潤維ウルカ

 うるいうるかは変な子です

 みんなが言うから変な子です

 土から生えて生まれたそうです

 放課後飛んで帰るそうです

 みんなが言うならそうかもしれない

 うるかは人じゃないかもしれない

 うるいうるかは宇宙人

 それとも天使か幽霊か

 幽霊の正体見たり枯れ尾花

 ねえうるか、うるかも枯れ尾花なのかな

 みんなが言うなら枯れ尾花

 うるいうるかは枯れ尾花


 購買の総菜パンを咥えながら潤維は窓の外を眺めていた。雲一つない秋晴れの空だった。住宅街のごちゃごちゃした色彩や形も悪くないが、その上に広がる一色だけの空はまた格別なものだった。晴天がどういう感情をもっているのか、潤維は想像してみる。

「何か面白いものでもあった?」

 周りで弁当箱を広げていたクラスメイト達が興味の視線を向けてくる。

「うん、サンタクロースが西を飛んでる」

 考えもせず頭をよぎった言葉をそのまま投げて、潤維はまた一口パンを頬張った。口いっぱいに素朴な味が広がる。

「十月にサンタ。気ぃ早すぎでしょ」

 真に受ける者はいない。潤維と友人らの、ある種の社交辞令のようなものだ。それ以上潤維が何も喋らないことを確認すると、中断されていた世間話が再開される。

 変わり者、というレッテルは小学生の頃からずっと貼られ続けてきた。人から意識してもらえるのは別段気分の悪い話でもなく、潤維自身目立った行動を意図的にとってきた節もある。

 そしてその扱いは、高校に進学した現在もなお変わっていない。

『続いてお送りするのは、一年生からのリスエスト曲です』

『久しぶりですねぇ一年は。ここ二週間くらいずっと二、三年生からしか来てなかったですよね』

『ですね。でもこうして色んな生徒から沢山リクエストが貰えるってのは、放送委員冥利に尽きるってもんですよね。それでは流していきまっしょう。お聴きください――』

 最後の一口を飲み込んだ潤維は勢いよく席を立った。椅子がガタンと激しめの音を立てたが、生憎昼食中の騒がしい教室にそれを気にする生徒はいなかった。

「食べんの早いねーウルカちゃん。今日の五限もサボり?」

 口に物を入れたままのクラスメイトが声をかけてくる。

「うん」

「じゃあまた先生には体調不良って言っておくからね。うっかり廊下で出くわさないようにねー」

「ういーっす」

 潤維は手をひらひらと振りながら席を離れる。

「あ、そう! ねえウルカちゃん! 今日私古文単語帳忘れたから、次の時間だけウルカちゃんの借りていい!?」

「るーっす」

 潤維はまた手を振って、教室を後にした。

 晴天の昼間は屋内でも明るく、廊下の電気が消えていようが大半の生徒は気が付かない。少しだけ開いた窓から、十月の心地よい風が校舎に流れ込んでくる。学ランやセーラー服のすき間というすき間を、潤維はするすると通り抜けて進む。

「でーかーけーよう、さーばーくーすてーて」

 自分にしか聞こえない声で口ずさむ。羽のように軽い足取りにはしっかりと行き先があった。

「あーいーとーうーみの」

 普段なら屋上の扉は閉まっているのだが、運のいい日には付近で用務員と出会える。屋上前を清掃している用務員だ。昼休みの時間帯だけという条件で、潤維のためにこっそりと鍵を開けてくれる。打ち解けるのに一ヶ月かかった。

「ある――」

 目の前の踊り場まで来て、潤維の目がわずかに見開かれた。

 開いているはずのない屋上の扉が音を立てず閉まっていくのが確かに見えた。そこに用務員の姿はない。

 清掃用具置き場と化している階段を駆け足で登り、躊躇いなくノブを回す。やはり鍵は開いていた。

「――泊木さん」

 意外にも、その向こうにいたのは潤維の見知った相手だった。教師に見つかったと思ったのか、こちらを慌てて振り返った彼女の顔面は真っ青だった。扉にいるのが潤維だと分かるや否や、その肌に血の色が戻ってくる。

「ウルカちゃんかぁ、心臓止まったよー」

 よかったぁと胸をなでおろす泊木のそばに駆け寄った潤維は、そこに大の字に寝転んだ。コンクリートの固い感触を全身で受け止める。

「泊木さんも『コネ』、あったんだ」

「まあね。あのおじさんちょっと甘すぎだよね。私がバレたらあの人も一緒に怒られるだろうから、今まで誰にも言ってなかったんだけど」

 潤維の隣に同じようにして泊木が仰向けになったが、「眩し」と跳ね返るように上半身を起こした。

「まあ確かに、私が来られるのにウルカちゃんが屋上に来ないなんてことないか。校舎で一番空に近いの、ここだもんね」

 私たちだけの特権だと言わんばかりに、泊木は脚をめいっぱい伸ばした。

「どう? このごろは。なれそうな実感ある?」

 泊木のつま先がゆらゆらと揺れる。

 その問いには答えず、代わりに潤維は両腕を真上へと真っすぐに伸ばした。

「ハグ」

「なんだそりゃ」

 泊木はくつくつと笑った。

 閉じる寸前の細い目で、潤維はぼんやりと空を眺める。

 取っても取り切れないほど群青色の集まった空。掴めど掴めど、開いた手の中に青色は一滴も入っていない。欲張りな空。意地っ張りな空。その中心からすこしずれた所に、目が焼かれそうなほど眩しい太陽。光だけで潤維の体は蒸発させられてしまいそうだ。今日の空はいつにもまして主張が強い。

 今日はそれともうひとつ。視界の端っこに見慣れたブレザーが映っている。空になりたい、かつて彼女はそう言った。

「泊木さんは?」

 両の手をグーパーさせながら訊いてみる。

「んー」

 泊木もまた目を細めながら、遥か向こうを見つめていた。

「私はその前に大学生にならなくちゃ、かな。今の成績が続けばそれなりに良いところには行けるって先生は言ってたけど、それでもやっぱりまだ不安なところも多くってさ。行けるならいい大学行きたいし、その後は、就職もしなくちゃいけないだろうし」

 でもね、と泊木は続ける。

「でもね私、やっぱり空にもなりたいんだ。具体的に何をどうすべきなのかは相変わらずさっぱりなんだけどね。せっかく小さい頃からの夢をこうして絶えず持ち続けられてるんだから、どうせなら叶えるところまでいってみたいなって」

 快晴だった空の端に、雲が流れてくるのが見えた。

「さすがに先生とか親には言ってないけど、最近この夢を『いいね』って受け入れてくれる人も出てきてさ。私はウルカちゃんや紗良みたいに全てを打ち込むことはできないけど、こういう憧れ方もあっていいのかもなって、思うんだ」

 耳だけを傾けていた潤維は、そっと目を閉じた。

「……そうだね」

「ああそれと、今の話で思い出したんだけど」

 泊木はポケットに手を突っ込んで、その中身を潤維の投げ出されている手の平に「はいこれ」と置いた。

「先週、波高の学園祭あったじゃん? お土産。ただのキャラメルなんだけどね。めっちゃ盛り上がってたよ。県トップの学祭ってこんなにクオリティ高いんだって、ビックリしちゃった。それと――」

 ……それとね。

 あからさまに声のトーンが落ちる。泊木が本当に話そうとしていたことはおそらくこの先にある。目を瞑ったまま潤維は、静かに次の言を待った。

 しばらく言葉に迷った上で、泊木は続けた。

「……やっぱり紗良、来てなかったみたい。準備期間もずっと、放課後になったらすぐ教室出て行っちゃってたみたいで。クラスでの様子色々教えてくれたその人も、紗良のこと詳しくは知らないってさ。ずっと一人で居て、接する機会がほとんどないらしくて。言葉は選んでくれてたけど、その……やっぱりクラスには馴染めてなさそうだった」

 中学時代の坂口が、潤維の中で静かに蘇る。

 真っ先に浮かんでくるのは彼女の、迷子のように震えた瞳だった。

 空への執着心は誰よりも強い。空のためならば命を懸けることも辞さない、思いの強い子。

 だが。

「坂口さんは固い子だよ」

 その生真面目さが自身を縛っている。

「あれじゃ、地面だよ」

 潤維も潤維で、周りが見えなくなっている坂口のことがもとより気がかりではあったのだ。

「でも、うるかは坂口さんを知らない」

 もし誰かが彼女を解き放ってやれるとしてもそれは潤維ではない。もしかすると泊木でもないのかもしれない。坂口を理解できていない人間が坂口に手を差し伸べたところで、彼女が楽になることはないのだ。ゆえに潤維は坂口と関わっていない。それは潤維なりの、一種の気遣いでもあった。

 屋上に柔らかなそよ風が吹く。それは潤維の上を流れて、泊木の髪をそっと揺らした。

 予鈴の音が二人の耳に届く。

「もうそんな時間か」

 泊木はその場に立ち上がり、仰向けのままの潤維を見下ろした。

「ウルカちゃんは五限出ないの?」

「うるかはしばらく雲になっております。キリンの鳴く頃には戻るかもしれませんゆえ」

 大の字の姿勢を崩さぬまま、今にも眠りにつきそうな声で潤維は答えた。

「そっか。じゃあ私そろそろいくね。あ、キャラメルの袋、学校のゴミ箱には捨てないでね。じゃあまた」

 足音が遠ざかっていき、扉が閉まる音を確認してから、潤維はその意識を遥か上空へと戻した。

 ひどく静かな空に潤維は包まれていた。

 目を閉じていても太陽の光は瞼を貫通してくる。けれど腕で目元を隠そうものなら、きっと空はまたひとりぼっちになってしまう。

 逆に今ここで目を開いたらどうだろう。自分は変わらず屋上で横になったままなのだろうか。体は溶けていないだろうか。もしかすると膝から下だけがもっていかれているかもしれない。そのことを知らないまま起き上がろうとすると、バランスを崩してまた屋上に倒れこむのだ。きっと頭をぶつける。

「痛いだろうなぁ」

 おかしくなって、笑いが込み上げてくる。

 目を開く、ただそれだけの行為が、今はなんとも勿体ないように思える。

 空は黄色。目を開けたら、真っ黄色の明るい天井が目の前にある。空が黄色ならきっと太陽はいらない。

 空は泣いている。雲がなくとも、空はきっと泣いている。楽しくて泣いている。あるいは悔しくて泣いている。泣いていても涙が零れない。だから空が泣いていることを誰も知らない。だから、空は泣いている。

 空は四角。きれいな四角。定規で引くよりも綺麗な線で縁取られている。綺麗だねって褒められるのが照れくさいから、見えないところに淵も角も隠している。

 空はひとりぼっち。空は空なのに、誰も空を解ってあげようとしない。青くないのに、青だって言われる。大きくないのに、大きいって言われる。動けないのに、自由だって言われる。きっと今も、寂しがっている。

 空は――。

「うるいちゃんって、何でそんなに変なの?」

 誰かの声がした。

「変わってるよな、お前」

 誰の声だろう。

「よく平気でいられるよね。ここまで変人扱いされたら普通傷つくもんだよ」

 違うよ。平気じゃないよ。自分にだってみんなと同じ感情があるよ。普通だって言われたい。どうにかして解って欲しいっていつも思ってる。思ってるのに。

「個性が強いってのは、いいことだよ」

 よくない。それじゃあ誰も気づいてくれない。自分は普通なんだってことに、誰も気づいてくれない。

「何でそんなに変なの?」

 変。変なのかな。本当に変なのかな、わたしって。

 また、みんなきいてくれなかった。

 今日も頑張って、本当のわたしはこうなんだよって、みんなに話してみたの。でもダメだった。やっぱりわたしは変な子なんだって。

 それならもっと単純な子に生まれてきたかったな。

 昼は青くて、夜は暗くて。

 雲がたくさんかかっていればくもりで。

 寒い日には雷を落として。

 もっと単純に。わかりやすい子に。空のような子に。

 ――でも、空って本当に青いのかな。

 みんな空は青いって言うけど、本当は青くなかったらどうしよう。それはきっと辛いことだろうな。空は声を出せないから、本当の自分はこうだって、みんなに教えてあげられない。

 空って、声を出せないのかな。声を出しているのに、わたしが聞いていないだけだったら。

 わたしって、空を知っているのかな。

 もし空がわたしと同じだったらどうしよう。本当は青くなんかないのに、私は空を青だって言った。本当は手を伸ばせば届くところにいるのに、私は羽がないと行けないって言った。本当はわたしと同じなのに、わたしは空を単純だって言った。

 私はみんなと同じなんだ。

 ごめんなさい。

 青いって言ってごめんなさい。

 広いっていってごめんなさい。

 ごめんなさい。

 いつかわたしは、本当の空を知ってあげる。

 誰も空を知らなくても、わたしだけは空を知ってあげる。

 もう寂しくないよって、いつか空を撫でてあげる。

 空は空にしかわかってあげられないのだから。

 だったらわたしは、空になる。

 潤維ウルカは空になる。

 ごめんなさい。ごめんなさい。


 灰色の雲が潤維の視界を覆っている。

 後頭部の痛みが少しずつ潤維の意識をはっきりとさせる。体を起こして周囲を見回すと、錆びついたフェンスがだだっ広い屋上を囲っているのが見える。そこでようやく、潤維は自分がいつの間にか眠りについていたことを理解した。

 もう何限目の授業中かもわからない。既に放課後の可能性だってある。その場合、担任に何と弁解しようか。だがそんなことを考えるほどの気力も潤維には残っていなかった。

 起き上がって大きく伸びをする。全身の筋肉が一斉にほぐれていく感覚。

 下ろした手に何かが当たった。見ると、ミルクキャラメルの袋が落ちている。そういえば昼休みに、泊木が自分の手に置き残して行ったような気がしなくもない。

 潤維の眠っている間に、外は一面の雲に覆われてしまっていたようだ。昼までの快晴が嘘のようだった。このまま降り出してもおかしくない。

 キャラメルの袋を拾ってフェンスの方へと歩み寄る。今更教室に引き返す気にもなれなかった。

 昔のことを思い出していた。

 ただの孤独感では空には到底届かない。ならばいっそ誰よりも寂しい人間になる。それが当時小学生だった潤維の出した結論だった。

 中学に上がってからは意識的にキャラを作り上げた。自分自身としての潤維ではない、周囲の期待する『変わり者:潤維ウルカ』を演じてやろうと画策した。

 変であればあるほど良い。自分でなければないほど良い。友人からも、同い年からも、町中の誰からも――否、世界の誰からも理解してもらえない子になろう。周りが期待する潤維になろう。その姿はさながら空だ。

 今の自分はどれだけ近づけただろうか。

 フェンス越しに見るストライプの空は、何も返してはくれなかった。

 雑に開けたビニールの小袋からキャラメルを取り出し、口の中に放り込んだ。舌の上でじんわりと甘みが溶け出していく。

 今日の天気予報は晴れのち雨。

 降水確率80パーセント。

 最高気温21度、最低気温16度。

 現在の湿度、50パーセント。

 フェンスの間から、キャラメルの袋が放り投げられる。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る