第1話 アイオライト王国の終わり

「いやな天気ね……洗濯物は干さないほうがいいかしら」

 空を見上げた、西方特有の白肌と金髪の女性は呟いた。


「まるで、天がこの国の行く末を憂いているようだ」

 酒に溺れた青年が嘆いた。


「大いなる主が、人間のために空模様を変えるわけがなかろう」

 嗤うように、無神論者が鼻を鳴らした。

 それらのどれでもない少女は、無言で歩を進め続けた。


 ──革命の灯火が街中に蔓延っている。


 今現在のアイオライト王国王都トアリフとはそういう街だ。雑踏を掻き分けながら市場を歩くアリーゼ・ドラローシュは仮面の下で唇を引き結んだ。


 リン、と左腕につけた鈴が鳴る。

「税で私腹を肥やす貴族達を許すな!」「悪政を敷く王に罰を!」「人民に平等を!」


 シュプレヒコールの嵐に嫌気がさしてアリーゼは路地裏に逃げ込んだ。


「……全く、傍迷惑な思想があるものだ」


 ぼやきながら、アリーゼは先ほど恰幅のいい婦人に押し付けられたビラを眺める。そこには通りで叫んでいた集団の言葉と似たような内容がびっしりと書かれていた。思わず「うっ」と声を漏らしてしまう。


 昨今、リントヴルム大陸西方では民主主義運動が盛んになっている。その中でもアイオライト王国はその傾向が顕著だ。


 王城には日夜群衆がおしかけ、闇市では戦闘用の魔道具が売買されている。先日も、貴族の館が襲撃された。


 武力による革命が、目と鼻の先にまで迫っている。

 とんでもない時期に戻ってきてしまったな、とアリーゼはビラを丸めて路地裏に捨てた。


「──けど、違和感は拭えないな」


 アイオライト王国王家のトアリフ家は、代々善政を続けてきた。税率も低く、公共の場への出資も惜しまない。他国が侵略してこようものなら軍人貴族が先頭に立って戦場を駆ける。ここまで民を思う王国など珍しいと世界を旅してきたアリーゼは考える。


 何か、特別な意思が人々に働きかけているようにも思うが──


(関係ないか。私には)


 王族貴族でもなければ、この国の住人でもない。そもそも、表通りから聞こえる『人民』にアリーゼは含まれてもいないのだから。


 自嘲で顔をゆがめながら、アリーゼは再び路地裏を歩き始めた。リン、リンと足跡代わりに鈴の音を残しながら。

 

 路地裏を歩き、そこにもいた革命の戦士達にビラを押し付けられること数回。アリーゼは王都郊外にある貧民街に足を踏み入れた。


「すみません、花を買ってくれませんか?」


 途端に足元から声をかけられ、アリーゼは仮面の下で眉根を寄せる。

 声をかけてきたのはやせ細った少女だ。ぼろ布と見紛うような汚れた衣服に身を包み、小さなその手には萎れた花が握られている。


「……生憎持ち合わせがないんだ。これで我慢してくれ」


 よくないと思いつつも、過去の自分と目の前の少女を重ねてしまったアリーゼは外套のポケットから焼き菓子を取り出して、花と交換する形で少女の手に握らせた。


「──あ、ありがとうございます!」


 少女にとっては小銭よりもよっぽど価値のある物だったのだろう。彼女はパァっと表情を輝かせ、笑顔のままどこかへ駆けていった。


『──随分とお優しいじゃないカ』


 そんな少女の背を眺めていると、肩の辺りから声が響いた。

 視線を向けると、アリーゼの肩に『モノクロウ』という単眼のカラスがとまっていた。カラスはからかうようにその巨大な一つ目を細める。


「こんな不安定な場所に呼ぶな。仕事の詳しい話は?」

『最初に言った通リ、お前には亡命の手助けをしてもらいたイ』


 仕事仲間である情報屋の使い魔は、人の言葉を話しながらアリーゼの肩から飛び立った。ついてこい、とその小さな体が言っている。


 モノクロウに案内されて入ったのは、誰もいない空き家だった。


『その箱の中に前払い分の報酬が入っていル』


 隅にある木箱を開けると、確かに巨大な麻袋が入っていた。抱えてみるとかなりの重量だった。覗き見ると、煌びやかな宝石たちが瞳を刺激する。


「……こんなに?」

『歴代屈指の上客サ。やる気が出るだろウ?』

「……まあね」


 頷きながら、アリーゼは懐からベルを取り出して鳴らした。カランカランと高音が響くと同時に、小さな鐘から黄土色の生き物が現れる。


「グエ」


 カエルのような声を上げた小さな球体に、アリーゼは袋を差し出した。


「ポコ、お願い」

「グエ」


 ポコと呼ばれた生物はガパっと口を大きく開けると、金銀財宝の詰まった袋をあっという間に飲み込んだ。役目は終わったと言わんばかりにため息をついて再びベルの中に入っていく。


「それで、詳しい話は?」

『と言ってモ、事前に話したことと大して変わらないんだよナ。革命間近のここアイオライト王国からユリアル共和国に亡命したいって人を送り届けル。それ以上でも以下でもなイ』

「警護もかねて、ってこと」

『その通りダ。依頼人曰ク、狙われる可能性がかなり高いらしイ。それを踏まえた上でのルート選びを頼むゾ、「運び屋アリーゼ」』


 穴の開いた屋根から差し込む陽光を浴びながら、モノクロウはアリーゼの言葉に頷く。


「話を聞く限り、依頼主はそれなりの身分の人みたいだけど。私の人種についてはちゃんと説明はしてあるの?」

『そう心配するなっテ、アジダ人』

「……」


 はぐらかすように真っ黒な羽をばたつかせるモノクロウ。焼き鳥にしてやろうかとアリーゼは仮面の下で目を眇めた。


「私がアジダ人であると知って、依頼主がキャンセルしても、それはこちらの責任にはならないだろうね?」

『差別意識も自分の命の前では霞むと思うけどナ。まあそうなったらそうなったデ、置いていけばいいサ。報酬のもう半分は無しになるけどナ』

「そう、わかった」


 ため息交じりに会話を終わらせ、アリーゼはモノクロウに背を向ける。


『──大丈夫ダ。十中八九、お前の思っているようにはならなイ』


 そんな彼女の耳に、単眼烏の鳴き声が響いた。


 不愉快なモノクロウを置いて、アリーゼは廃屋を後にする。依頼人との待ち合わせ場所である王都北部の丘を目指して歩き始めた。


(ここに来ると、昔を思い出すな……)


 歩いているうちに、アリーゼの記憶は過去へと引きずられていった。

 

 十年前、アリーゼは家族と共にこのトアリフに住んでいた。もう取り壊されてしまっていたが、家は貧民街の奥地にあるあばら屋だった。


 被差別民族であるアリーゼ達はまともな職に就けず、常に飢えと渇きとの戦いの日々を送っていた。人々から浴びせられる視線は痛いほどに嫌悪と忌避に満ちていた。決して、良い思い出だったとは言えない。


 それでも、彼女の中にこの街に対する懐かしさがあるのは、ここで親しくなった一人の少女が居たからだ。


 フェリシア・ド・トアリフ。この国の第一王女。


 なんの偶然か、姫君と知り合ったアリーゼは、一か月ほど彼女と遊んですごした。貧民街を駆け、何の肉を使っているかもわからない串焼きを分け合い、休めば体が痛くなる魔法の布団で昼寝をした。


『アル、今日は花冠を作りに行きましょう? 良いお花畑を知ってるの!』

『アルとフォルテがいれば、私は安心安全よね!』

『アルってやっぱりすごい! 私、将来はアルと結婚したい!』


 瞳を閉じればまるで昨日のことのように思い出せる、フェリシアの無邪気な笑顔。

 フェリシアと過ごした日々は、困難と傷痍にまみれたアリーゼの生涯の中で決して色褪せることなく輝き続けた、大切な思い出だ。


 ふと立ち止まり、アリーゼは王城を見上げる。


(どうか君だけは、無事であってくれ)


 もう今になっては再会することは叶わないけれど、きっと彼女は自分のことなど忘れているだろうけれど、それでもあの天真爛漫な笑顔は失われてほしくないと、アリーゼは心の底から思った。


「──なんだあ? トカゲが人の服を着てるじゃねえか」


 感傷に浸るアリーゼの背中に、不意に投げられる無遠慮な声。

 顔を向けると、真昼間から酒を飲んだのか顔を真っ赤にした小太りの男が嘲りと共にアリーゼを見ていた。


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