第3話 ナポレオンのタロット

 1738年、パリで穀物と種苗を扱う商人の家にエテイヤは生まれた。エテイヤとは彼の本名のAllietteのアルファベットの綴りを逆から読んだものである。本名をジャン=バプティスト・アリエッテといった。エテイヤは少年になると占いに興味を示すようになった。少年の彼は、当時パリで流行していたピケ・カードを肌身離さず持ち歩き、占いに興じ、知らず知らずに、その技術を磨いていったという。

 エテイヤの生まれる二十数年前にジェボーダン地方では最後のユグノーの反乱が起こった。反乱が鎮まった後も、この地方ではその余燼がくすぶっていた。このとき、得体の知れぬものが時代に胚胎するのを感じた農夫たちは「そのうち、もっとひどいことが起きるぞ」「大きな謀反が起きて、生首ゴロゴロさ」「人食い鬼が現れ、ヨーロッパ中の人間を何百万人も食らうだろう」と不安気に囁き合った。

 エテイヤが長じて種苗、後に版画を扱う商人になったころ、ジェボーダン地方では残虐で奇怪な事件が起こった。ジェボーダンのベート事件である。ベートとは獣、動物の意である。この謎の獣―ベートは数多くの子供と女性を襲い、切り刻み、その血を呑んだ。この事件に興味を示したルイ十五世は、ベートを退治するために、腕の立つ射手を二度に渡って派遣した。二度目に派遣された国王の鉄砲持ちと狩猟官たちが、それまでに彼らが見たこともないような巨大な一頭の灰色オオカミを仕留めた。彼らはこれをベートであるとし、仕留めたオオカミを剥製にし、国王へと送った。国王の鉄砲持ちはベート退治の名誉と賞金を手にし、家の紋章にベートの絵模様を入れることを特別に許可された。

 これによってベート事件は終結したかに思われた。だが、この後も、ジェボーダン地方ではベートの被害が続いた。だが、国王と宮廷はそれを無いものとして振舞った。国王たちにとって、ベート事件はすでに自分たちの派遣した射手によって終結させられているからというのだった。ベートを仕留めたという射手は民衆から詐欺師呼ばわりされた。事件が本当に収束したのは、それから二年後、猟師ジャン・シャステルが本物のベートを射殺したときだった。

 ベートの出現は、古代中国における凶獣の件のように、フランス絶対王政の滅亡とその後のヨーロッパの大戦乱を予兆するものであった。国王らも、市民の間に漂う不穏な空気を薄々と感じながら享楽に耽っていたに違いない。彼らは洪水が起きるのは、自分が死んだ後にしてくれと神に祈るだけであった。

 このころ、フランス絶対王政滅亡の予兆をカード占いで捉えていた男がパリにもう一人いた。

 エテイヤである。エテイヤはクール・ド・ジェブラン博士の魔術の本を入手すると、タロット・カード占いの研究に没頭し、後にフランスを襲う数々の争乱を予言した。間もなく革命が勃発すること、国王と王妃が処刑されること、数多くの人々が憂さ晴らしのように粛清されること、革命の混乱の中、一人の男が登場すること、最初人々は彼を救国の英雄として歓迎すること、しかし、彼の時代はヨーロッパのどの時代よりも夥しい死の時代になるであろうと。


 革命で混乱するパリで、ある一人の若いフランス軍将校が、一冊のタロットの予言書を手に入れた。エテイヤの予言の書である。エジプト学者でもあったそのフランス軍将校は、失われた古代エジプトの知恵が凝縮されているといわれるタロット・カードに興味を持っていた。その書には、革命後の混乱の中、一人の軍人が国家の権力を掌握すること、その後、ヨーロッパ大陸を支配するが、海は渡れぬこと、戦いには勝つが、史上最大の大遠征軍グラン・タルメエが大地に消え去ること、王が復古し、島流しになることが書かれてあった。

 このフランス軍将校とはナポレオンである。

 ナポレオンは、エジプトに遠征したとき、クフ王のピラミッドの内部に一人で入っていった。ナポレオンは、王の間にたどりつくと、その天井に自分の未来を示す幻視夢が映ったのをかいま見た。そこにあったものはエテイヤの予言の書に書かれたあったことと一致した。

 タロットとは王国の命運という意である。

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