第3話 再会
「──止まれ、竜使い。検問だ」
「ああ、はい」
トアリフ北方の大門。アレグロにまたがって運ばれていたアリーゼは門番に声をかけられた。
「
「北の街を介して、隣国へ」
「なるほど……顔を見せろ」
「……」
門番の男に言われ、アリーゼは大人しく仮面を外す。すると、青年の顔があからさまに強張った。
「アジダ人……!」
不吉な漆黒の髪、土色の肌、爬虫類のような黄色くて縦長の瞳孔の目。祖先はトカゲとヒトの相の子と揶揄されるアジダ人の相貌に。
「これでよろしいですか?」
「あっ、ああ良い! くそ、嫌なものをみちまった」
(こっちも嫌な気分にされたよ)
ぶつぶつと文句を垂れる門番に嘆息しながら、アリーゼは仮面を付け直す。
「いや、待て。その後ろの箱はなんだ?」
「食糧ですよ」
「そんなにか?」
疑り深い性格のようだ。青年はジロジロと箱を見て首をかしげる。
「私だけでなく、この子にもご飯をあげないといけないので」
「クルルア!」
「わっ……なるほど、そういうことか。良し通れ! 二度と帰ってくるなよ」
アレグロがぶんぶんと尻尾を振り回して、それに驚き仰け反った門番は苦し紛れの悪態をつきながら通行の許可を出した。
「はいはい」
取り合う気も起きず、アリーゼは粛々とアレグロを操り、巨大な門から街の外に出た。
──トアリフを出てから十数分。
主要街道から外れた低木が立ち並ぶ人気の無い場所で、木箱が降ろされ蓋が開けられる。
暗闇に差し込んだ光にフェリシアが目を細めていると、運び屋の手が差し伸べられる。
「お疲れ様です、お嬢様。もう出てきて大丈夫ですよ」
「え、ええ……」
憔悴しながらもフェリシアはアリーゼの手を取って、箱の外に出た。
まず目に飛び込んできたのは、遠くに流れる大河だった。王国北部を流れるアイル河だ。その周りには田畑が広がり、遥か東方には北の隣国に向かうための国道が走っている。
(ああ、これから本当に旅が始まるんだ……)
基本的に王城暮らしで、街にでたことさえ殆どないフェリシアの前に突如現れた広大な景色。それを目の当たりにしたフェリシアの心が沸き立ち、冒険への好奇心で胸が膨らむ──ことは残念ながら無かった。
「お嬢様? 顔色がよくないようですが……」
「いえ、ごめんなさい。昔人攫いに遭って、その時木箱に閉じ込められたことがあったの……それで、暗くて狭い場所がちょっと苦手で」
あれは十年前。遊びに出掛けたフェリシアは悪漢達につかまってしまった。助けが来るかもわからない小さな箱の中で、フェリシアは不安と後悔でずっと泣いていた。
「それは……申し訳ございません。最初に尋ねておくべきでした。高貴な身分のご子息であれば、そういった経験の可能性を真っ先に考慮すべきだったのに……」
「ううん、大丈夫。ちょっと怖かっただけだから。それに、誘拐された後は大好きな男の子が助けに来てくれたから」
深々と頭を下げるアリーゼにフェリシアは苦笑を返す。どこか壁はあるが、きっと根は優しい人なのだろう、と誠意の伝わってくる謝罪からフェリシアは彼女の人となりを感じた。
そして彼女に壁があるのは、自分がアイオライト人であるからだ、とフェリシアは表情を曇らせる。
「私こそ、ごめんなさい……先ほどの門番の態度は、人に対してしていいものではなかった」
「ああ、いえ。それはもう慣れてますので。さあ、今度こそアレグロにお乗りください」
本当に慣れているのだろう。当たり前のようにフェリシアの謝罪を受け流した運び屋は、後方の鞍を指した。
(ああ──本当に、愚かなこと)
特徴が違うだけで、同じ人間を差別し、排斥するなんんて。父の政策が進んだここ数年は、その差別意識も薄れてきたと思っていたのに。
アリーゼに言われるままに鞍にまたがって、フェリシアは憂いの息を吐いた。
「不安でしたら、私に掴まっていてください。回りくどいですが、これから南西に広がる森を通り抜けます。少し速度を上げますので」
フェリシアの後に続いて軽やかに
「あ、じゃ、じゃあ……よろしくお願いします」
何故だか若干緊張しながら、フェリシアは彼女の細い腰に手を回した。
「それでは、行きましょう」
御者となった運び屋が縄を鳴らすと、竜が「クルルア」と嘶きその太い脚を動かし始める。その速度はだんだんと増していき、やがて馬と同じぐらいにまで加速する。
「わぁ……」
風と一体になる感覚に、フェリシアは先ほどまでの暗い気持を忘れて瞳を輝かせた。
速い、速い、速い。目の前にあった木が横へ、そして後ろへと流れていく。
「すごい……これが、
「お気に召しましたか?」
「ええ、とっても!」
前を向いたままのアリーゼに尋ねられ、フェリシアは心の底から笑顔を浮かべた。
南西に歩き始めて、二時間ほど。
『アトラス樹』と呼ばれる百m(メテオ)を優に超える大樹の根元に出来上がった洞で、一行は停止した。日は地平線の陰に隠れはじめ、世界が茜色に染まり始めている。
「今日はここに泊まります」
「ええ」
アリーゼの言葉に頷いたフェリシアは当たりをきょろきょろと見回して、首を傾げた。
「……あの、泊まるための道具とかって……?」
「ご安心ください」
彼女は頷きながら何故か小さな鐘を取り出した。それを鳴らすこと、二回。
高音とともに小さな黄土色の生き物が飛び出してきた。二つの球体をくっつけたようなずんぐりむっくりした体つきで、脚はとても短い。瞳には白い膜のようなものがかかっていて、まるで眠っているかのようだった。
その特徴的な見た目の正体に思い当たったフェリシアは、驚愕の声を上げた。
「これは……! 『
「さすがは貴族様。博識ですね」
なんだか皮肉が込められているような気がしたが、そんなことはどうだっていい。
目の前の小さな蛙みたいな生物は、れっきとしたドラゴンだ。貧弱そうな見た目とは裏腹に、『
希少性もさることながら、特筆すべきはその能力。
「ポコ。二人分の寝具を」
「グエ」
文献の説明通りに、ポコと呼ばれた小さな竜は自分の身の丈の数倍はある寝袋を二つ吐き出した。圧巻の光景にフェリシアは言葉を失う。
「すごい……荷物が極端に少ないのは、この子が居るからなのね」
「ええ。彼女と出会ってからは旅がうんと楽になりましたよ。それまではアレグロに全部運んでもらっていましたから」
「クルルウ……」
アレグロが「そうそう、あれは重かった……」とげんなりした様子で樹洞の入り口近くに寝そべった。
「すごい……本当に」
「褒められてるよ、よかったね、ポコ」
「グエ?」
よくわからない様子で頭をかしげるポコ。そんな彼女を見下ろすアジダ人の褐色の手をフェリシアはがっと掴んだ。
「ポコも凄いけど……アリーゼも同じぐらいにすごいわ!」
「……へ?」
突然何を言い出すのかと、運び屋が困惑の声を漏らす。そんな彼女を見つめるフェリシアの宝石のように輝く瞳。
「アリーゼ、歳はいくつ?」
「こ、今年で十七ですが……」
「やっぱり、私と同じ! 近いと思っていたけど、同じだなんて! その若さで、二頭も竜を従えているんでしょう!? すごいったらないわ!」
竜を従えるのは非常に難しい。プライドが高く、調教するのも困難である。その反面、一度主と認めた者には従順になるが、さらに厄介なことに別の竜が同じ主を慕うのは許さない。早い話が、独り占めしたがるのだ。
そんな竜の間を取り持ち、喧嘩もさせずに従えるのは熟練の
歴史を紐解けば、四頭を従えた
閑話休題。
とにかく、目の前の少女は弱冠十七歳にして一流の
「貴方なら、もしかしたら三頭目の竜を手なずけることだって──!」
「お褒めいただき、光栄です。ですが、そんな大げさなものではありません。たまたま気性の荒くない竜に出会って、たまたま彼女達の仲が良くなっただけですよ」
興奮するフェリシアを宥めながら、運び屋は「夕飯にしましょう」と背を向けた。
(はぐらかされた……?)
その背中を見ながら、フェリシアは行き場のなくなった手をしばらく宙に置いていた。
「──そう言えば。誘拐犯に攫われたあとに男の子が助けてくれたと言っていましたね」
それは夕飯後のティータイム。竜を二頭も手なずけるアリーゼのことを詮索したがるフードの貴族の意識をそらすために出した、なんてことのない雑談の種だった。
「十年前というと、七歳かそこらでしょう? その男の子というのは、年上だったのですか?」
「いえ、同い年だったわ。とっても強くて、勇敢だった……」
まるで物語のような話に興味が沸いて、アリーゼは少女にその日のことを尋ねた。
「へえ……七歳で大人達と渡り合うのは凄いですね」
「ええ……その子は、貧民街に住むアジダ人だったの。とっても可愛くて強い竜を連れていた……」
(ん?)
違和感を覚えた。違和感というより既視感だ。
ここで止めておけば、と未来のアリーゼは後悔に頭を抱える。
「私は彼と……ほんの一か月だけだけど一緒に遊んで、色々な時間を共有して……」
十年前、貧民街、一か月、そしてアジダ人。その話には、とてつもない既視感があった。
食後に用意したハーブティーの入ったカップがカチャカチャと揺れる。
「そ、その少年の名前とかって……」
よせばいいのに、そんな質問をアリーゼは投げた。
「ああ、それは──」
目の前の少女は瞳を潤ませながら、初恋の少年の名前を口にする──
「──アルっていうの!」
言うの──いうの──うの──
フェリシアの元気な声が木々に木霊する。
そして、その答えにアリーゼは悟った──今の自分が置かれた数奇な状況に関する全てを。
(──こんな……こんなことって、あるのか……!?)
思わず空を仰いだアリーゼ。なんて綺麗な星空だろう。そんな益体のないことを考える。
(アル。アル、アル! アルだって!?)
それはかつて自分が名乗っていた名前だ。ただでさえアジダ人は舐められ嫌われるのに、女であるアリーゼは更にその身に危険が起きやすい。
だから、かつてのアリーゼは男の──少年のフリをしていた。人に舐められないように、世界に負けないように。
自分をアルと名乗り、男口調で人々と会話していた日々。幼いフェリシアとは、その最中に出会った。
(じゃあ、じゃあ──目の前の貴族は、フェリシア!? アイオライト王国第一王女、フェリシア・ド・トアリフ!?)
未だに熱を込めながら在りし日の思い出を語るフェリシアを、仮面の下から凝視する。なんという偶然、なんという因果。正直こんな形では再会したくなかった。
(というか私は、フェリシアになんて酷い態度を……ッ!)
皮肉を浴びせたり、トラウマとなった木箱に閉じ込めたり……何回死んでも贖えない大罪だ。知らなかった、では済まされない。
「運び屋さん?」
突如固まったアリーゼに、フェリシアが伺うために声をかける。その声にはっと我に返ったアリーゼは、稲光の速度で頭を下げた。アイオライト王国で最も謝意の高いとされる九十度の角度で。
「ええ!?」
フェリシアの驚く声が頭上から聞こえてくるが、そんなのはどうでもいい。
「今までのご無礼を、お許しください……!」
「え、えっと、なんで私、謝られてるの……?」
フェリシアからすればアリーゼの謝罪は奇行以外のなにものでもない。
どうして彼女はいきなり頭を下げたのか、その理由を考えるうちにフェリシアは一つの推測に思い至り、はっと目を見開いた。
「もしかしてアリーゼ、私の正体に──!」
フェリシアが自分の正体が発覚してしまったのではないか──と慌てて立ち上がったその時。
いたずらな風が吹いた。
「あ」
「え?」
アリーゼが目を剥く。フェリシアが呆ける。
悪戯な夜風は、フェリシアの顔を隠していたフードを、そしてその外套を彼女が抑える間もなくきれいに剥ぎ取っていった。
月に照らされながら露になるのは、絶世の美少女。
正統なるアイオライト人と群衆が喝采する純銀の髪と瞳に、すらりと通った鼻梁と桃色の形のいい唇。外套の下に隠されていた、外行き用の貴族服では隠し切れない豊満な胸とくびれた腰回りは、同性のアリーゼからしても生唾を飲み込むほどに艶やかだ。肉付きのいい臀部と、なのにすらりとした足は、美の完全調和だと言えるだろう。
そして、赤子のように白く滑らかな肌は──やがて見る見るうちに赤く染まっていった。
「──えと、あの」
「その……フェリシア王女様……ですよね?」
「はい……」
本当はもう少し前から分かっていたのだが、アリーゼが確認するとフェリシアは観念したように頷いた。
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