第2話 逃亡の始まり

「ここは人間の住処なんだよ……アジダ人は今すぐでていけぇ!」

「……私はアジダ人ではない」

「うそつけ! その不吉なまでに真黒な服、悍ましい竜の牙の飾り! アジダ人の民族衣装だろうが! 仮面で隠しても俺は誤魔化されねえぞ。どうせその小奇麗な服も、俺達の金で買ったんだろ」

「……」


 心底辟易して、アリーゼは大仰にため息をついた。それほどの学があるのに、最低限の道徳は持ち合わせていないのか。


「アジダ人だけでなく少数民族への差別は憲兵に取り締まられるぞ」

「うるせえ! 元はといえば現王がお前ら異民族を引き入れたから、アイオライト王国はおかしくなっちまったんだ! 俺たちの仕事を横取りした、うすぎたねえハイエナ共が!」


 男は被害妄想に塗れた言論を捲し立てる。その声の大きさに野次馬達がわらわらと集まり始めた。皆その表情は暗く、中には男のようにアリーゼへの不快感を露にしている。


 ここ貧民街では、異民族だけでなく破産した者や凋落した者も多い。彼らは下水管理や葬儀関連の不人気な仕事を回され、それ故に心が荒んでいってしまう。


 誰が言ったか、『トアリフの掃きだめ』。そんな場所に異民族の、それなりに身なりの整った者が現れればこうなるのは必然だった。


(情報屋め……)


 こうなることを見越していただろう、腐れ縁の女の底意地の悪い笑顔を思い出し、アリーゼは群衆から離れようと足を踏み出した。


「待て、話は終わってねえ!」


 傷つけるために込められた強い力で、華奢な肩を捕まれる。


「有り金全部置いてけ、女──あ?」


 直後、男の体が宙を舞った。呆けた声を漏らした男は眼前に広がる光景に息をのんだ。

 あれ、どうして俺は空を見上げているのだろう──と。


「ぎゃふっ」


 そう思ったのも束の間。男は頭から地面に着地した。衝撃であっさりと意識を手放して動かなくなる。


「他には居るか」


 東方由来の武術で男を投げ飛ばしたアリーゼは、無感情な問いかけとともに野次馬を見渡した。目が合う者から順に俯き、距離をとっていく。

 民衆が引き下がるのを見届けてから、アリーゼは北に向かって歩き出した。


「も、もうすぐだ!」


 負け惜しみか、群衆に守られながら若い男が声を張り上げる。


「もうすぐで、俺達の国を取り戻す! 腐りきった王権を打破し、その庇護下のお前たちも処刑してやるからな! アイオライト人をなめるなよ!」


 勇ましい言葉を並べたてる青年に続いて、ちらほらと賛同の声が上がった。なんと醜悪で大層な野望だろうか。


(度し難いほどに、歪んでいるな……)


 それについて指摘する気も起きないので、アリーゼは罵倒や野次を背中に浴びながら通りを抜けていった。

 

 散々な目にあったと頭を掻きながら、アリーゼは目的地の丘の上に辿り着く。かつてフェリシアとも来たことのある花畑が、遠くに広がっていた。


 振り向いた眼下には王都が広がり、家々も、教会も、王城すらも遠く小さい。

 花を踏んではいけないと、少し離れた場所に寂しげに立つ一本杉に寄りかかりながら、アリーゼは二度とこの国には来まいと決意した。


(私が住んでいた十年前は、もっと活気があったけどな……)


 当時も差別の視線や言葉が浴びせられたが、それをやるのは基本的に個人だった。中には殴られるアリーゼを助けてくれるアイオライト人も居た。


 それだけ、今のアイオライト王国には余裕がないのだろう。食糧難や他国とのいざこざ、果ては『魔界』関連の災害がここ数年で立て続けに起きたと風の噂で聞いている。


 故に人々は疲弊し、悪者を作り上げて自分達に都合のいい思想に逃げている。今は革命派の声だけが大きく、活気のないトアリフではそれが酷く浮いていた。


「これで依頼人が反少数民族の人間だったら堪らないな」


 独り言を呟きながら、アリーゼは旅の準備を始める。依頼人と落ち合ったらすぐ出発できるように。そして、依頼人が好ましくなかったら即座に逃亡できるように。


「ポコ、箱一つと鞍を二つ出して」

「グエ」


 廃屋でしたのと同じように小鐘を鳴らす。出てきた小型の竜は一鳴きしてその口をがぱっと限界まで開けた。

 吐き出されるのは、絶対にその体には入らないだろうという人一人分の丈夫な木箱と、二人分の鞍だ。


「ありがとう」

「グエ」


 いぶし銀な印象を受ける短い返事をして、ポコはまた鐘の中へと入っていった。

 次いでアリーゼは懐から小さな弦楽器を取り出し、その三本の弦を指で鳴らす。ポロロンと物悲しい音が響くと同時にその弦楽器から一頭の竜が元気な鳴き声と共に現れた。


「クルルア!」

「今日もよろしく、アレグロ」


 現れた暗褐色の鱗を持つ四足歩行の竜──アレグロの頭を撫でながら、アリーゼは微かに笑った。


「クルルゥ?」

「出発はまだだよ。今日はお客さんがいるから」

「クルルルア!」

「えっ……もう、しょうがないなあ。待ってるまで暇だし、いいよ」


 上機嫌な竜に、アリーゼは肩をすくめて見せる。

 彼女アレグロは演奏をご所望だった。


 第三者が見たら目をひんむく『竜との対話』。それを当然のようにこなしながら、アリーゼはアレグロが入っていた弦楽器を構えて草の上に座った。


 奏でるのは、アジダ人に伝わる伝統的な民族楽曲。風に乗り、小さな音色は王都の空へと響き渡っていった。


 

「この曲は……?」


 丘を登っていた少女は、頂上から響いてくる音色に気付いた。王都で流行っている交響曲や吟遊詩人の演奏とは違う、牧歌的で温もりのある曲だ。


「きれいな音……」


 顔が見えないように目深にかぶったフードの中で思わず口元が綻ぶ。いつまでも聴いていたいと、そう思えるほどにこの演奏は素晴らしい。さぞや音楽に精通した御仁なのだろうと彼女は考える。


「で、でも困るわね。ここは待ち合わせの場所なのに……無関係の人に見られたら……」


 ひどく残念だが、奏者には演奏を中止してもらって、しばらくの間ここを離れてもらうように頼もう、そうしよう。

 そう結論づけた少女はよし、と両拳を握って丘の頂上に登った。


 一陣の風が吹いた。


 風に攫われて浮かび上がった純白の花びらが、この瞬間を祝福するかのように舞い踊る。

 聞きなれない聞き心地のいい音に合わせ、小鳥のさえずりが響き渡る。

 曇天の隙間から、いくつもの陽の光が降り注いだ。

 幻想的な風景の中、彼女は小さく目を見開いた。

 目の前の立つ人物が、この素敵な楽曲の担い手が、予想外の人物だったから。


「アジダ人……」


 特徴的な黒い外套のような民族衣装。両耳と首元につけている竜牙の装飾品。そばに控えるのは、相棒たる竜。話には聞いていたが、大陸西方では珍しい竜操者ドラグナーが本当に現れるとは思っていなかった。

 日の光を受けて煌めく烏の濡れ羽色の髪。すらりと長い背丈と手足。服の合間から見える小麦色の肌。竜の蹄の模様が描かれた仮面の下には、きっと琥珀のような瞳が眠っているだろう。


「アルと、同じ……」


 目の前の人物を凝視しながら少女は──アイオライト王国第一王女、フェリシア・ド・トアリフは懐かしい少年の顔を思い出した。

 もしかして、アル本人なのではないかと淡い期待を抱きながら。

 フェリシアが呆けていると、彼女に気づいたアジダ人の──男性か女性かはわからない──奏者は演奏をやめて立ち上がった。


「……『一つの目には』?」

「……? ──あっ、『百の言葉』!」

「……依頼主の方で間違いないようですね」


 父から教わった合言葉で、二人は目的の人物を確認しあった。フェリシアが──正式には彼女の父親が──依頼人で、目の前のアジダ人が雇われた『運び屋』であると。

 女性の方だった……と若干落胆しながらフェリシアはこくこくと頷く。


「私は今回依頼された運び屋、アリーゼ・ドラローシュです」

「よろしく、アリーゼ。私は……ごめんなさい、名前は教えることはできなくて」

「いえ、それでは便宜上『お嬢様』とでも呼ばせてください」

「わかったわ」


 冷めきったアリーゼの態度に緊張しながらフェリシアは頷いた。


「では早速出発しましょうか」

「え、もう?」

「ええ。思っていた以上にこの国にはきな臭い何かがあります。さっさと発ってしまったほうが得策です」

「っ……そう、よね……」


 彼女の言葉にフェリシアは俯いた。


 いつの間にか大きく広がっていた革命の思想。今やそれは哲学や倫理を踏みつぶして単なる暴力になりつつある。

 いつから、この国の人々はこんなにも他者を攻撃したがるようになってしまったのだろうか。父達は、身内のひいき目を抜きに国民に尽くしていたはずなのに。


『フェリス──フェリシア。お前を守りきれなかった父を許しておくれ。信頼できる伝手にお前の亡命を頼んである。ユリアル共和国に逃げ込めば、きっと大丈夫だ』

『可愛いフェリシア。貴方はどうか生きてちょうだい』

『王女殿下、このペンダントを私だと思ってお持ちください。貴方様の平穏と無事を心より祈っております』

『お嬢様、私はお嬢さまのお世話係になれたことを、光栄に思っております』


 思い出すのは、王城を出る間際にかけられた別れの言葉。父も母も、信頼していた配下もみな、フェリシアに思いを託した。

 今も気を抜けば、彼らの居る城に足が向きそうになる。


「──何か、思い残すことがあるのですか?」


 憂慮に沈んでいると、アリーゼが問う。はっと首を振って、フェリシアはフードの奥でぎこちない笑みを浮かべた。


「いえ……ただ、この国の未来が明るいものであってほしいと」

「……お優しいことですね」


 運び屋の言葉には、皮肉が込められていた。しかし、それに怒る資格をフェリシアは持ち合わせていない。

 何故ならフェリシアは、沈みゆく船から一人だけ脱出するのだから。


「準備ができました。この子にお乗りください」

「あ、はいっ!」


 アリーゼがこの子、と言ったのは彼女のそばに控える『風脚竜トラベルドラゴン』と呼ばれる『逸話級エピソード』のドラゴンだった。

 文献で読んだ通り赤黒い鱗と逞しい四足を持っていて、大人が五人は乗れそうな巨躯を誇っている。

 あの後ろの木箱はなんだろう? と疑問に思いながら。


「そ、それじゃあ失礼して……」


 フェリシアは運び屋の言う通り竜に取り付けられた二つの鞍の後ろの物に乗ろうとして──


「ああ、すみません。最初はこっちです」

「──へ?」


 アジダ人の女性に、巨大な箱を指定されて固まった。

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