use, and the rest he can put away in the lumber-room of his library, where he can get it if he wants it.(人間の脳の物置は狭いのだから、使いそうな道具類だけちゃんとしまっておけばたくさんなのだ。ほかのものはみんな書斎のがらくた部屋に押しこんでおいて、必要のあるたび出して見ればよい)」とおっしゃるのですから。」
すー、はー、と息を吸って吐く音。どうやら安西全一が深呼吸していたようだ。
「………そうか。いつか後で泣く羽目になってもしれんぞ」
泣く羽目になるのはいつか後ではなかった。五日後だったのだ。
拳がぶつかる音。仮称:闔がターシャの前に盾のように仁王立ちしている。水無月凛が怒り狂った獣なら、仮称:闔は無慈悲な兵士だろう。水無月凛の蹴りを左手で軽く受け止める。仮称:闔からは特に水無月凛に攻撃する様子はない。最小限動かず主人を守る仮称:闔と怒り狂って周りを見れやしない水無月凛の戦いは仮称:闔が勝つように思われた。
「さぁ、そのまま押し切ってくださいまし」
ターシャはそう指示した。仮称:闔の名前は呼ばれない。ピクリと仮称:闔の滅多に動かない眉が下がる。ソレは、隙か、はたまた、珍しく表に出た感情か。少なくとも、ソレを水無月凛は見逃さない。
「邪魔、するな!」
左ストレートが仮称:闔の右頬に炸裂する。しかし、腐っても【人間の脳を使用した戦況を変える為の戦闘兵器】なのが仮称:闔。仮称:闔にはバイオ装甲という平たく言えば防御システムがある。事実として、東のナイフをポキンと情けない音をたてて折れたほどには頑丈なのだ。
しかし、外山の【被害を逸らす】の魔力がなくなるほどの威力を水無月凛は出した。ソレを怒り狂った状態で発揮すれば、どうなるか。
答えは単純。水無月凛は兵器だろうと平気で殺せるだろう。正気かどうかは別として。
仮称:闔の頭部がメキメキと嫌な音を立てて首から下とおさらばする。ボディーガードのもぎ取られたような頭は小さな子供でなくてもトラウマになるだろう。以前、人の頭をもぎ取ったことがある仮称:闔の頭がもぎ取られたようになるのだから、運命や因果というものは面白くできているようだ。もっとも、この場にいるターシャも外山も、面白くないが。
「南無三」と外山は手を合わせた。
「どうしますの?奇跡でも祈るしかありませんわ」
「Miracles rarely happen in your life.But if you want to witness one, you just have to take action.」
(人生なかなか奇跡はないな。でも見てみたいなら、やらなきゃな)
軌跡を辿れば、きっと奇跡は作れるはずだと思い込んで、外山がタバコを一本取り出す。
「誰かの受け売りですの?」
「アァ、たしか…月食空のTシャツに書いてあった。というわけで…作るぞ、奇跡」
外山は火も付いていないタバコを咥える。禁煙のポスターが貼ってあったのを見たからだろうか。
「作戦でもあるんですの?」
「そんなモンは無い」
ターシャは目を満月よりも真ん丸にした。外山はタバコをペン回しの要領でクルクルと回す。
「それじゃあ、どうするんですか?」
「ターシャ、謝罪しろ」
そうそうの何かが見えてしまいそうな気がしたが、ソレはともかくとして。外山の目は本気だ。
「泣く羽目になったって、そもそもお前が蒔いた種だろ」
関係ない、行け。気迫だけなら、水無月凛を超えた外山にターシャが勝てる見込みなど無く。ターシャは決意の証としてか、長い茶髪を三つ編みにまとめ上げた。そして、九十度体を曲げて謝罪する。
「水無月凛さん。申し訳ありませんでしたわ」
水無月凛は気にも止めず、ターシャの頬に拳があたる。しかし、大怪我ではない。ほとんど無傷だ。外山がある程度【被害を逸らす】でカバーしているらしい。水無月凛はもう一度拳を繰り出す。しかし、勢いは先ほどよりも落ちている。
「ーッ」
ターシャの頬が少し切れた。軽傷とは言え、痛いものは痛い。
小さな呻き声が水無月凛の鼓膜を震わせる。そして、水無月凛は糸が切れた人形のように力無く座り込む。
「……わかってる。頭が亡くなった状態で生きている人間なんかいないってこと。空が死んだってことも」
震える声に殺意はもう、無い。ターシャは切れたリボンを手に取った。
「ターシャ。依頼を一つ。空を殺したヤツを裁いてくれ。方法は何でもいい」
三つ編みを解く。代わりにターシャは切れたリボンで髪を縛り、ポニーテールにまとめ上げた。
一悶着ついた控え室にて。頭が取れた仮称:闔とポニーテールのターシャ、外山に気まずい顔をした水無月凛がこれからについて話し合うことになった。
「あー、ターシャ。言っておきたい事がある。っつても受け売りだけど」
「どうしましたの?外山さん」
外山がパチリとまばたきをする。ソレだよと言いながらタバコに火をつけた。
「名前は覚えて呼べ。シャーロック・ホームズは必要のあるたびに記憶や知識を出したんだろ?ちゃんと出せ」
「分かりましたわ。というより、泣く羽目になってしまったからには、同じミスをみすみす繰り返すわけがないじゃありませんか」
ターシャはそう言いながら、仮称:闔の項にある小さな穴にモバイルバッテリーの接続部分を挿し込む。
数分か、数時間か、はたまた数秒かは定かではないが、仮称:闔の頭がメキメキと生えてきた。もぎ取られた頭は灰になって消失していく。
「ぇえ…ソイツ、人間じゃないのか?」
「はい」
水無月凛が若干引き気味に仮称:闔を見る。外山はタバコを吸うだけで何もしない。無機質な赤い瞳は外山の方に向いていた。
「ところで外山さん」
「なんだ?」
「ここは禁煙ですと後ろにポスターがあるのですが」
「よし、故人図書館行ってくる」
故人図書館。庚申いわく、全ての死者の死因と生年月日をまとめ上げた図書館。大きな音を立てると「めーちゃん」にやられることを除けば、比較的安全な場所だ。
特別券を使う事で、死者の死因と生年月日だけでなく一生を時系列に事細かにまとめ上げたものを見る事ができるらしい。一枚につき一人というデメリットつきだが。
外山は月食空の変死になにか裏があると見た。特別券は気になったら使おう程度に月食空と書かれた本を探す。何冊目かは知らないが、ようやく見つけた。月食空と書かれた本。
生年月日から年齢が同じであり、本人であると分かる。ペラリとページを捲った。
『死因、スグルオの住人による音響攻撃。ソレによる頭部爆散』
スグルオの住人。その言葉に外山は聞き覚えがあいにく無い。【門の創造】の呪文を唱え始めた。
数分後、門ができたと同時刻。外山のスマホに電話の呼び出し音が鳴り響く。ひたり、何かが背後にやってきた。たしか、大きな音を立てると「めーちゃん」にやられる。外山の脳と体が警鐘を鳴らす。ここにいたら死んでしまうという強迫観念に等しい第六感。それは確かに事実で。鉤爪が見えない壁に阻まれる。【被害を逸らす】がなかったら、死んでいてもおかしくない。
「図書館ではお静かに」「すいませんでしたっ!!」
鉤爪をつけた三つ編みの女、めーちゃんが囁くと同時に外山は謝罪と共に脱兎のごとく門の向こうへ逃げた。
ターシャ探偵事務所。ターシャの仕事場であり、仮称:闔と初めて出会った場所である。
ターシャは大理石のテーブルに地図を広げて、紅茶を嗜んでいた。仮称:闔がオヤツのチーズケーキをテーブルに置く。
「チーズケーキです。ターシャ様」
「ありがとうございますわ。仮称:闔」
ニコリと仮称:闔が笑う。赤い赤い瞳にターシャが映る。瞳越しに月食空の最後が見えた気がした。気のせいということにしましょう。
紛らわすために意味もなく事件発生場所にバツ印をつける。意味はなかったはずだった。なにかに似ている。そのなにかは分からない。たしか、ハワイのリゾート地で見た…はず。
点と点を繋げる。線が二本、出来上がった。その線の交点はガオンモールを示している。特に意味はなさそうだと放っておく。物置のようにとっ散らかった脳内で、言葉を思い出す。
「ああそれで。実はワタクシ、月華京亭の演奏をお忍びで見に来ておりまして。まあ、ライブハウス『Southern Cross』の経営でワタクシの生活は成り立っておりますが。あの三人の和楽器演奏はとてつもなく素晴らしい。ずっと聞きたいくらいですよ。」
Southern Crossの意味は、南十字星。事件場所と重ね合わせても形はピッタリ一緒だ。
「お前の叔父さんがオーナーなんだろ?だから安全だって、お前が言ったんだ。なんでこんなことになってる?」
オーナーが殺したいが為に、自身のテリトリーに招き入れたとしたら。全て合点がいく。
ターシャは報告しようと外山に電話をかけた。ワンコールの後、転がり込むように外山が【門の創造】を使ってやってきた。
「あら、外山さん。犯人分かりましたわよ」
「アァ、奇遇だな、ターシャ。俺もだ」
「せっかくですので、せーので言ってみてはいかかですか?」
仮称:闔の提案にうなづき、二人はせーのと唱える。
南十文字ですわ」
「犯人は…
スグルオの住人だな」
「「え?」」
お互いの声が重なる。誰ソレ?と一文字に含まれていた。
「そもそも外山さん、スグルオの住人って誰ですの?」
「アァ、ソレについてだが…俺にも分からん」
「ターシャ様もですよ。南十文字って誰ですか?」
It is a capital mistake to theorize before one has data.
証拠もなしにあれこれ考えるのは大きな間違いである。
「要約すると、人の死因が分かる図書館で月食空の死因を調べた。そしたら、スグルオの住人による音響攻撃で死んだって出てきた」
チーズケーキ美味しいと外山が頬張る。ターシャはさすがお嬢様といった様子で優雅にチマチマチーズケーキを食べた。
仮称:闔は食べる必要性が無いと食べようとしない。
「私の方では、晦晏如の叔父がライブハウス『Southern Cross』の経営者とのことでして」
なるほどと外山がチーズケーキを嚥下する。外山の皿にはフォーク以外何もない。ターシャの皿も同様である。
「それでは、私がそれぞれ指示を出しますわ。私は晦晏如さんのところで話を聞きにいきますの。外山さんは水無月凛の方に。仮称:闔はライブハウス『Southern Cross』に侵入してくださいまし。ただし、女の姿でお願いしますわ」
「了解しました」
「おい待て、俺まだ働くのか?」
外山が納得いかないと声をあげる。
もともと、外山は依頼人のはず。それが仮称:闔に邪魔をされてターシャの怪我を治す為に四苦八苦して。ようやく終わったかと思えば依頼を断られ。酔った勢いと過ちでもう一度ターシャの助手と言われるほどタダ働きされる羽目になっているのだ。有給も残りわずかとなっている。
「The work is its own reward.」(仕事は私の報酬である)
「なるほど、俺に得はねーってことだな」
「…それで、どうして私が貴方と共にライブハウスに?」
怪訝な顔をした朧月長閑が、仮称:闔に質問する。
「ターシャ様曰く、貴方と共にライブハウス『Southern Cross』に侵入しろとのことです」
えーと朧月長閑がぼやいた。どうやら乗り気ではないようだ。
「別に気にする必要はありません。控え室に忘れ物をしたと言って従業員の目を引けばいいだけですので」
「嘘つくのは心苦しいのですが…」
「でしたら、貴方の所持品を一つ貸してください」
朧月長閑がおずおずと篠笛を渡した。仮称:闔がスマホを取り出す。早口で何かを唱える。【門の創造】を使用するようだ。
【門の創造】とはなにか。
【門の創造】は使うものを別の場所、別の次元、別の世界へ行かせてくれるな魔法であり、1つの「門」は、別のところにある1つの場所にだけ通じている…とのことらしい。
仮称:闔は、受け取った篠笛を控え室のロッカーに入れた。門が消える。
「それでは、時間稼ぎ。よろしくお願いします」
「……分かりました」
まっこと不服と顔に書いてある朧月長閑を無視するように仮称:闔はまたスマホに向き合った。
南十文字の専用部屋。テーブルとソファ、ゴミ箱があるだけの質素な場所。
大理石でできたテーブルには一冊の本がポツンと置かれている。仮称:闔は見覚えがあった。グラーキの黙示録。俗に言う禁書。きっと南十文字はこれを見て狂ったのだろう。あるいは狂ったからこれがあるのか。
ゴミ箱には紙ゴミと大量の小動物を飼ったレシートが混じっている。なにかの召喚の生贄といったところだろう。
ふかふかなソファに座る。大体こういうソファの隙間には何かが挟まっていることが多い。そもそも仮称:闔がターシャと出会うきっかけになったのも、メモ紙からだ。経験則から基づく行動は正解のようで、数枚のメモ書きを見つける。全部を繋ぎ合わせてみた。
『偶然見つけた本にとんでもないことが記されていた。
翻訳機を作ろう。才能がなくとも、何年かかろうとも、ワタクシが作るべき物だ。
完成した。しかし、ワタクシよりも姪の方がすばらしい。手中におさめよう。
コレは賞賛されるべきであり、紹介せねばならない。だが、周りの人間が邪魔だ。特に月食空。
ボイストレーナーを入院させた。少なくともしばらくボイストレーナーは休業するので、月食空も諦めてくれるだろう。
未だに月食空はやめそうにない。忌々しい。せっかくなので、ワタクシの手で辞めさせよう。ソレがいい。マネージャーも入院させよう。少なくとも、次のライブの時には退院するように調整して。
トルネンブラ。ワタクシの偉大なる神様。この世に顕現して、顕現して。いあ いあ』
「……狂ってる」
仮称:闔は小さく呟いた。外したモノクルの代わりに長い白髪がゆれた。ターシャと出会った時の自分もそんな髪型だったと思い出す。
「この謎を解いてくれませんか?」
自分が殺される事を知って。咄嗟に使った【門の創造】が導いたのはターシャ探偵事務所という場所。外山という依頼主がいたにもかかわらず、ターシャは自分を優先してくれた。非日常の向こう側に連れて行ってしまっても。マティーニ社の社員が発砲した拳銃で死にかけたとしても。ボディーガードとして雇ってくれた。居場所を作ってくれた。
外山が医者でよかったとつくづく思う。物言わぬ死体になりかけたターシャを救ったのは外山であった。彼はターシャの目をみて、なにかに怯えていたことが印象に残っている。
次はと、スタッフルームに足を運ぶ。男がいた。
確か、ターシャ曰くその男が南十文字。
「嗅ぎ回る鼠がいたとは…なんのようですか?」
圧というものを感じた。扉の向こうで鳴く鳥の声がうるさい。
「道に迷ってしまいまして。ここはどこだか知りませんか?」
男は笑った。貼り付けたようなコラージュの笑み。
「そうでしたか。案内しますよ」
【門の創造】があるので、きっとなんとかなるはずだ。軽く楽観的に見ていたが、それでも問題無かった。南十文字は幸い、何もしてこなかったから。
「………」
「………………」
水無月凛の家は沈黙に包まれている。なにせ、お互いの想い人(外山は多分遊びだが)月食空は死んでしまっている。死者が生き返ることはないため、余計に気まずい。
先に重い口を開いたのは、外山だった。
「……月食空を引き立たせる為にメンバーを集めたと聞いた。嘘だよな?」
「…いいや。月華京亭はアタシが空と一緒にライブするために作ったチームだ。メンバーは適当に埋め合わせでできてる」
「証拠は?」
「日記に当時のアタシの感想が書いてある。それ見て判断しろ」
水無月凛は軽く日記帳を外山に投げつけるように渡した。
某月丸日
空にバンドをやらないかと誘われた。あやうく、ボクシングサークルに入るところだった。もっと早く言え。せっかくなので太鼓だけでなく、ドラムをこの機に練習する。カメラは絶対にもっていこう。
某月角日
ドラムとボーカルだけでは味気ない。昔の顔馴染みを埋め合わせに使う。拒否権などない。やれ。しかし、全員着物を持っているとは思いもしなかった。和楽器をしてたとも聞いていない。偶然とはこのようなことを言うのだろう。
某月球日
空からプレゼントを貰った。リボンに菖蒲の耳飾り、まあ悪くない。あとグループ名が【月華京亭】になった。アタシは名前に関してはどうでもいい。空が笑っているならソレでいい。ソレがいい。
吉月晴日
初めてのライブ。アタシのドラムと空のボーカル以外、バンド要素ない。なんで和楽器で突っ切った。でも、空が笑顔だったから、成功したと思う。
吉月雨日
写真をアルバムで整理した。ああ、やっぱアタシは空が好きだな。空がいないとアタシは何もできていない気がする。これからもずっと一緒にいてほしい。
吉月曇日
空のいない月華京亭に意味はあるのだろうか。価値もない寄せ集めの集団に何ができるのだろう。
「……そうか。それじゃあ、俺はこれで」
「いいのか?アタシになんかしたいことがあるからきたんじゃないの」
外山は水無月凛の顔を見る。彼女の目の下に隈ができていた。
「そういう精神状態じゃないだろ。ちゃんと飯は食え」
水無月凛の返事も聞かずに外山は家を出た。
晦晏如の家。ターシャと晦晏如はロロジュナの時のようにティータイムをしながら話し合っていた。
「それで、晦さん」
「あ、ちゃんと名前覚えてくれたんだー。それで、なあにー?」
「南十文字さんの姪という事、家族関係について教えてくださいまし」
「わかったよー。南十文字は自分の叔父さんだよー。だけど、交通事故のせいで両親が亡くなってから自分の家族は叔父さんと亀のケマだけになったんだー」
ターシャは亀に視線を向ける。ペットの亀というのは本当らしく、亀のケマはあくびをしていた。なんとも可愛らしい。
「それと、もう一つ聞いておきたいことがありますわ」
晦晏如の目を逃がさないと言わんばかりに見ている。この視線から逃れたいのか、晦晏如は亀の方に顔を背けた。
「いいけどー。あんまりジロジロ見ないでほしいなー」
「失礼でしたね。申し訳ありませんわ」
「だいじょ「それでどうしてあの時、嘘をついたんですの?」」
だいじょぶとは言えなかった。晦晏如の目が見開かれる。持っていた器が手から滑り落ち、ガシャンと音を立ててわれた。
「探偵に嘘など真実も同じですわ。それに、私にはあなたの嘘の癖も理解しておりますもの」
そう言ったでしょうとターシャは笑う。無邪気な笑みが今となっては腹立たしい。
「本当は、南十文字さんが月食空を殺そうとしていた事…わかっていたんでしょう?」
「…………そうだよ。本当は全部知ってる」
ポツポツと晦晏如は喋り出す。拙い、幼い子供が自分の主張をするような喋り方。
「叔父さんが、空を死んでくれって思ってる事も、それで殺した事も、トルネンブラを呼ぼうとしてることも、自分は知ってる。でもでもでも、凛は、長閑は知らない。長閑はバカだから、分かんないかもしれないけど…」
震え声で、その瞳には涙が浮かんで、晦晏如は暗い顔している。突如、長閑に棘のある言い方をしたが、気にするような空気ではない。
「凛は、きっと怒る。でも、叔父さんを止められない。於菟さんに頼んだもん、次のライブキャンセルするって。もう解散するかもって。だけど、断られた。ねぇ、ターシャさん。自分はどうしたらいいの?もう、どうしていいか分かんないよ……」
ターシャはなんて声をかけるべきか分からなかった。
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