第4話 突然の来訪者
「うぅ……決して正体を明かしてはいけないって言われていたのに……」
アリーゼが取ってきた外套で乱雑に顔と体を隠しながら、フェリシアは呻いた。
「申し訳ありません、王女殿下。その、まさか王女様が私のような怪しい風体の運び屋に依頼するとは思っていなくて……」
アリーゼとしても気まずい気分だ。目の前に初恋の少女がいる。しかもあの頃よりはるかに美しくなって。先ほどから心臓が落ち着いてくれない。
「依頼を出したのは、現国王──私のお父様だけどね」
拗ねたようにそっぽを向くフェリシア。こういうところは昔から変わっていないな、とアリーゼは苦笑する。
「……安心してください。貴方の身分はこの旅の間も、この旅が終わってからも、決して明かしません。母なる聖竜に誓います」
「……ありがとう、アリーゼ。やっぱり、アジダ人っていい人が多いのね」
「どうでしょうかね。人並みの倫理観は持ち合わせているとは思いますが」
「あんな目に遭った国の王女なんて、殺したいほどに憎いのではなくて?」
「いいえ。そんなことはありません」
自嘲気味にフェリシアが零し、間髪入れずにアリーゼはそれを否定する。
「私を嫌ったのは名も知らぬ誰かであって、貴方でも、アイオライト王国でもありません。あの愚か者共を嫌うことはあっても、フェリシア様に刃を向ける気など起きませんよ。それに……かつてのアイオライト王国は、異民族を快く受け入れていた数少ない国家であったことは知っていますからね」
「アリーゼ……」
フェリシアは瞳に雫を貯めながら微かに笑った。
「ありがとう」
「いえ。……紅茶を淹れなおしますね」
「ふふ、ご馳走になります」
フェリシアの表情が和らいだことに安堵しながら、アリーゼは彼女が差し出したティーカップを受け取った。
「──そういえばアリーゼ。私達はどうやってユリアル共和国に行くの? 南西の国に行くなら、南門から出た方がよかったと思うのだけど」
温かい紅茶を飲んで弛緩した表情を浮かべていたフェリシアは、ふと気になったことをアリーゼに尋ねた。
「ああ、それはですね……」
応えながら、アリーゼは民族衣装の懐を漁る。一体あの中にはどれだけの物が入っているのだろう……とフェリシアが疑問に思っていると、運び屋の少女は一枚の羊皮紙を取り出した。リントヴルム大陸西方の地図だ。いくつかの場所に赤丸が記されている。
「待ち合わせ場所が北だったため、北門から出ざるを得ませんでしたが……フェリシア様の言う通り、ユリアル共和国はアイオライト王国の南西に位置します。南門から出なかったのは、大荷物を運ぶ
アリーゼと共に地図を覗き込むフェリシアはうんうん、と真剣に頷く。花の香りが鼻腔をくすぐってきて、どうにも意識を乱されていけない。アリーゼは軽く咳払いして地図に再び目を落とした。
「──で、フェリシア様が狙われる可能性が高いと踏み、正規の街道は使いません。我々が通るのはここです」
アリーゼがとん、と指差すのは、地図に記された丸印だ。自分の知識とすり合わせたフェリシアは、その赤丸の意味を察して僅かに目を見張った。
「これって──」
「──そう、『魔界』です」
『魔界』。それは大気に存在するマナが溜まることで、摩訶不思議で幻想的な世界を作り上げた地帯。毒にも薬にもなる稀少な植物が群生し、天候は日照りから猛吹雪にまで多岐にわたる。魔物と呼ばれる強力な生物が跋扈し、魔道具という人智を超えた道具が発掘されることもある。
危険であるがその分報酬も多い魔界は、人類にとっては切っても切り離せない物だ。そこに入り成果をあげる者達は『探索者』と呼ばれている。
「『魔界』って……大丈夫なの?」
「危険性を考慮して、対策を立てていればこの辺りの魔界は殆ど問題ありません。私は何度か通ったこともありますし」
「アリーゼは探索者でもあるのね。すごいわ!」
「たまに小銭稼ぎに潜るだけですよ……話を戻しましょう。王国から共和国の間にある魔界ルートは三本あります」
すっ、すっ、すっとアリーゼが指先で線を引く。
「東のルートは魔界が三つしかなく、最も安全な道のりです。真ん中は魔界が一つしかありませんが、その魔界が悪名高い『ニツガル山脈』。そして我々から最も近いこの西のルートです。魔界は五つありますが、そこまで強力な魔物も出ず、アレグロと私であればフェリシア様を守りながらでも踏破できます」
「最初からこの三つ目の道を行くつもりだったのね。だから今日は無理やり森を抜けて南西に進んだんだ」
「その通りです。流石ですね」
アリーゼに褒められて、フェリシアは何故だか胸が高まった。家庭教師や両親に褒められた時もこんなことにはならなかったのに、と内心で首を傾げる。
自分の異変をごまかすように、フェリシアは疑問を投げることにした。
「どうして、一番安全な東のルートにしなかったの? ここからだと、多少は回り道になるけど……」
「追手を考慮しての判断です」
「追手……」
アリーゼの言葉を反芻しながら、フェリシアは目を伏せる。
『フェリス……この国を出てもお前の身の安全が完全に保証されたとは言えない。お前の持つその力を狙うものが必ず出てくる。決して、他人に明かしてはならんぞ』
思い出すのは、王城を出る前に父から言われた忠告。
生まれた時からこの身に宿る強大な『力』は、フェリシアの意思を問わず危険を呼び込んでしまうものだ。アリーゼが警戒するのは、まさにその力を狙う輩なのだ、と推測できた。
「安全なルートということは、追手がこちらを追いやすいことでもあります。なので西のルートを選択しました」
「ごめんなさい……私のせいで危険な道を──」
「何を言うのですか、フェリシア様。こちらはそれに見合った報酬を得ているのです。貴方が気に病む必要は欠片も御座いません」
アリーゼは首を振ってフェリシアを宥める。王女は彼女のさっぱりした性格が羨ましいと思った。
「ふふ、やっぱりアリーゼは優しいのね」
「そうでしょうか。あまり言われたことは無いですね」
謙遜なのか、照れ隠しなのか。仮面の下にあるアリーゼの表情はうかがえない。
「これからの予定はお話ししましたし、今日はこのまま寝ることにしましょうか。明日からが旅の本番です。しっかりと体を休めてください」
「ええ、そうするわ」
アリーゼに促され、フェリシアはもこもこの寝袋に入ろうとして──。
「キュアアアア──!」
そのとき、木々の上からかん高い鳴き声が響いた。
アリーゼが即座に立ち上がり、フェリシアもそんな彼女の背後に隠れる。
「い、今のは?」
「そんな……まさか……」
怯えるフェリシアの頭上で、アリーゼは上空を見上げたまま固まっている。恐る恐る彼女と同じ方向を見上げたフェリシアは──光を見た。
枝葉の天蓋の中で、燦然と輝く蒼い光。動き回るそれは星ではない。意思を持ったかのように空を動き回るそれは、やがてフェリシア達の直上で止まり、一切の迷いも見せずに降下してきた。
蒼の光は見る見るうちに大きくなっていき──フェリシアはそれが竜であることに気付いた。
鱗ではなく、蒼い体毛。尖った顔を持ち竜にしては小柄な三m(メテオ)ほどの体躯。羽に覆われた巨大な二枚の翼を広げ、四本の細足の先には鳥のような鉤爪がある。正体を知らなければ、竜ではなく巨大な鳥かと誤解してしまうようなその姿を、フェリシアは文献で見たことがった。
「『
伝聞でしか聞いたことのない未知の竜の登場に、フェリシアはただ固まることしかできなかった。
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